6話 塔の魔術師と騎士の愛

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 フレンの献身的な世話のお陰もあって、あれから一週間もするとベッドから起き上がって室内ぐらいなら歩き回れるようになった。  この一週間の間、アゼリア達の迎えはおろか連絡すらまだ来ない状態だった。  流石に遅すぎるだろう。やはり何かあったのだろうか。  俺は段々と焦りを覚えるようになっていた。もう迎えは来ないのではないかと……そんな嫌な考えが浮かんでくる。  魔術は相変わらず使えないままだったのもまた焦りに拍車をかけていた。  もしも迎えが来ないとしたら、俺はこの世界で生きて行かなければならないのだろうか。  そうなると元の世界のエギルやフレンはどうなるんだ。俺のことを心配しているのは間違いない。どうにかして戻らなければ……。  こうなった以上アゼリアに頼ってはいられない。  魔術が使えなくなった原因を突き止めて、自力で元の世界へ戻るのだ。  しかし戻る前にやらなければならないこともある。  フレンの婚約者が誰なのかこの目で確かめる必要がある。  過去に飛ばされたお陰でこんな怪我まで負ったのだ。せめてそれぐらいしていかなければ割に合わないではないか。過去へ渡ることが出来るのは一度きりだと言うから、確かめておこう。  俺の傍にいる時のフレンにさりげなく探りを入れてみたものの、婚約者に関しての話を持ち出してくる様子もなく、接触する様子も見られない。  だったらいつ接触するのかというと、俺の傍にいない時に違いない。  フレンが病室を訪れるのは朝と、夕方以降だ。それ以外の時間は騎士団にいる。  つまり、騎士団にいる時こそが婚約者と接触している可能性が高いというわけだ。  相手は女騎士……か?  それともどこかの貴族令嬢かもしれない。  普段は会えないが、時折逢瀬をする関係。うーむ、この線もあり得るな。  アゼリアはああ見えて魔術に関しての腕はかなり良い。フレンの婚約者がいる時期に俺を飛ばしたのは間違いないから……必ず今この時どこかに存在しているはずだ。  ふん、絶対に突き止めてやろうじゃないか。  方向性が決まったところで、俺は病室を抜け出すことにした。  病室の外へ行くのは過去の世界に来てから初めてだ。  元々着ていたローブは所在不明のままだったので、病衣でうろつくことになる。微妙に丈が短くて膝から下の部分が出ていてスース―する気がするが……この際仕方がない。  誰にも見つからないように行くとしよう。  病室を出たタイミングで、白兎も後ろからくっ付いて来た。  俺の使い魔ではないこの白兎はエギルとは違ってしゃべりもしない。だから一体何を考えているのかよく分からない。  白兎はあれからも森へ帰ることもなく、大抵が突かず離れずの距離で俺の傍に居る。  ……こうして後を付けてくるのは俺を守ろうとしているのではないかと思う時がある。  害意がないのは間違いないので、好きなようにさせている。  俺が廊下を歩いて、白兎がその後をヒョコヒョコと付いてくるという図が出来上がった。  元の世界にいた時アリシュランドの城へは何度か訪れていたが、特に用事がなかったので騎士団本部へ行ったことはない。  確か城の東側に位置していて、城の一階から続く回廊を抜けた先だったはずだ。  城の中にあるとはいえ病室から騎士団本部まではそれなりの距離があるので、歩くうちに段々と息が上がって来た。  まだ部屋の外へ向かうほど体力が戻り切っていないのかもしれない。  ここしばらくほとんど寝たきり状態だったからな……。  魔力を失って寝たきり状態だった頃と今の自分の状態が重なる。まさかまたこんな状態になるとは思いも寄らなかった。 「ぐっ、まだ先があるのか!?」  回廊に差し掛かり、中庭から見えた騎士団本部の建物はまだ遠くてその距離に頭がくらくらした。  はぁ……駄目だ、視界が暗くなってきた。血が足りてないのだろうか。  少しだけ休憩しよう。  回廊の壁に寄り掛かってしゃがみ込む。白兎も近くに座った。  膝に頭を埋めてしばらく目を閉じていると「エル様っ!?」と慌てたような、しかしながら聞きなれた声が耳に届いた。  