6話 塔の魔術師と騎士の愛

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 キッチンから夕飯の仕込みを終えたフレンが戻って来たところで、「話がある!」とその場から連れ出して自分の部屋へと向かう。  取り残されたエギルはキョトンとした顔をしていたし、アゼリアは話が気になって聞きたいという顔をしていたがまずはフレンと二人きりで話がしたかったのだ。  自室に入ったところで、振り返ってフレンと向き合う。  フレンが心配そうに「何かあったのですか?」と問い掛けてきたことから、思いの外自分が不満顔を浮かべていたことに気付く。知らず知らずの内に奥歯を噛みしめていた。  今日の俺は本当に変だ。  胸のムカムカが今もまだ治まらない。 「お前の……『婚約者』という人物について話を聞きたいんだ」  俺がそう話を切り出すと、フレンの表情がわずかに強張った。  国王が取り決めたもので、もしかしたらフレンはその婚約者の存在を知らないのではないかと思ったが、どうやらそれは違ったようだ。心当たりがある、その表情はそう語っていた。 「答えたくなければ答えなくてもいい。過去のことを問わないと言ったのは俺だしな。だが……俺は、今それを知りたくなった」 「エーティア様……」  フレンが困ったように瞳を伏せる。口を開きかけ、逡巡し、また口を噤んでしまう。  その態度は、ここ最近のフレンの態度と全く同じだった。  何か言いたいことがあるのに、言えない……みたいな。  婚約者など知らないという答えを俺は期待していたのだろうか。  婚約者はいたが今はその約束も破棄されている、まあこの答えでも俺は納得していただろう。  だがしかしフレンの態度は俺の期待とは全く違っていて、胸がチクンと痛くなって、次にムカムカが大きく膨らんでいく。  何故何も答えてくれないのか。  まさか俺よりもその婚約者のことを優先するとでもいうのか?  隠しているのか……? 「そうか、もういい。詮索などして悪かったな!」  浮気したら呪い殺してやる……だったか。  俺は確かに以前そう言った。  フレンは婚約者について語るのをためらっている。これが浮気にあたるかは大いに疑問であるが、このままでは気が収まらないのも確かだ。  頭の中でフレンと顔も知らない婚約者とやらにどの魔術を使ってやろうか算段を始めたところで、フレンが思い詰めた表情で俺の手を握った。 「申し訳ありません……今は語ることが出来ないのです。しかし、俺の想いは昔から今も変わらずあなたの傍にのみあることを覚えていてください」  こちらに向けられた目はどこまでも真剣で、その言葉が嘘でないことは分かる。  しかし語ることが出来ないとは一体どういうことなのか。  普段ならもう少し深く話を聞くところだが、何故だかとても頭に血が昇っていたので咄嗟に握られていた手を振り払った。フレンの顔が辛そうに歪む。  扉の外に出ようとドアノブに手を掛けたところで、アゼリア達がなだれ込んで来た。話を立ち聞きでもしていたに違いない。 「エーティアさま。喧嘩はヤダですっ!」  エギルが跳ね回って抗議の声を上げてきたのでふん、と鼻を鳴らす。 「喧嘩なんかしていないぞ。喧嘩になどなるはずもない」  フレンは何も語らず、俺が一方的に苛々としているだけなのだ。だからこれは断じて喧嘩ではない。 「ウソですっ。エーティアさまチクチクしてるです! ぼく、分かるです!!」 「あ~ん、何だか重い空気。こういうのは苦手だわ」  アゼリアが困ったように眉を下げて、それから名案を思い付いたというように手を叩いた。 「そうだ。フレンちゃんがお話してくれないんだったら直接見てくればいいのよ、エーティアちゃん。この大魔女アゼリアちゃんに任せてちょうだい。とっておきの術を使ってエーティアちゃんに過去を見せてあげるわ!!」  言い終えるやアゼリアが宙に魔法陣を展開させる。これまでになく細かい古代文字、模様が複雑に組み合わせられていてそれが大掛かりな魔術であることは一目で理解できた。 「……おい、それは何の魔術だ!?」 「エーティアちゃんを過去に飛ばすわ。そこでフレンちゃんの婚約者を探してみるといいと思うの!」 「過去だって!? お前、そんな魔術を使えるのか!?」 