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次に目を覚ましたのは塔の自室のベッドの上だった。
あれからどれぐらい時間が経過したのかは分からないが、すでにサイラスやアゼリアとは別れた後のようで、彼らの姿はない。
眠っている間に何度か口づけによる魔力供給を受けていたのかもしれない。魔力は十分足りているとは言えないものの、体の具合の悪さは治まっていた。
「ふぁ……。ぼく達戻って来たですか」
隣に眠っていたエギルが欠伸をしながら顔を上げた。
「あっ、フレンさま。フレンさま~!」
フレンの姿に気付いたエギルが腕の中に飛び込もうとするが、直前でピタッと足を止めてしまう。
いつもは手を広げてエギルを迎え入れようとするのに、フレンは無言で直立不動のままだった。
何かがおかしいとそこでエギルも気付いたらしい。おろおろして、遠慮がちにフレンを見上げる。
「あ、あう……。フレンさま。お、怒っていますか?」
びくびくと足が小刻みに震えている。
「ああ、エギル。俺は怒っているよ、とても」
「はひゅっ!」
エギルの耳がピーンッと立ち上がって、それからしおしおと力なく垂れていく。
「どうして怒っているか、分かるだろうか?」
「……はい。分かるです。フレンさまを置いて行ったから怒ってるです。ごめんなさいです……ふぇ」
「君がエーティア様の使い魔である以上主人の言葉に従うのは当然だ。それでもよく考えて欲しかった。エーティア様の命をお守りする最善の方法を。俺が共にあればエーティア様をあのような目に遭わせはしなかった」
フレンの静かな怒りが伝わってくる。
俺達はこの塔の中で最も怒らせてはいけない奴を怒らせてしまったようだ。
怒鳴られているわけでもないというのに、空気が冷えていく感じがしてエギルも俺も小刻みに体が震える。
「エギルがエーティア様のことを大切に思っているように、俺もそうであることを忘れないで欲しい。もしも同じことがあった場合、次はどうするべきか分かるね?」
「は、はひ。絶対にフレンさまを置いて行かないです!!」
「ああ、そうだな。そのためならエーティア様に全力で逆らってくれるか?」
「はいですっ!!」
「ああ、それでいい。判断に迷うことがあった場合は?」
「フレンさまに相談するです!!」
「上出来だ」
「はいですっ! ありがとうございますですっ!!」
エギルがピッと背筋を伸ばして、さもフレンの部下であるかのようないい返事をした。
おい。お前は俺の使い魔ではないのか、エギルよ……。
そこでエギルに対しての怒りが解けたようで、フレンはやさしくエギルを抱き上げた。
「それでもあの時、君が言ってくれた『ずっと三人で一緒に暮らしたかった』という言葉が嬉しかった。ありがとう、エギル」
「ふわぁぁん、フレンさまぁ」
エギルがフレンの胸に頭を押し付けて涙を流した。
すごく綺麗にまとまった。
これで感動のラストということでいいのではないのか? そう思ったが、どうやらそうもいかないらしい。
「さあ、エギル。俺はまだエーティア様と話すことがあるから部屋に戻っておいで。今日はもうお休み」
「はいですっ!」
「ま、待て……!」
エギルを引き止めようと手を伸ばしたものの、それより前にダダダダッと転がるようなすごい勢いでエギルが部屋を出て行ってしまった。
エギルはあれでいて空気を読むのが絶妙に上手い。
あれは恐らく全力で逃げたのだ。
フレンと二人で部屋に取り残される。
次に責められるのは自分の番だということを悟った。
***
「緊張されているのですか?」
フレンがベッドに腰を下ろしてこちらに距離を詰めてくる。指摘されて知らず知らずのうちに体が強張っていたことに気付く。
「う、ん……だって、お前、まだ怒っているだろう?」
「怒っていないと言えば嘘になりますが、エーティア様が俺を置いて行った理由を考えれば理解はできます。俺を死なせまいとした。それはつまり俺ではあなたの役に立たないと、足手まといだと判断したということになります。実際過去の俺の未熟が原因であなたを何度も悲しませてしまいました。あなたの判断だけを責めるのはフェアじゃない。当然俺にも非があります」
だから俺を責められないとフレンは言った。
「あ、ああ」
