1話 塔の魔術師と騎士の献身

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「エーティア様!!」  力の入らない体が、いつの間にか傍に居て跪いたフレンによって背を支えられて抱き起こされる。俺の魔力はフレンをも攻撃するのかと思いきや、実際はそうならなかった。  体の周りに展開されていた雷の膜は色を失い、ゆっくりと溶けるように消えて行く。 「あ……っく、はぁ…は……」  魔力の放出は収まったものの、すでに魔力のほとんどを失ってしまっている体はどんどん熱を失っていく。 「さむ…い……」  体が小刻みに震える。 「エーティアに魔力を注がなければ!」 「それは俺の役目です。たとえあなたであろうとエーティア様に触れさせるわけにはいかない」  フレンと勇者の何かを言い争うような声が頭上で交わされている。目の前にあるフレンの服らしきものを力の入らない手で弱々しく握った。  ハッと息を呑むような気配がした後、唇に温かいものが落ちてくる。そして体によく馴染んだ魔力が注がれる。  いつも口から入ってくるのは微量の魔力だったが、今は違った。 「ん、く……」  大量に流れ込んでくる魔力に驚く。こんなに一気に注がれたことは初めてだ。 「う……ゃ」  咄嗟に顔を背けようとするが、背を支えるのとは別の手が頬を押さえているので逃げられない。 「怯えないでください、エーティア様。俺の魔力はあなたを傷つけません」  そう、だ。フレンは決して俺を傷つけたりしない。抵抗を止める。  舌を出すよう促されて、素直に従う。絡まり合う舌から、さらに魔力が流れ込んだ。  意識がはっきりと戻ってくる。視界が明るくなると、こちらを見下ろしているフレンとその肩に乗るエギルの顔が見えた。  周囲にはこの騒ぎにざわめく多くの者達もいる気配がするが、俺の位置からはフレンに隠されるようになっているので見えない。  どこか思い詰めたような表情のフレンが口を開く。 「ここから離れます!」  横抱きにされてフレンが立ち上がったのと、ワープの魔術が展開されたのはほぼ同時のことだった。  辿り着いた先は俺の住処である塔だった。ベッドの上に降ろされる。  頭の中は混乱でいっぱいだ。ワープはそこそこ高度な魔術にあたる。魔力量が少ない者には使えない。つまり、フレンは魔力量が少ないどころか多い部類に属している。 「お前……ワープが使えたんだな」  これまでの振る舞いからあえてフレンが自分の魔力量を少なく見せているようにしていたのは間違いない。一体何故そんな振る舞いをしていたのか? 理由が分からない。 「その話は後ほど。それよりも、先に話をさせてください。ここ最近のエーティア様は何故俺を遠ざけられるのですか。今日もそのせいで助けるのが遅れました。……あなたにとって俺はもう不要の存在ですか」 「何……? それは違うぞ」  思い詰め、瞳を暗くしたフレンがベッドの脇に跪く。 「果たしてそうでしょうか。だったら何故俺を追い払った後、サイラス様とあれほど親し気に話をされていたのか。内容をお伺いしても?」 「サイラス……ああ、勇者のことか。親しくなどしていない。あいつはいつもやかましく俺に絡んでくるだけだ」  じっとフレンは俺の言葉の続きを待つ。答えるまで絶対にここから離れないという強い意思を感じる。 「お、お前の話をしていたんだ。俺はどうやらワガママらしくて、お前をこき使っているのではないかという話になった。確かに俺もここ最近思うところがあったから、なるべく迷惑をかけまいとしていたんだ。城でも俺の世話ばかりでは息も詰まるだろうと思って……。追い払っていたわけじゃない」 「もしや、それでここ最近ご自分で歩かれるようになったのですか?」 「ああ、そうだ。エギルにも言われたんだ。自分の足で歩くのは自分の体のためにもなるとな」 「なるほど。……それから?」 「それから……?」 「まだ続きがあるのではないでしょうか。肝心のエーティア様が倒れられた下りの話をお聞きしていません。魔力を使い切ってしまうほどの話がそこにはあったはず」 「ぐっ…」  鋭すぎる。