「うんうん。実は初めて使うものなんだけどね、きっと大丈夫よ。アゼリアちゃんの魔術は完璧だから! あ、でもエーティアちゃん。この魔術では一人につき一度しか過去に飛べないの。過去に行くのと戻ってくるので一度きりだけ。つまり今回エーティアちゃんが過去に飛んだらもう二度と過去には行けないから行動は慎重にね。あんまり過去を変えると今の世界がぐちゃぐちゃになっちゃうから気を付けた方がいいわ。だからこそ色んな人に正体を明かさない方がいいと思う」  宙に描かれた魔法陣が強く光り出す。  すると俺の体が地面から浮き上がって魔法陣へと引き寄せられていく。 「う…わ、ちょっと待て! 俺は行くなんて一言も言ってないぞ!!」 「私達はここで待ってるわ。ほどよい時間になったらお迎えに行くわね~! いってらっしゃい!」 「エーティアさまぁぁ!!」  下を見るとエギルが叫んで必死で俺の方に手を伸ばしているが、届かない。 「エギル……、フレンッ!!」  俺もまた手を伸ばしたが、もはや体の半分ほどを魔法陣に吸い込まれているので無駄だった。魔法陣から光が溢れ出して彼らの顔を白く覆い隠す。  フレンがどんな表情をしているのかは分からない。  ただ、声だけが聞こえた。  必死でこちらに呼びかける声だ。 「エーティア様、お心のままに行動をしてください。それがあなたと俺を繋ぐ未来に繋がります!」  その意味は分からない。  だが、それがとても大事なことを伝えている気がした。  そして俺の体は塔の中から消えた。    ***  魔法陣に吸い込まれた俺は成す術もなくぐるぐると流され続ける。辺りは真っ暗で時折光のようなものがチカチカと流れていく。渦の中に吸い込まれるとこういう状態になるのかもしれない。  実際は短かったのかもしれないが、ひどく長い時間体が流されて、気が付けば俺の体は地面へと叩きつけられていた。 「う……げほっゲホ」  背中をしたたかに打って咳き込む。  そうしてしばらく咳き込んだ後、ゆっくりと目を開けると俺の住んでいる塔が見えた。塔の中から外へと放り出されていたようだ。  過去に飛ばす、と言っていたアゼリアだったが……その魔術は失敗したのだろうか。  それともここは本当に過去の世界なのか?  辺りは静まり返っている。  いつもはフレンによって換気のために開かれている塔の窓が今は閉まっていて、嫌な予感を覚える。  塔の中からは人の気配が一切しない。  俺がいきなり塔の中から消えたとなると、絶対にエギル辺りはぎゃあぎゃあと騒ぐだろうからこんな静寂に包まれているのはおかしいのである。  恐る恐る入り口の扉に手を掛けると、バチンと雷撃によって弾かれてしまった。手が痺れ、声にならない悲鳴を上げる。  間違いない、これは俺の魔術による結界だ。侵入者を防ぐために仕掛けていったものに違いない。  過去の世界、という言葉が一気に真実味を帯びる。  五年前に飛ばすとアゼリアが言っていたから……恐らくこの世界での俺は魔王討伐のために塔を不在にしている。  この仕掛けを解くのは厄介だし、何よりそんなことをしたらこの世界の俺に気付かれる可能性がある。ワープを自在に使えるので一瞬でここに辿り着くだろう。  一番恐ろしいのは過去の俺との遭遇だ。怪しまれて攻撃など仕掛けられたら今の俺では到底太刀打ちできないので、それだけは避けなければならない。 「ひとまずここから離れるか」  ここにいても仕方が無いので、城下町へ向かうことにする。  アゼリアはそのうち迎えに来ると言っていた。それならその時を待つしかないだろう。  それにしてもアゼリアめ、本当に話を聞かない奴だ。  誰が過去に飛ばしてくれと頼んだというのだ。こんなところにいきなり放り出される身にもなってみろというんだ。  過去へ向かう魔術など俺も習得したことがないので、当然ながらその反対の未来へ行く術も知らないので自力で帰るのは難しい。  過去へ向かう術を応用すれば出来ないことは無さそうだが……アゼリアの迎えを待つ方が安全だ。  過去に行くことができる、これは禁忌に触れそうな術だ。  あいつが本気で世界征服しようと思ったら、出来るのではないか……?  