「魔王を倒し万事解決したのでこれで終わりとしたいところですが、これから先伴侶として生涯を共にするのなら今後のためにも胸の内をさらけ出して話し合いを続けたいと俺は思います。いかがですか?」
それは必要なことなのだと思う。
特にフレンは俺を困らせまいと気持ちを胸の内に秘めてしまうところがある。伴侶として生きていくのだからモヤついた思いは残しておかない方がいいだろう。
「そうだな……」
そう答えた瞬間に強く抱き寄せられた。
「あなたが俺を死なせたくないと思ったように、俺もそうだということを知ってください。倒れているエーティア様を見た時には心臓が止まるかと思いました。あなたを失ったら俺は生きていけません」
小さくフレンの体が震えているので、背中に腕を回して抱き締め返す。
「悪かった……。もうお前を置いて行ったりはしない」
「そうしてください」
そのままぎゅうぎゅうと抱き締めた状態で離れようとはしない。
「……フレン?」
「サイラス様と二人で行ってしまったエーティア様のことを思い出すと胸が引き絞られる心地がします」
「あいつは勇者だから共に行っただけだぞ」
「それは分かっています。それでも……あのまま俺とアゼリア様が間に合わなければサイラス様と共に果てられていたのだと思うと、苦しくてたまらない」
以前は剥き出しになっていたサイラスへの嫉妬が最近落ち着いていたと思ったが、ここへ来て再び噴き出してしまったようだ。
これは困った。
嫉妬される覚えがあるだけに、どう落ち着かせたらいいものだろうかとしばし考えこむ。
そうこうしていると抱き締めている状態からフレンがわずかに顔を離してこちらを覗き込んでいた。全てを見透かすような視線だ。
「サイラス様と何かありましたか?」
疑問形ではあるが、それは「サイラス様と何かありましたね」という言葉と同義だった。
カチ、と体が固まる。
「こういう時、常ならばエーティア様は『あいつとは何もないぞ』とハッキリと答えるのに、先程は困ったように瞳を伏せられました。あなたは嘘が付けない方だ。教えてください。一体どのようなことをサイラス様に言われたのですか」
「んぐ……」
何という鋭さだろうか。
フレンがわずかばかり温度を下げた瞳をスッと細める。
「浮気は良くない」
「う、浮気などしていないぞ! 大体白き翼の一族の特性は知っているだろう。番以外に心を向けることなどあり得ない」
ぼそっと呟かれたフレンの言葉に反論した。
「番以外の者と共に死ぬのは浮気に当たらないと? ではあの時の状況をエーティア様とサイラス様ではなく俺とアゼリア様に当てはめてお考え下さい。エーティア様はそれでも平静でいられるのですか」
フレンとアゼリアが二人きりで死ぬだと!?
あの時の状況をフレンとアゼリアに当てはめて考えたら、胸に言いようのない気持ちがムカムカと込み上げてきた。
「そんなの絶対に駄目だ。許さん!」
そう口にしてから、しまったと思った。これでは自ら後ろめたいものだと認めているようなものじゃないか。
「……それで何を言われたのですか?」
「うぅ……!」
再度フレンに促されて、しぶしぶと白状する羽目になった。
「最期に聞きたいことがあるとサイラスに言われてな、その内容は『お前が魔力を失ったあの時、塔へ行ったのがフレンでなかったら……お前は俺を受け入れてくれていたのか』というものだった」
「そう……ですか。エーティア様は知ったのですね。サイラス様の気持ちを」
その表情が、瞳が暗くなる。
以前嫉妬心を剥き出しにしてサイラスを塔へ近づけまいとしていたフレンは、奴が俺に向ける気持ちに気付いていたのだろう。
サイラスの言葉に何か思うところがあるようだ。フレンもまた奴と同じようなことを考えているとしたら心外だな。
フレンの頬を両手で包み込むと、驚いたようにその瞳が開かれる。
「あまり見くびるなよ。お前を番に選んだのは俺の意思だ。他の奴では駄目だ。お前でなければ選んでいない。……分かるな?」
「はい」
目を閉じて額を合わせてきたフレンは、そのまま言葉を繋げた。
「愛しています。心から……」
胸の奥を震わせるこの言葉をもう一度聞くことができて嬉しい。
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