ハッと顔を上げて、見つかったまずいと慌てて逃げ出そうとするがその前にフレンに腕を掴まれてしまう。 「フ、レン……」  こっそりとフレンの姿を覗き見ようとしていたのに、当の本人にバレてしまうとは。作戦が失敗したことを知る。何ということだ。やっとの思いでここまで辿り着いたというのに……。 「病室を抜け出して来られたのですか!? 一体何故こんなところへ……」  フレンの声には咎めるような響きがあった。  体がギクッと強張る。 「お、怒ったのか。許可もなく部屋を抜け出したから」  いつも穏やかなフレンだが、怒らせると恐いのだ。  フレンが操られた時、冷たい怒りを向けられたことがある。あの時のことを思い出すと胸に冷たいものを流し込まれたようにひやっとする。  勝手に病室の外に出るなと言われてはいないが、フレンの婚約者を覗き見てやろうという後ろめたい気持ちがあるだけにビクついてしまう。  後からぞろぞろとやって来た騎士団のメンバーの一人がフレンに声を掛ける。 「フレン、その辺にしておいてやれ。自分よりも体の大きな男にそんな勢いで詰め寄られたら恐いだろう。可哀想に……萎縮してしまっているではないか」  フレンがハッとして、握っていた俺の腕を放した。  彼らが武装しているところを見るに城の外の見回りか何かに向かう途中だったらしい。白兎はその人数の多さと物々しさにびっくりして中庭にピュッと逃げ出してしまった。  あっ、と思ったがあれでいて案外賢いのでその内戻って来るか森に帰るかなりするだろう。  フレンに声を掛けて来た男は、俺をじっと見つめると慌てたように背筋を伸ばした。  どこかで見たような顔だな、と考えていると「エーティア様ではないですか!?」と声を上げたので、その瞬間に思い出した。  この男は騎士団長だ。過去に何度か顔を合わせたことがある。  これ以上近くで顔を合わせていたら俺だということがバレてしまう。  現段階で俺の素性を知っているのはフレンと、その父親である国王だけだ。  国王と俺は何度も顔を突き合わせたことがあるので、対面すれば正体が一発でバレる可能性がある上に素性を知っておいてもらった方が何かと都合がいいのでフレン経由で知らせてある。  お陰で俺の扱いは尊い身分というものに変わり、病室も広い個室へと移り変わったという経緯がある。  まあ今はその話は置いておいて……。  俺がエーティアだということを騎士団長にバレるのはまずいのだ。俺の存在がたくさんの者に知られるほどに過去改変が起こりそれは未来すら変えてしまう可能性があるのだから。  しまった、と思う俺とは対称的にフレンは落ち着き払った様子で着ていた外套を脱いで俺の体に巻き付けると、抱き上げて来た。それをいいことにフレンの胸に顔を埋めて隠した。 「こちらは先日お話した城で保護をしている方です。まだ体調が万全ではないのに抜け出して来てしまったようです。病室へ送って行きますので許可をいただけますか?」 「おお、そうだったのか。こちらのことはいいから、すぐにお連れするといい。エル様、でしたかな。お大事になさってください」  後半は俺に向かっての言葉だったので、こくこくと顔を伏せたまま頷いた。  フレンが歩き出して数歩も行かないうちに背後からどよどよと声が聞こえた。 「堅物のフレンが入れ込んでいる麗人はあの方だったのか……。何だか儚げな方だったなぁ」 「仕事の終わりが近づくとそわそわしている気持ちが分かるな」  何だかすごく好き勝手なことを言われている気がした。  病室に向かって歩くフレンにしがみ付いたまま、沈黙に耐え切れず口を開こうとしてそれは叶わなかった。  フレンが先に口を開いたからだ。 「俺は怒っていません。だからそんなに怯えないでください」  その口調が柔らかかったので、伏せていた顔を上げると視線が絡み合った。言葉通りその瞳には怒りの色は無かったので安心した。ほうっと安堵の息を吐く。 「先程は驚かせてしまってすみません。あそこにうずくまっていたエル様を見て肝が冷えてしまったのです」 「そうか……心配をかけて悪かった」 「顔色が青白い上に体も冷たい。随分と無理をして歩いて来たのではありませんか?」 