ただ、幸いなことにアゼリアの頭の中は大好きな『イケメン』とやらで溢れているからそういう気持ちを抱くことはないのだろう。阿保で良かった。  城下町へ向かって歩き出したが、早くも心が折れそうになっていた。  そもそも馬で二時間ほどの距離を徒歩で行ったらどれぐらいかかるのだろう?  俺の体力で歩ききることが出来るのか。だが、ここでワープを使って魔力を消耗したくない。  今この場にはフレンもエギルもいない。頼れる者は誰一人……。   最悪魔力が尽きそうになったらどこかの誰かから奪取するという手はあるが……俺は極力あれを使いたくないのだ。  自分の中にフレン以外の魔力が入ってくるのは酷く恐ろしい。  具合も悪くなるしな……。  だから自力で歩いていくしかない。  途方に暮れかけていた俺の目の前を、白い塊がサッと通り過ぎていく。森の中から街道へと飛び出して来た形だ。  見覚えのある背中に思わず叫び声を上げる。 「エギルッ!?」  その走り方といい、真っ白な毛並みといいエギルそのものだった。  あの時、塔で離れ離れになってしまったエギルがどうしてここにいるんだ!?  もうアゼリア達が到着したのか?  俺の声が聞こえていないはずはないのに、エギルはこちらを振り向きもせずに全力で駆けて行く。その動きはまるで何かから逃げているように見えた。  そしてそのすぐ後からエギルを追うように、巨大な獣が茂みから飛び出して来た。  熊によく似たモンスターだった。  熊との大きな違いは長く伸びた爪と、額から生えた角だ。  エギルはそのモンスターから逃げ回っているのだ。  今にもその白い背に爪が突き立てられそうになるのが見えた。 「この……っ!!」  俺は即座に雷撃の魔術を展開してエギルを狙う熊型モンスターを地面に弾き倒した。  エギルが足を止めて、こちらを振り向き黒い瞳で見上げてくる。  しかしその顔は、エギルのものではなかった。それに近づいてみるとエギルよりも一回りほど大きさが違う。とてもよく似ているが、別の兎であることが分かる。 「エギル……じゃないのか」  ふっと気が抜けてしまう。  その時、エギルによく似た白兎が俺を――正確には俺の後ろの方を見てビクッと体を震わせた。  その視線を追いかけて後ろを振り向くよりも先に背中に衝撃を受け、次いで焼け付くような痛みが走った。 「か、は……っ」  肩越しに先程雷撃で倒したはずのモンスターの姿が見えた。  馬鹿な。  あれほどの攻撃を与えて、どうして無事でいるのか。  ……そうか。  ここは魔王のいる時代……。魔王の影響を受けたモンスター達は強くなっているのだった。  あまりの痛みに耐えられずうつ伏せになって地面へと倒れ込む。  早く次の攻撃を加えなければ、体を起こさなければ……そう思うのに意識が遠のきかけていく。  その時だった。 「その人から離れろ!!」  いくつもの蹄の音。それから誰かの声が聞こえた。  肉を裂く音、モンスターの咆哮、地面へ倒れ込む鈍い音……。恐らく俺を攻撃したモンスターが駆け付けた集団によって倒されたようだ。  背中が熱い。  心臓の鼓動に合わせて血が流れていくのを感じる。先程のモンスターの爪でやられたのかもしれない。  このまま放っておくのは危険な傷だ。回復の魔術をかけようと意識を集中させるが、どういう訳か術が展開出来なかった。  魔力を失ったわけではない。  俺の中にはまだ魔力がそれなりに残っているというのに……。一体どうして……。  いよいよ意識が途切れそうになった時に、体が誰かの手によって抱き上げられた。  こいつは誰だ、勝手に触るなと身じろぎをする。ズキズキと体が痛む。すると制止の声がかかる。 「動いてはいけない」  この声は……。  わずかに目を開けるとこちらを覗き込む男の瞳と視線がぶつかった。 「傷が痛むだろうが少し我慢して欲しい。すぐに城に運び手当てを行おう」  フレンに似た、だがフレンよりも少し年の若い男だった。こちらを心配そうに見下ろしている。  俺には分かる。これは過去のフレンだと……。 「フ……レ……」  俺の意識はそこで途切れてしまって、フレンと呼びかけようとした声を最後まで紡ぐことが出来なかった。
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