4話 塔の魔術師と奪われた騎士

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「ただいま戻りました、エーティア様」  ギィ、と塔の入り口の扉が軋みを上げながら開かれて、フレンが城から帰って来た。出て行った時の姿のままで、怪我なども見当たらない。そのことにひとまず安堵する。 「ああ。遅かったな、フレン。疲れただろう」  にこっと笑いながら出迎えると、フレンもつられたように微笑む。 「城で何があったか気になるところだが、夕飯を食べながら話を聞こう。今日は俺が食事の支度をしておいた。パンを焼いたんだ。美味しく焼けているといいんだが……」 「ありがとうございます。とても楽しみです」  テーブルに向かうためにフレンからくるりと背を向ける。と、その瞬間に距離を詰められて背中からきつく抱き締められた。体がわずかに浮き上がる。 「何…だ。随分と急だな」 「一刻も早くお会いしたかったのです」  切なげな声が耳に落ちてくる。  フレンの右手が首筋に移動してきたところで、バチンと雷の魔術が俺の体から迸りフレンの右手を撃った。 「ぐっ…! 何、を……!?」  床へとうずくまり、右手を押さえるフレン。信じられない、と驚愕の表情で俺を見上げてくる。 「その下手な演技は止めろ。全く似ていないぞ。お前が本物のフレンでないことは分かっている」  冷ややかな口調でしゃがみ込んでいる男を見下ろす。  見破られた以上もう似せるつもりは一切ないのか、唇の端を吊り上げて、くつくつと笑い出したフレンはもはやだれが見ても別者だった。  精悍な顔つきがどろりと溶けて、別の顔が現れる。妖艶な女のものへと。  知っている顔だ。  黒き森の魔女、そう呼ばれる存在だ。 「黒き森の魔女か……」 「その呼び方はやめてちょうだい。ちっとも可愛くないわ。アゼリアちゃんと呼んでといつも言っているでしょう、エーティアちゃん」  アゼリア、それが女の名だ。  この女もまたかつての俺と同様に長い寿命を有していて、魔術に長けている。それ故なのか昔から何かと俺に対して突っかかってくる奴だった。  曰く「魔術の才能が気に入らない」「勇者の一行に選ばれてずるい」などなど。  先日夢でこの女が登場したのは、このことを予感してのものだったようだ。本当に碌な夢を見ない。  どこからどう見ても色気たっぷりな黒いローブが似合うような容姿をしているくせに、本人は可愛いものが大好きでひらひらとしたやたらとレースの付いたピンク色のドレスを着たがる。そして誰に対しても「ちゃん」付けで呼ぶ少々鬱陶しいところがある。  まあ、一言で言うとかなりクセの強い女だ。  当然のことながら俺はこの女が苦手である。 「どうして私がフレンちゃんに変身しているって分かったのかしら?」 「フレンから通信があったお陰だ」  王との謁見に向かったフレンだったが、そこで何かが起こったのだろう。結界による妨害に遭いながらも俺に言葉を伝えて来た。 「『俺を信用しないでください』とな。伝えられた言葉はそれだけで、何が起こったのかも分からなかったが、あいつが俺に危険を知らせて来たのは間違いない。だから塔に戻って来たフレンが本物なのか、そうでないのか確かめさせてもらった」 「酷いわ、エーティアちゃん。私を試したのね?」 「酷いのはどちらだ。そもそも俺が食事の支度などするはずがないだろう? 自分で言っておきながら口の中が痒くなったぞ。本物のフレンだったら、俺に何かあったのではないかと熱でも測ってきているだろうな」  常々家事など一切やらないと公言している。  そんな俺が自ら進んでいそいそと家事などしようものなら、熱を測られるか「偽物ですか」と逆に疑われてしまう状況だ。それなのにあの時のフレンはそんな様子を一切見せず、にこにこと微笑んでいるだけだった。そんなの疑ってくれと言っているようなものだ。 「んもう、そんな理由でバレちゃうなんて。可愛らしい笑顔も嘘だったのね。