穏やかに促されているはずなのに、何故だか酷く問い詰められているような気分になるのは何故だろう。それにどうしてか自分が悪いことをしていたような気にもなる。悪いことはしていなかったと思うが。 「勇者の奴が言ったんだ……ぞ? フレンは魔力があまり多くないみたいだから、その負担を減らすために自分が魔力供給役になるのはどうかと……ひっ」  フレンの手が俺の手首を握った。決して強くない力なのに、そこからは異様な圧を感じた。 「駄目です!! その役目だけは譲ることはできません。……あなたに触れるのはこれからも俺だけでありたい」  塔に来てから俺の意思を優先させ続けて来た男がハッキリと自分の意思を口にする。 「あなたをお慕いしているのです、エーティア様」 「何っ……。俺を…!? 勇者曰く俺は『ワガママで高慢でめちゃくちゃムカつく』らしいから好かれる要素はないと思うが」 「……ここでサイラス様の話は聞きたくありませんが、確かに…俺もあなたが勇者の一行として旅をしていた際は誤解を抱いていた部分が少なからずありました。エーティア様は俺のことを認識していなかったでしょうが、俺はあなたを存じ上げていました」  フレンの言葉に目を見開く。 「当時のあなたは誰よりも強く、ひときわ光り輝いていました。しかしその一方で他者を寄せ付けない触れると怪我をするような鋭さも持ち合わせていました。それを見て俺は『きっとこの方は孤高に生きていく心の強さがある』のだと思い込んでいました。そして魔王が討伐され、あなたが体調を崩されたという話が持ち込まれました。世話人として俺が選ばれて騎士団を辞めざるを得なくなった時、正直に申し上げますと……納得のいかない気持ちを抱いていました」  それはそうだろうと思う。華々しく活躍していた騎士団を辞めさせられて、辺境の地で気に食わない男の世話をさせられるなど我慢ならないことだったろう。  フレンが見たかつての俺の姿。偽ることなく正直に語られる言葉に口を挟むことなく耳を傾ける。 「ですが、これも国のための役目だと割り切り、塔へやって来たところ……そこで魔力を失い苦悩されるエーティア様のお姿を目にして……どうしようもなく胸が揺さぶられたのです。その時よりこの方の泣かれる姿は見たくないと、俺のこの先の人生を捧げてお仕えしようと心から決意しました」  あの泣いた日のことを持ち出されてカーッと頬が熱くなる。誰かの前で泣いたのは後にも先にもあの一回きりだ。魔力を失いどうかしていたのだ、あの時は。 「忘れろ。あれは……不覚だった」 「無理です。泣かれるお姿を見たくないというのは本心ですが、エーティア様の心に触れられたあの時の言葉にならない思いを忘れることは出来そうにありません」 「ぐぐ……。よくもまあそんな恥ずかしいことを臆面もなく言えるものだ」 「偽らざる気持ちですので。どうかエーティア様、俺のこの心に免じてサイラス様の魔力供給を受け入れないでください。これからも俺だけを傍に置いていただきたい」  真剣で、それでいて乞うような瞳で見上げられる。あまりにも真っ直ぐで曇りも何も無いから眩しくて視線をわずかに逸らす。 「俺には、恋い慕うという気持ちがよく分からない。これまで考えたことも無かった」  真っ直ぐな気持ちを向けられ、それに煽られるように思っていることを素直に打ち明ける。 「……だが、勇者にフレンは魔力量が少ないから供給役に相応しくないのだと言われた時、あいつに魔力供給をしてもらう必要があるかもしれないと思ったら……防御の魔術を展開していたんだ。俺の魔力が一気に減ったのはそのせいだ。あの魔術、エギルとお前だけは攻撃しなかった。つまり、俺は無意識的に勇者には触れられたくない、魔力供給の相手はお前でないと嫌だと……そう思っていたことになる」  食い入るように見つめられているのを感じ、さらに視線を逸らしていく。 「お前と同じ気持ちを返せるのかは分からんが、これから先もお前だけを傍に置くと約束する。……これでいいか?」  俺が言葉を紡ぎ終わると、視界の端に映ったフレンの顔が黄金色の髪の毛と同様にこれ以上ないほど輝いた。 「はい、俺には充分すぎるほどの言葉です」  どうやらフレンの納得いく答えを返せたようだ。  