6話 塔の魔術師と騎士の愛

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 どれほどの間眠っていたかは分からないが、夜と朝が少なくとも二回は訪れていたように思う。  その間俺の意識は現実と夢の間をさ迷っていて、現実に戻っている間に何度か回復魔術を試してみたがやはり術は発動しなかった。  そのため傷の痛みに耐え続けるしかなかった。こんな痛みを感じたのは初めてだ。  熱が出ているのか体は熱いし、息も苦しい。  体を小さく丸める。  意識がある内は心細さのあまり必死で目の前にある布を掴んでいた。恐らくフレンの服のどこかの部分だ。  フレンは不在の時もあったが、いる時は俺の手を振り払ったりはせずに大人しく傍に控えていてくれるのが分かった。 「大丈夫だ、ここにいる。必ず良くなるからゆっくりお休み」  時折頭を撫でられて、安心から目を閉じて再び眠りについた。  次に意識がはっきりとしたのは、頬を舐められている感触を覚えてからだ。ぎょっと驚いて目を開けると白い兎がじっとこちらを見ていた。  あの時モンスターから救い出した白兎が何故かここにいた。  黒い瞳でじっとこちらを見つめる仕草が本当にエギルそっくりだ。 「ああ、驚いてしまったようだ。飼い主が心配なのは分かるが、寝かせておいてあげなければ」  フレンが白兎を抱えて自分の膝の上に乗せた。白兎はジタバタと暴れてフレンの膝の上から逃げ出して、再度ベッドの上に乗り上げて来た。 「……こいつは俺の飼っている兎ではない」  体を起こそうとして、背中に痛みが走って顔をしかめる。 「急に動いては駄目だ。まだ痛みが引いていないのだろう」  フレンに支えてもらいながら体を起こす。 「そうか……。この子は君の傍を離れようとしないから飼っている兎なのだと思って連れて来てしまった。後で森に帰してあげよう」 「そのうち勝手に戻るだろう。好きにさせておけばいい」  白兎は俺が意識を取り戻したのを見ると、部屋の隅に行って丸まって眠り始めた。警戒をしているのかエギルのように床にお腹をぺったりつけて寝たりはしない。  フレンが俺を見て微笑む。 「話せるまで回復して良かった。君はこの数日間ずっと意識が混濁していて会話もままならなかった。身元も分からずご家族に連絡を取ることもできずにいた。……間違っていたら申し訳ないのだが、君は大魔術師エーティア様のお知り合いではないだろうか? 雰囲気はかなり違うのだが……とてもよく似ている。あの方に家族がいるという話を聞いたことはないが、もしかしたらそうなのではないかと思った。だから、万が一このまま意識が戻らなければエーティア様に連絡を入れるところだった」  過去の俺の話が出てきて、ひやっとする。  フレンが俺と過去の俺を同一人物だと認識できないのも無理はない。大魔術師エーティアがあんなモンスター如きにやられるなんてあり得ないからだ。  弱体化した我が身が恨めしい。  しかし今はそんなことを考えている場合ではなく、過去の俺に連絡など入れられたら困るので慌てて首を横に振る。 「俺はエーティアの知り合いではないので連絡の必要はない。こんなことを言ったら驚くだろうが……俺自身がエーティアだ」 「っ!? エーティア様……!?」  フレンの顔が青ざめて、慌ててベッドの脇に跪く。 「申し訳ありません。そうとは知らず数々の無礼をお許しください」 「いや……いいんだ。色々と事情があってな、俺がエーティアだということは内密にして欲しい」  俺はフレンに事情を説明することにした。  どうして過去にやってきたか……という理由はぼかしておく。  フレンの婚約者が誰なのか調べに来たことを本人に知られるのはあまりにもみっともないことだ。これに関しては口が裂けても言わない。  詳しくは言えないが『過去の調査』だということにしておいた。嘘ではないしな。  それから魔術が使えなくなってしまったこと、迎えが来るまで元の世界へ戻れないことを説明した。  この数日間、アゼリアの迎えは来ていない。  流石に遅い気がするので、もしかしたら何かあったのかもしれない。  過去のフレンに自分の正体を明かすことは良くないのかもしれない。  何故なら初めて塔にやって来た時のフレンは俺と言葉を交わしたことはほとんどないという状態で、あまり俺に対しても好意的ではなかったと記憶している。これは本人自身でそう言っていた。  ということは『エーティア』として接点を持つべきではないかもしれない。  しかし俺はフレンに対して嘘をつきたくもないし、この世界に滞在する以上フレンの協力は必須だ。だから正体を明かすことにした。  ただし俺とフレンの関係性についての詳細は未来が変わってしまう可能性を考えてあえて伝えていない。  その上で協力をお願いする。 「俺が元の世界へ戻るまでの間協力をして欲しい」  フレンは跪いたまま深く頭を下げた。 「無論です。あなたを無事元の世界へ戻す手伝いをさせてください」 「そうか、助かるぞ。俺がエーティアということを周りには知られたくないから、俺のことはエルと呼べばいい」 「はい」 「しかし、フレン。その態度では周りに気付かれるぞ。先程のような砕けた口調で構わないのだが? ……ん、待て。そうすると俺も態度を改める必要があるか……」  普段意識することはないが、フレンは王子だったな。  そうなると俺のこの『偉そう』な態度も問題だ。しかしだ……今更態度を変えるというのはなかなか難しい。 「では、こうしましょう。あなたは身分のある方で、お忍びでアリシュランドへやって来た。