エーティアちゃんがそんな風に笑うなんて珍しいから変だなーとは思ったのよ。でもフレンちゃんと暮らしている内にそんな笑顔もするようになったのかしらって思って騙されちゃったわ」  何故かは知らないが、昔からアゼリアは俺の周りをよく探っているのでこちらの事情は全て筒抜けなのだろう。  俺が魔力を失ってしまったことも、フレンが世話人としてここに滞在していることも知っているようだ。俺とフレンの関係性の詳細までは知らなかったようだが。 「そんなことよりフレンはどこにいる!? 無事なんだろうな」 「そんなに怖い顔しないで、エーティアちゃん。ちゃんと大事に預かっているわ~。来てちょうだい、フレンちゃん」  アゼリアが魔法陣を空中に展開させると、そこからフレンの姿が現れた。 「あっ、フレンさまっ! フレンさまーっ!!」  それまで棚の後ろに隠れてビクビクしながら成り行きを見ていたエギルが本物のフレン出現によって、飛び出してくる。 「近付くな、エギル! アゼリアのことだ、まだ何かしているに違いない」 「はいです!」  エギルがピッと足を止めて、俺の近くに立つ。 「さすがエーティアちゃん。私のこと分かっててくれて嬉しいわ! エギちゃん、私、可愛い動物をいじめたくないからちゃんと離れていてちょうだいね。さあ、お願いねフレンちゃん。エーティアちゃんを驚かせてあげて」  アゼリアの言葉に従うように、フレンが腰に佩いている剣をすらりと引き抜いた。  魔法陣から出て来たフレンは目が虚ろで、焦点が合っていない。  操られているのか……!  アゼリアは高度な精神操作の魔術を得意としている。フレンの報告と照らし合わせて考えるとおそらく城の連中まるごと操られている可能性が高い。  フレンもまた王の間に入った瞬間に精神操作の魔術をかけられたのだろう。しかし他の連中とは異なり、多少魔術に対しての耐性があったフレンは完全に操られ意識が乗っ取られてしまう前に俺に思念を送って来たのだ。  お陰でいきなり襲われるという展開は回避できた。  そうでなければ今の俺の力ではあっという間にやられていただろう。  操られているフレンは無言のまま引き抜いた剣をこちらに向けてくる。斬りかかってくるつもりなのか。  ごく、と息を呑んで、指先に攻撃の魔術を展開させる。 「ぴゃっ! フレンさま、エーティアさまに剣を向けたらヤダです!! ヤダです!!」 「あらあら危ないわよ~」  怖がりな癖に変な所で度胸のあるエギルが俺の前に立ってピョンピョンと跳ねた。このまま飛び跳ねていては切っ先が掠めて行くかもしれない。 「エギル!」  声を上げて制止するがエギルは止まらない。わあわあ叫び続けている。  最悪の展開を思い浮かべて額に冷たいものが流れるが、こちらに向けられた剣はためらうように切っ先をわずかに揺らめかせるだけだった。  エギルの声に反応しているようにも見える。  まさか、抗っているのか。  フレンの意識はアゼリアに完全に操られていないのかもしれない。  だったら展開する魔術は攻撃ではない。即座に魔術を組み替える。  フレンの意識が目の前の飛び跳ねるエギルに向いている隙を狙い魔術を放った。放った光はフレンの体の中に溶け込んでいく。 「くっ……」  呻き声と共にフレンが頭を押さえる。  俺が放ったのは解術の魔術で、操られている状態から解き放つものだ。上手くいけばフレンの意識が元に戻る。 「俺は一体……? ここはどこなんだ……」  頭を上げたフレンは操られている状態から脱したようだが、聞いたこともないような苛立った声を出し、周りを見回している。  くそ、精神操作が完全に解けていないのは明らかだ。  記憶操作や人格変化の魔術も恐らくかかっているな。  アゼリアを睨みつける。 「フレンにいくつも魔術をかけたな!?」 「さすがエーティアちゃん。よく分かりました! フレンちゃんには特別にいくつもの魔術を複雑に掛け合わせてみたの」 「貴様……。フレンの心がめちゃくちゃになったらどうしてくれる!?」  精神にかける魔術というのは少なからず負担がかかるのだ。