「う……、少しだけだ……。まさか騎士団本部があんなに遠いとは思わなかったんだ」 「俺に用事があったのですか?」  フレンの言葉で自身の失言に気付く。  確かにこれではフレンに会いに行ったと思われても仕方がない。本当の目的を告げられるはずもないので、そういうことにしておこう。 「お前が日中顔を出さないから……何をしているのかと様子を見に行ったんだ」  別にこれは嘘でもないしな。  フレンが日中騎士団の中でどんなことをしているのか正直気になっている。そう告げるとフレンが嬉しそうな恥ずかしそうなそれでいて困ったような……何とも言えない表情を浮かべた。 「そうでしたか……。しかし、どうか今後病室の外に用事がある時には俺を供に付けてください。素性が伏せられている以上、城のほとんどの者はあなたのことを知りません。不審に思われて酷い目に遭わされる可能性だってある。ましてやそのような格好で出歩かれるエル様は無防備なので……とても心配です」 「うん? 無防備とは前もそんなことを言っていたな。どういうことだ?」  フレンは少し考えた後で例え話を持ち出して来た。 「例えば、飢えている狼の中に怪我をした兎が何も知らない様子で歩いてきたら……その兎はどうなると思いますか?」 「む、そんなの決まっている。喰われるぞ」  何て危険な兎なのだろうか。危機感がなさすぎるな。流石のエギルだってそんなことはしない。 「では、もう一つの例を。飢えていない狼がいましたが、そこに本来警戒心が強いはずの兎がやって来てその狼だけには可愛く懐いてきます。しかもその兎は先程と同様に怪我をしていてあまり動けない状態です。この場合兎はどうなると思いますか?」 「ふむ、その狼は飢えていないのか……。だったらすぐに喰われる心配はないかもしれないが……、いや、やはり危険だ。狼が飢えた瞬間に喰われるぞ。というか、何という警戒心のない兎だ! 危なすぎるだろう」 「そう言っていただけて安心しました。ここで例に挙げた兎はエル様であるとお考え下さい」 「は?」  ぽかん、と口を開けて俺を横抱きにしたままのフレンを見上げた。冗談を言っている風でもなく、真剣な表情だった。 「兎が俺だと!? では狼……は?」 「飢えた狼はエル様に下心を抱く者のこと、そして飢えていない狼は俺です。エル様を元の世界へ帰すための使命を胸に掲げて心を律していますが、エル様に可愛らしく無防備に近づかれると俺は未熟者ですのでいつ飢えた狼に豹変するか分かりません」  ここまで言われれば俺でも理解できる。 「……それは欲望を覚えるというやつか」 「っ……。端的に言うと、そうなります」  動揺したのか心なしかフレンがふらついたように思えた。  フレンはどうやら俺に無防備にくっ付かれると欲情してしまうらしい。  婚約者ではなく、俺に……なのか。胸が少しスッと軽くなるような気がしたが、いやそれは駄目だろうと思い直す。  元の世界では何ら問題はないが、ここは過去の世界だ。  今の俺と過去のフレンが性交などしてみろ。過去改変案件だ。絶対に未来が変わる。それは良くない。 「そ、そうか。今後は気を付けるようにする」  俺が神妙な顔で頷くと、フレンも安心したようだった。 「しかしなぁ、お前を呼びつけようにも日中は騎士団で仕事をしているだろう。俺の元に来るまで時間がかかるし、大変ではないのか? ん、そういえば、お前はワープが使えるのではないか? あれを使えば一瞬で来れるな」  名案を思い付いたように手を打つが、フレンは首を捻る。 「俺にワープは使えませんが……」 「そうなのか?」 「それどころか俺は魔術がからきしなのです。魔力量はそれなりにあると言われたことがありますが、使いこなす技術が無くて……お陰で未だに回復魔術の一つも使えません」  元の世界ではいとも簡単にワープを使っていたので、もうとっくに習得しているのだと思ったがそうではないらしい。  ワープは高度な魔術なので、最初にフレンが使用した際に俺も驚いたぐらいだ。  そんな状態だというのに、果たしてフレンはワープをどうやって習得したのだろう……?
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