8話 塔の魔術師と騎士の献身・終

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 これは一体何の冗談なんだ。  蘇った魔王が俺の姿を取っているなんて。 「エーティアが二人だと……」  サイラスが呻くように呟く。  俺と瓜二つの姿になった魔王は唇をニッと吊り上げた後、手を上に掲げた。  その手の平から雷撃が迸って、城中に張り巡らされた結界を全て粉々にしてしまう。奴の使う魔力はまさしく俺のものと同じだった。  まさかこのまま城の外へと逃げ出すつもりなのか!? 「待て!!」  外へ逃げられないように拘束の魔術を魔王に放つ。  光の縄が魔王の足に絡みついた。  忌々しそうに魔王の表情が歪み、それでも空中に浮かび上がると俺達の手から逃れて逃げ出して行く。上階へ向かって。 「追うぞ!!」  魔王を縛った縄からは光の粉が落ちているのでそれを辿れば奴の元に着く。 「サイラス、こうなった以上はあいつの中にある魔力の核を壊すぞ」  駆けながら前を走るサイラスの背中に告げる。 「それでいいのか? それはもう二度と自分の魔力が戻らないということだぞ」 「そうだな。……覚悟はしている」  永遠に自分の魔力を失ってしまうこと、昔の俺だったら耐えられなかっただろう。  だけど愛を知った今ではそれよりも大事なものがあることに気付いたのだ。  顔も知らない奴らのためではない。  俺はフレンのために、あいつの暮らすこの世界を守りたい。  そのためならば魔力を失うことも覚悟の上だ。 「あいつを城の外に出すわけにはいかない。絶対にだ!」  魔王が逃げ込んだ先は王座の間だった。  奴の足には未だ光の縄が絡みついている。解こうと奮闘した跡はあるが、出来なかったと見える。魔力を注いで編み上げた縄だ。そう簡単に解かれてたまるものか。  空中にふわふわと浮かびながらこちらを睨みつけて来た魔王が口を開いた。 「何故いつも邪魔をする」 「なっ、喋った!?」  サイラスが顔を引きつらせる。 「……驚いたな。人語を話すのか」  以前対峙した際には言葉を話さなかったのに、俺の姿を取ったためなのか言葉を操るようになっていた。 「邪魔をするとは人聞きの悪い。貴様がどんな目的で蘇ってくるのかは知らんが、ここで消えてもらう。いくぞ、サイラス」 「あ、ああ。だが……、いいのか? 奴は人の言葉を話しているぞ。話し合いの余地があるのではないのか」  厄介なことにサイラスは迷いを見せ始めた。言葉は人を惑わせる。俺の姿を取った魔王の狙いはこれだったのかもしれない。 「惑わされるな。俺の姿を取っているだけで、奴は人とは違うもの。話し合いなど無用、耳を傾ける必要はない。隙を見せれば殺されるぞ」  その証拠に冷たい表情でこちらを見下ろしてくる魔王の頭上にいくつもの光の矢が生成されていく。  これを作り出しているのは俺ではない、奴だ。ご丁寧に髪の毛までもが青白く光っている。完璧なコピーだ。  つまり俺は過去の自分と対峙しているようなものだ。  どちらが本物の「大魔術師エーティア」かというと……奴の方が近いのだろうな。魔力切れする俺とは違い奴はいくらでも魔力を生み出すことが出来る。  その上奴との相性はハッキリ言って最悪だ。  俺は、俺自身と戦うのだけは絶対に避けたいと思っているのだから。  数百もの光の矢が降り注いでくるので、防御の魔術を展開させてそれらを防ぐ。  俺が矢を防いでいる間にサイラスは魔王に攻撃を仕掛けた。聖剣による攻撃は俺の姿を取っている魔王にも有効のようだ。  こちらが万全の状態ではないように、魔王も復活して間もないので万全の状態ではない。  その表情には焦りのようなものが浮かび、魔王の背中からは何本もの黒い影の腕が伸びて何とか核を攻撃されないように防いでいる。  伸縮自在の黒い腕はサイラスの足元の床を抉った。 「うわっ……!!」  崩れ落ちた床と共にサイラスが階下へと落下していく。 「サイラス!!」  一瞬サイラスの方に気を取られた隙に伸びてきた黒い腕はそのまま俺の体を捕える。その上で「お返しだ!」と魔王の放った光の縄が足に絡みついた。全く身動きが取れなくなる。 