さて、ここからはこちらが尋ねる番だ。改めてフレンに向き直る。 「…それでお前が魔力量を隠していた理由は何だ? わざと俺に魔力を渡さなかったな?」  そう指摘すると、嬉しそうに輝いていたフレンの顔が一気に気まずそうな表情に変わる。そして重々しく口を開く。 「初めの頃は、魔力の反発を抑えるために一息に注ぐ訳にはいかなかったのです」  フレンの持つ魔力と俺の持っていた魔力とでは当然ながら質が違う訳だから、どうしても初めの時は反発が起こりやすい。  反発というのは、魔力を注がれた側に魔力酔いとして現れる。酒に酔った状態といえば分かりやすいだろうか。酩酊状態ならまだ良い方で、反発が大きすぎると最悪死に至ることもある。  だからこそフレンの魔力が俺に馴染むまでは慎重に、量を加減しながら注いでいったのだという。 「その理論は知っているが、あれからもう四ヶ月経った。俺ももうお前の魔力に馴染んでいる。大量に注がれても問題ないはずだ。それなのに小刻みに供給した理由は何だ?」 「それは先程お話した理由と直結します、エーティア様。お慕いしているからこそ、魔力供給という理由を言い訳にあなたに触れました」 「ほう…。つまりお前は何度も俺と性交したくて、魔力が少ない振りをしていたと。ワープまで使えるところを見ると魔術をそこそこ学んでいて、魔力量も多いはずだ。本来なら月一、二程度の供給で済むところを二、三日に一度の頻度にして」 「端的に言うと、その通りです」  恥ずかしそうに目元を染めていたフレンだったが、指摘を受けて完全に吹っ切れたらしい。ベッドに乗り上げてきて、俺の体を引き寄せた。すっぽりと抱き締められる。 「あなたには嘘や偽りもなく誠実でありたい。しかしあなたを誰にも渡したくなくて俺だけのものにしていたい、そう考え狡く立ち回る姿もまた俺なのです。どうか、こんな俺を受け入れてください」  狡いとフレンは自身のことを評するが、俺はこの男ほど誠実で献身的な奴を見たことが無い。 「言ったはずだ。これから先もお前だけを傍に置くと」 「ありがとうございます。あなたに深くまで触れさせていただいても?」  魔力供給をするならば、そういった内容のことを告げてから俺に触れていた。だが今はそうではない。関係性が少々変化したことにより、フレンは魔力供給関係なしに俺に触れたいのだと理解した。 「……許す」  そう答えた瞬間に、噛みつくように口づけられて、フレンの舌が俺の口内をまさぐる。性急でやや乱暴にも見える仕草はいつものこの男らしくない。よほど余裕がないと見える。だが、その性急さに煽られるように俺の気分も高まっていく。  俺のローブは何重にも布を重ねたようになっていたから、さぞや脱がすのに時間がかかるだろうな……と思っていたのだが、フレンの手に掛かるとするするとあっという間に脱がされていく。 「何…だ、このローブの構造はどうなっているんだ」  目を丸くしていると、覆いかぶさっていたフレンが唇の端を持ち上げた。 「脇のところに隠しボタンがあって、そのボタンを外さない限り脱げない構造となっています」  そんなところにボタンが隠してあったとは。思わず「ほう…」と感心してみせたものの、それでは構造を知らない俺自身も脱げないではないか。大体このローブ自体に何重もの防御の魔法がかかっていて、破くことも出来そうにない。そのことを指摘すると「エーティア様のお召し替えは俺がしますので問題ありません」と言われて、それもそうかと納得した。  こんな複雑そうなローブ、自分で脱ぎ着しようとは思わなかった。そもそも朝は大抵眠くてぼーっとしている間に服を着せ替えられている。 「フレンがいないと脱げない服か。まったく、用意周到なことだな」  貞操帯でも身に付けさせられている気分だ。 「勇者対策ですよ」  とぼそぼそつぶやかれた気もしたのだが、気のせいか?  ぼーっとしている間に、周りをガチガチに固められていたという訳だ。存外したたかな男らしい。だが、それでこそ俺の世話人として相応しい。ただの凡庸な男では務まらなかっただろうからな。
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