4話 塔の魔術師と奪われた騎士

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 最初に与えられた仕事は皿洗いだった。  面倒だ、という顔でアゼリアを眺めたら「ちゃんといい子に働いてくれたら、フレンちゃんを返してあげてもいいんだけどな。エーティアちゃんの態度次第なんだけどな~」とニヤニヤとされて、しぶしぶと皿洗いに向かった。  フレンを取り戻す手段は多ければ多い方がいい。  大人しく返してくれるというのならその方がいいわけで……アゼリアへの仕返しはフレンを取り戻した後にしたっていいのだ。  皿を洗うなど当然ながら生まれて来てから今までやったことなど一度もない。  魔術で片づけてしまいたいところだが、そうも言っていられない事情があった。  城に張り巡らされた魔法陣の影響で、ちょろちょろと少しずつ抜けて行く魔力が一晩でそれなりの量になったらしい。動けないほどではないが、それなりのだるさを感じる。  魔術は極力使わない方がいい。  そうなると必然的にこの量の皿を自分の手で洗わなければならないのだ。山ほど積み上げられた食器を見て頭がくらくらしてくる。 「エーティアさま。ぼくも手伝うですっ!」  朝になってようやく起きたエギルが張り切って皿洗いを始めた。小さな前足で器用にスポンジを泡立ててごしごしと擦っていく。 「ほー。そういう風にやるのか。上手いものだな」 「えへへ。お皿洗いはぼく得意です」  エギルのやり方を見ながら、真似をしてみる。  皿にスポンジを擦りつけたところで、泡でつるっと滑った。  皿が流し台へと落下して、ついでに流し台に置いてあった皿をも巻き込んで両方パリーンと割れた。 「…………」 「割れちゃったですぅ……」 「ん、いや待てよ。全部割ってしまえば洗う皿が無くなるのか」 「ぴゃっ!?」  俺の発言に驚くエギルの耳がピンッと立ち上がるが、積み上がった皿を片っ端から割ってしまう、これは名案かもしれない。  皿を弁償しろと言うのならしてやろう。何せ金などいくらでもあるのだから。  自分の手で洗うよりもずっとましだ! 「何故そんな考えに至るのですか」  呆れ返った声が背後からかかる。振り返ってみるとフレンだった。 「む、何だ。アゼリアの命令で監視にでも来たのか? 随分と暇なのだな」  思ったよりも尖った声が自分の口から出てくる。体がだるいせいもあるが、昨日のもやもやした気持ちも尾を引いていて機嫌が悪い。  フレンに冷たくされると苛立ちが止まらなくなるので、放っておいて欲しいとも思う。  俺の苛立ちに反応したのかフレンが眉をひそめた。 「アゼリア様にそのような命は受けておりません」  だったら何故わざわざここに来たのだろう? 「……それより、随分と顔色が悪い。調子が良くないのではないですか」 「心配は無用だ」 「ここで倒れられても迷惑です。今日のところは大人しく部屋で休まれてはいかがですか」 「ふん、これは眠っていたって治らない。お前に迷惑などかけないし、放っておいてもらおう」  ふいっと顔を逸らして皿洗いに戻る。  働くことでしかフレンを取り戻す方法が無い今は、眠っていても仕方が無いのだ。  何せこの城に滞在すればするほど俺の魔力は尽きていき、動けなくなる。これは時間との勝負なのだ。 「そうですか。余計な忠告でした」  機嫌を損ねたようにフレンもふいっと顔を逸らして立ち去ろうとするが、それまでおろおろしながら互いの顔を見ていたエギルが耐えかねたように声を上げた。 「喧嘩したらヤダですっ!!」  流し台の上でダンダンと足を打ち付けながら叫ぶ。 「エーティアさまもフレンさまも喧嘩したらヤダですぅっ! お二人はいつも仲良しなんです。フレンさまはやさしくてチクチクしてなかったです。元に戻ってください! それにすぐに帰って来るって約束したです。約束破ったらいけないんです! 絵本にも書いてあるです!!」  ぎゃんぎゃんとけたたましく騒ぎ出したエギルをフレンは奇妙なものを見る目で見下ろす。 「先日もそのようなことを言っていたが……、俺は君を知らない。誰か相手を勘違いしているのではないだろうか」  知らないと言われた言葉にショックを受けたエギルの耳が垂れ、目からポロポロ涙を零す。 「ふえっ……違います。フレンさまはエーティアさまを助けるために塔に来てくれたです。エーティアさまの魔力が無くなっちゃったからフレンさまがちゅーして治すんです。ぼくと一緒にお掃除して、お料理してくれて美味しいニンジンのサクサクも作ってくれたです。ぼく、ちゃんと覚えてて、勘違いしてないです」 「君は……何を、言って……」  フレンが頭を押さえてよろ、と一歩後ろによろける。  頭の中で記憶の相違が起こっているのだ。魔術で塗りつぶされた記憶があることに気付くと、混乱が引き起こされる。あまり良くない状態だ。止めるために、エギルの体を抱き上げる。 「エギル、止めておけ。それ以上はフレンの精神に負担がかかってしまう」 「あうあう…分かりました……ごめんなさいです」  フレンは頭を押さえたままでエギルをじっと見つめる。 「そんな記憶はないはずなのに……その兎の使い魔が嘘を言っているようにはとても見えない。それに……」  その視線がエギルから俺へと移った。 「何故なのか……あなたを見ていると、とても……」  そこで言葉は途切れてしまったので、何を言おうとしていたのかは分からない。  とても……?  苛々する、とでも続くのだろうか。  だが、目を細めて苦し気なその表情を見ていると続く言葉はそれとは違うものにも思えた。 「……っ、失礼します」  俺などよりもよほど具合の悪そうな青い顔でフレンが立ち去って行った。    ***  その日の日中はエギルに手伝ってもらいながら何とか仕事をこなした。やはり俺には家事など圧倒的に向いていないことが分かった。人には向き不向きというものがあるのだ。  この件が片付いたら、もう二度としないと心に誓う。  そして夕方になりアゼリアの誕生日を祝う宴が始まる。  大ホールには次々と料理が運ばれていく。当然ながら、俺も料理を運ぶ手伝いをさせられている。  朝から一緒に働いていたエギルは魔力の消費を少しでも抑えるために、今はローブの中で眠りについている。  大皿料理を運ばされている俺だが、こんな重いものを持つ機会などほとんど無いので腕がぷるぷるとしてくる。  あと少しでテーブルに辿り着くというところで、腕が限界を迎えた。  あ、駄目だ皿が落ちると思った瞬間横から伸びて来た手が大皿を支えて、ひょいと奪われた。片手で軽々と大皿を持ったのは今日一日別行動をしていた勇者だった。 「おい、大丈夫か? お前って魔術以外はからきし駄目なタイプだったんだなぁ……」  呆れ返ったような言葉に、カチンと来る。 「うるさいぞ。仕方ないだろう! こんな重いもの持てるか! 人には出来ることと出来ないことがあるんだ。それなのに俺は使用人のように働いた、魔術も使わずに今日一日ずっとだ!」  魔術さえ、魔術さえあれば……!!  色々とままならなくて悔しくてギリギリと歯噛みする。 「お、おう。だいぶ色々きているようだな。まあ落ち着け、運ぶの手伝ってやるから。どうどう」  馬を落ち着かせる口調でこちらをなだめてくる。フーフーと肩で息をして何とか心を落ち着かせる。  料理の皿は勇者が代わりに運ぶことになり、俺はしばしの間休憩となる。椅子に座って勇者がてきぱきと料理を並べるのを見守る。  別行動をしていた勇者は魔法陣に綻びがないか見て回ったり、使用人達の様子を観察するため城内を巡っていたそうだ。  姿を消している女達や王族は使用人達の部屋で発見したという。こちらも操られてぼーっとしているが、拘束などされることもなく皆元気そうだということだ。安全を考えて片がつくまではそのままそこにいてもらうことにしたらしい。 「それにしても何だ、その恰好は?」  勇者はタキシード姿になっていた。上背もそれなりにあるお陰で様になっている。そんな荷物持っていたか? と首を捻る。 「これはアゼリア殿が準備してきてなぁ……。この服を着てくれなくちゃ嫌だと駄々を捏ねられた。何というか、魔術を極めた者というのは大抵クセのある性格をしているように思うのだが……気のせいか?」 「ふん、奴と俺を一緒にするな! それにしても随分と気に入られたようではないか。いい傾向だ。あいつは頭の中が花畑で出来ているから、お気に入りのお前が傍に居れば隙が生まれやすくなるぞ」  くっくっ、と笑う。 「苛々が募っているせいか三割増しで悪い顔をしているなぁ……。俺としては女性にこういうハニートラップ的なものを仕掛けるのは気が進まないが、城がこんな状況になっている以上そうも言っていられないか。まあ任せていろ。今日はまだ無理そうだが、明日の夜にはあの恐ろしく防御力の高い鉄壁のローブを脱がしてみせる!」 「はぁ? お前、まさか……」  脱がせるとは、アゼリアの奴を押し倒しでもするつもりなのか?  毛虫を見るような目で勇者を睨む。 「おい、妙な誤解をするな。ローブを脱がす方法などそれ以外でいくらでもあるということだ。あのローブが無くなったらこちら側の反撃だ。魔力はまだ残っているな?」 「………平気だ」 「その心もとない返事、本当に大丈夫なんだろうな?」 「俺だって手は考えている」  やられっぱなしではいられないのだ。  こんな事態もあろうかと、魔力が無くなりそうになった時の対処法は考えてある。  どうしたって魔力を生み出すことのできない俺は雑魚になり果ててしまう。  そんな状況に甘んじるわけにはいかないと必死に対策を練っていたのだ。  ただその方法はフレンとの約束を破ることになるのか? 破ってないのか? どちらなのか判断が付かないのでどうしてもという時にのみ使おうと思っている。 「それならいい。では決行は、明日だ!」  頷き合ったところで、アゼリアが「もう!!」とぷりぷりと怒った様子で登場した。 「エーティアちゃんったら、またさぼってるのね!」  俺が休んでいるとそのタイミングを狙ったかのようにアゼリアは度々登場して来ては「さぼっちゃダメなんだから!」と釘を刺して帰っていく。これで何度目の登場だ? うんざりしてくる。  覗き見の魔術は俺がかつて張った魔法陣によって使えないだろうから……コソコソ陰から見ているのかもしれない。  どうやら必死で働く俺を見ては楽しんでいるらしいのだ。まったく悪趣味なことだ。  アゼリアの指摘に対して肩をすくめてみせる。 「俺の仕事の分は勇者が代わりに働いている。与えられた仕事の量はきちんとこなしているぞ?」 「エーティアちゃんたら屁理屈ばかりこねて。エーティアちゃん自身がちゃんと、必死で働かなくちゃダメなのよ。そんなことだとフレンちゃんはいつまで経っても取り返せないわよ? ほらほら、第二王子様のテーブルに料理を運んでちょうだい!」 「はぁ!?」 「きちんとやらなくちゃ駄目よっ。そしてサイラスちゃんは約束通り私のダンスの相手をするの」 「うわっ」  アゼリアが勇者の腕を引っ張って、ホールの中央へと引っ張って行ってしまう。残された俺は、アゼリアの言葉を反芻して顔をしかめた。  第二王子……だとぉ!?
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