「うっ……」  地面へと仰向けに倒された。  胸の辺りに黒い手の平が乗って俺の体が床へと押さえ込まれ、その部分から魔力が吸い取られていく。  こいつは俺を無力化する方法が魔力を奪い取ることだと分かっているのだ。 「……や、めろ……」  黒い手を引き剥がそうと魔術を展開しようとした腕も押さえられる。 「う……はぁ、はぁ……」  急激に魔力が体から抜けていき、頭がくらくらとして体が冷たくなっていくのを感じる。 「エーティアッ!!」  階下へ落下したはずのサイラスが這い上がって来た。 「チッ!!」  舌打ちした魔王が光を放ち、一瞬目がくらむ。  目を閉じて、再び開けた時に飛び込んで来た光景に「やられた」と思った。  先程倒れた場所と位置が入れ替わっていて、魔王が俺のすぐ傍に、同じような姿で倒れていたのだ。 「おい、どっちがエーティアだ!?」  サイラスが困惑の声を上げた。  俺と魔王は顔も、服装も同じ。そして足に絡んでいる光の縄も。 「くそ、俺に成り替わるつもりなのか。俺が本物のエーティアだ!」 「とんだ茶番だ。サイラス、こいつをさっさとやれ!!」  俺達は同時に叫んでいた。  厄介なことにこちらの性格までコピーしている。 「本物はどちらなんだ……」  聖剣の切っ先が迷いを帯びて揺れる。  その時だ。  俺のローブの胸元がもこっと盛り上がったかと思うとエギルが顔を出した。黒い腕には何とか潰されないように逃れていたようだ。 「ぼくがいる方が本物のエーティアさまです―――っ!!!」  戦いが終わるまで絶対に顔を出すなと言い含めていたエギルが、堪え切れずに出てきてしまったのだ。  魔力を急激に失ったことで、本来ならエギルは眠ってしまうほど疲れを感じているはずなのに……。  しかしそのお陰でどちらが魔王かはサイラスに伝わった。 「でかしたぞ、エギル!!」  サイラスの剣が魔王の胸を貫いてそのまま地面へと縫い付ける。  あとは聖剣の力を解放して魔王を消滅させるだけだった。 「や……止めろっ……」  最後のその時、魔王が怯えた顔でサイラスを見上げた。  俺の顔で、声で。  勇者に対して情で訴えかけたのだ。 「嫌だ……殺さないでくれ」  何故サイラスが勇者として選ばれたのか。  それは『すべてを救う資質を持つ者』だからだ。  聖剣の力の解放は起こらなかった。  目の前で涙ながらに懇願されて、それでも目の前の相手を滅することが出来るような奴だったらそもそも勇者として選ばれていないという訳か。  お人好しめ……。  魔王の闇の魔力によって聖剣にピシッとヒビが入り、最後のチャンスが失われたことを知った。  これではもう聖剣の力は解放出来ないだろう。 「この剣を……抜け……」  流石の魔王も聖剣が胸元に刺さったままでは身動きが取れないようだ。苦し気に顔を歪める。それでも最後の抵抗とばかりに魔王の黒い影の腕がサイラスの体に巻き付いた。  互いにそれ以上動くことのできない均衡状態になっている。  俺の魔力では相性の問題で魔王の中にある魔力の核を壊すことは出来ない。  ならば……。  俺は手を伸ばして残った魔力でサイラスの防御力を上げた。今の魔王の力ではこれ以上サイラスを傷つけることは出来ないはずだ。 「すまん、エーティア。お前を必ずフレンの元へ帰そうと思ったのに失敗してしまった。何故だか最後の瞬間に……こいつを滅することをためらってしまった。こうして残った聖剣の力で抑えているだけで精一杯だ」 「そうか……」  地面に転がったまま、魔王に剣を突き立てたまま動けずにいるサイラスを眺めた。 「そのまましばらく抑えておけるか?」 「ああ。それぐらいなら問題ない」 「ならばそのまま抑えておけ」  俺の魔力は吸い取られたことでもうほとんど尽きていて、通常の術を使うことは出来ない。  だがたった一つだけ、使える魔術がある。  『禁術』だ。  これは魔王を倒すための切り札だ。  残った魔力と引き換えにして使うことが出来る。  俺の髪の毛が銀色から青白く光りを帯びたものへと変化し、禁術を解放した。  次の瞬間にはズズズ……と城全体が振動し始めた。 「何をしたんだ……?」 「この城を丸ごと地中に沈めている。そういう禁術だ。