それをいくつもとなると……。  フレンの身が心配だ。 「あーん。そんな怖い顔しないで。私だってちゃんと計算してかけているのよ。でもそんなエーティアちゃんの姿が見れるなんて興奮しちゃう」  アゼリアは頬を押さえてきゃあきゃあとはしゃいだ声を上げる。  本当に理解できん思考を持っている奴だ! 「今のエーティアちゃんがフレンちゃんにかかった魔術を解くのはちょっと困難だと思うわ。エーティアちゃんが全てを解くのが早いか、魔力が尽きるのが早いか、どちらかしらね?」  悔しいが奴の言う通りだ。  かつての俺ならいともあっさりと出来ていたことが、今の俺にとってはとてつもなく困難である。フレンからの魔力供給を見込めない今は考えながら残りの魔力を使っていくしかない。  だったら、フレンの解術をするよりもアゼリアの奴を懲らしめて術を解かせる方が早い。  方向転換だ!  アゼリアに向けて放った電撃は、しかしながらそれを守る様に立ち塞がったフレンによって弾かれてしまう。  ドゴン、という音と共に壁が派手に吹き飛んだ。その衝撃で本やら書類やらバタバタと塔の中のものが部屋中に散らばる。 「何だと……!?」  紙吹雪の中、目を丸くする。  フレンの手にしている剣は魔法を弾く類のものだ。普段手入れをしている姿を見かけたことはあったが、実際に使っているところを見たことが無かったのでその手のものだとは知らなかった。 「魔法を弾く剣とは随分と厄介な物を持っているじゃないか!」  フレンの隙を付いてアゼリアを攻撃する、果たしてそんなことが今の俺に出来るのか?  今の力ではアゼリアと五分五分か、それよりも下だろうから奴と対峙するだけで精一杯だというのに、そこにフレンが加わるとなると圧倒的に分が悪すぎる。  だが、フレンの方から攻撃を仕掛けて来ないのが唯一の救いといったところか。  攻撃はされないが、先程からすごい目で睨まれているのを感じる。当然ながらこんな目で睨まれたことなど今までない。今のフレンにとって守るべき主はアゼリアとなっているはずだ。奴を攻撃したから怒っているのだろう。 「アゼリア様、ここは撤退を。ここでは大きな立ち回りが出来ません」  冷え冷えとした口調でアゼリアに進言する。 「そうねぇ。今日のところは一旦引こうかしら。もっと楽しいことを考えているの。こんなところで終わらせちゃったら勿体ないわ。エーティアちゃん、明日お城でパーティーをするからフレンちゃんを取り戻したければ来てちょうだいね」 「パーティーだと!? ふざけたことを!!」 「行きましょう、フレンちゃん。それじゃあまたね、エーティアちゃん、エギちゃん」  アゼリアがにっこりと笑ってワープの魔術を展開させる。 「フレンさま、行ったらヤダです! 早く帰って来るって約束したです!!」  必死にフレンを呼び止めようとするエギルだったが、フレンはエギルを一瞥しただけですぐに視線を外してしまった。  その体がゆっくりと魔法陣に吸い込まれていく。  そして消えてしまった。  エギルはショックを受けたように、地面に倒れ込んで涙を流す。 「うわぁぁぁん!! フレンしゃまぁぁぁ!!」 「無駄だ、エギル。精神を操る魔術というものはなかなか厄介でな。かけた本人であるアゼリアを何とかしない限りフレンを元に戻すことはできないだろう」 「うえっ、うえええん!!」  しくしく泣き続けるエギルを抱え上げて胸に抱き寄せる。ひしっと掴まれ顔を押し付けられてローブがしっとりと湿っていくのを感じる。 「エーティアさまぁ。フレンさまを助けてくださいです……! ここでお別れなんてヤダです!!」 「分かっている、エギル。無論このままにしておくわけにはいかない。フレンは必ず取り戻す。アゼリアの奴、この俺のものに手を出してきたこと、後悔させてやる」  くく、と喉の奥で笑う。  魔力を失ったからといってこのままコケにされてたまるものか。
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