しかしその際に事故にあって治療を受けているということに。そういうことならば俺もあなたの態度も不自然ではないと思います。無理をするとどこかで綻びが出てしまうでしょう」 「ふむ、なるほど。それで行こう」  その時部屋の扉からノックの音がした。  少ししてから白衣の老人が入ってくる。どうやら医者のようだ。そしてここは医務室らしい。 「おお、良かった。気がつかれましたか」 「ああ。つい先程目を覚ました。怪我の具合を診て差し上げて欲しい」 「かしこまりました」  医療器具の乗ったワゴンと共に医者がベッドへと近づいて来る。俺は反射的にフレンの袖口を掴んでその陰に隠れた。とはいえベッド上だったので顔を隠すぐらいのものだったが。 「エル様?」  驚いたようにフレンがこちらを振り向く。 「嫌だ。診察などいらない」 「そうは言っても傷口を消毒して包帯を替えなければ駄目です。痕が残ってしまったら大変ですので」 「嫌だ」  ぷいっと顔を背ける。  医者とはいえ知らない奴に触られるかと思うと気分が悪くなってくるのだ。意識がない間はともかく意識がある内に触れられるのは絶対に嫌だ。  だったらいっそ包帯など替えない方がいい。  フレンと医者は互いに顔を見合わせて困ったなという顔をする。 「さてはて困りましたな、フレン様。大抵は自分の痛みが無くなるならと医者の言うことを聞く患者さんが多いのですが、この方は痛みよりもご自分の意思を優先させるタイプのようですな。そういう方に従っていただくことはとても難しい」  医者はフレンの服を握る俺の手元に視線を落として、うんうんと頷いた。 「しかし幸いにもフレン様には心を許しておられるご様子。どうしても離れたくないと見えます。私に代わりフレン様が治療をして差し上げてはいかがですかな? なに、後の処置は簡単なものばかりです。騎士団で手当ての方法を学ばれたあなた様ならば問題ないでしょう」 「俺が……か? 簡単な処置ぐらいなら出来るしそれは構わないが……エル様、それで構いませんか?」  フレンの問いにこく、と頷いた。   「……分かりました。それなら俺が手当てをしましょう」  医者が病室を出て行ったところで、フレンに背中を向ける。  今俺が着せられている服はワンピースのようなものだった。白い処置用の服だ。それまで身に着けていたローブは血にまみれて使い物にならないのだろう。もしかしたら捨てられてしまったのかもしれない。  身に着けているものは下着にこのワンピースのような服が一枚だけ。前ボタンを全て外して脱ぎ捨てると下着だけの姿になった。 「その……、これで前を隠していてくれませんか」  ややぎこちない動作で肌掛けを渡される。心なしか視線を外している目元が赤い。  処置し辛くないのだろうか? と思ったが、大人しくフレンの指示に従って体の前側を肌掛けで覆い隠した。すると丁寧な手つきで包帯が外されていく。 「どうして医者の処置を嫌がるのですか?」 「知らない奴に触られたくない」 「……俺ならば平気だと……?」 「平気だ。……だけど、お前にとっては迷惑だったか? 気がつけば俺はずっとお前のことを掴んでいた気がする」  俺にとっては過去のフレンも今のフレンもどちらも同一人物だと感じる。  だからついいつものように接してしまうのだが、過去のフレンにとってはそうではない。俺は初対面に近い相手だ。ずっと拘束し続けていて迷惑だったのかもしれないと思い至った。  少々甘えすぎていたかもしれない。 「頼られて悪い気はしませんので、それは気にしないでください。ただ……、エル様は無防備すぎて……心配です。もう少し危機感を持たれるべきです」 「危機感?」  首を傾げる俺に向けてフレンは困ったように笑う。 「分かりませんか。やはり、心配です。……少し染みますよ」  背中にガーゼのようなものが当てられて、そこに塗られた薬剤が背中の傷に染みる。 「ひっ……!」  焼け付くような痛みにぶるぶると体を震わせる。   「すみません、痛むのですね。もう少しだけ我慢していてください」  傷の処置が終わって新しい包帯を巻かれてからも俺の体の震えは止まらなかった。フレンの首に腕を回してしがみ付く。 「うぅ……う~…痛い」  本当は口をくっ付けて魔力供給をしてもらいたい。  たぶんそうすれば痛みを和らげることが出来るが、そんなことが出来ないのも分かっていた。フレンの意思を無視した行為になってしまう。  だからせめて体をくっ付けるぐらいは許してもらえるだろうか。これだけでも少しは痛みが和らぐ気がする。 「……エ、ル、様」 「もう少しだけこうしていて欲しい。痛みが落ち着くんだ。嫌……か?」 「そうでしたか……。構いません。痛みが引くまでこうしていましょう」  体を固まらせたフレンだったが、もう少しだけとお願いすると体の力を抜いた。  背中の傷に触れないようにしながら体を抱え直されて、膝の上に乗せられた。  やはりフレンにくっ付いていると傷の痛みが我慢できる。過去の世界に来る前は胸が苦しくなるような気がしていたが、今はとても落ち着く。  いや、胸は相変わらずドクドクと早鐘を打つのだが、それよりも安心が勝っている状態だ。  他に誰も頼る者のいない過去の世界だから余計に。  頬をフレンの体にくっ付けて、目を閉じる。  段々と眠たくなってきた。うとうとと頭が揺れる。 「エル様はどうしてこれほどまで俺に気を許してくださるのか……」  眠りに落ちる前に、困惑を含んだフレンのつぶやきが聞こえたような気がした。
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