この後俺が死ねば体の中に溶け込んでいる魔術球によって地中で爆発が起こる。魔王はおろか魔力の核も全てが吹き飛ぶだろう」  地中深く潜り込んでいるお陰で地上への被害は最小限で済むはずだ。  次に魔王が復活するのは確実に数百年後だ。 「ハ……、すごいな。俺達に全てを任せると言っていたベルフレイユ王だったが、流石にこれは想定外だろうな。全部消し飛ばすなんて、確実に怒られるな」 「魔王を見逃せば結局は世界が滅びる。城の一つや二つ我慢してもらおう。それに……顔を合わせることもないだろう。後のことは知るものか」 「……それもそうだな」  互いにもう地上へは戻れないことを知っている。  もしかしたらと思っていたが、その通りになってしまったな。  お前の元へ戻れなくてすまない、フレン。  心の中でフレンに詫びる。  俺の魔力はもうからっぽなので、動くことは出来ない。体がひどく寒い。  もぞもぞと再びローブの胸元が盛り上がって、エギルが這い出てきた。  魔力が尽きたことでエギルはただの兎のようになってしまって、もう言葉を話すことはない。それに足元がふらふらと覚束ない。それでも少しでも俺を温めようとしてくれているのか顔のすぐ傍に丸まった。  最期の時にただ一人ではないことに心が慰められる。  ふわふわと柔らかい毛に頬を寄せた。 「エーティア……まだ意識はあるか」 「何……だ」 「これが最期だからこの機会に聞いてもいいか?」 「ああ……」 「お前が魔力を失ったあの時、塔へ行ったのがフレンでなかったら……お前は俺を受け入れてくれていたのか」  最期に聞きたいことがそれとはな。  重くなった瞼をわずかに持ち上げる。 「あの時の俺は意識がほとんど途切れていたから受け入れていたのかもしれないな。……だがそれ以上には発展しない。魔力供給の相手、ただそれだけだ。俺が番に選んだのはフレンだったからだ」  胸を焦がすほどの想いも、自分の魔力を失ったとしても世界を守りたいという気持ちも、フレンが相手でなければ抱くことのなかった感情だ。  あいつだけが俺の心を揺り動かす。 「そうか。それが聞けて良かった。ずっと気になっていたんだ」 「……そんなことを、ずっとか。……馬鹿だな」  サイラスには魔王討伐の旅の間、闇の魔力の浄化をしてくれと何度も誘いをかけられたことがあった。  闇の浄化、すなわちそれは体を重ねることだ。  この俺に対してふざけたことを言う奴だと嫌悪の対象にしていたが、奴は奴なりに真剣だったのだなと今なら思う。最期の間際にこんなことを確認するぐらいには。  俺がその想いに応えることはないのが分かっているはずなのに。  本当に……馬鹿だ……。 「先程の言葉は忘れてくれ。一緒に逝くのが俺で悪いが、旅の仲間として付き合ってくれると嬉しい」 「……仕方ない、な」  どの道もう戻ることは出来ないのだ。  せめてそれぐらいは付き合ってやるか……。  今度こそ瞳を閉じると、死を感じさせる冷たい闇が体を包んできた。  ああ……嫌だ。  冷たい闇が怖くてたまらない。俺という存在、心、全てが消えて無くなっていくようで体がぶるぶると小刻みに震える。  フレンに会いたい。  あの温かい腕に包まれていたいと思った。そうであればこんな闇は少しも怖くないのに。  そんなことを考えていたからだろうか。  唇に何かが乗った気配を感じた。  誰かに口づけられている。だけどこの場にフレンがいるはずはない。アリシュランドに置いて来てしまったのだから。  だったらこれは一体誰なんだ。 「や……」  抵抗のため弱々しく持ち上げた腕を取られて床へと押し付けられる。  嫌だ、やめろと顔を背けるが、傾けかけた頬を押さえられて逃げられない。 「んん……」  魔力が体の中に流れ込んでくる。  それはよく知る白い魔力だった……。  からっぽの体に抵抗もなくすんなりと馴染んでいく清らかな魔力。  重たくなった目を開けると、端正な顔立ちが視界に飛び込んで来た。  俺は夢を見ているのか?  絶対にいるはずのないフレンが、どうしてここにいるのだろう?
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