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バタバタと目立つように廊下を走っていく。そのお陰であっという間に武官達に見つかった。
足枷の魔術が発動したためか、アゼリアの精神魔術は解けてしまったようだ。奴らは本来の仕事を思い出し、こうして追い回されているというわけだ。
「いたぞ!」
「絶対に奥の宮から逃がすな! イライナ様以外は傷つけても構わん!」
後方にいたリーレイとフェイロンが追い付いてくる武官達を蹴散らしている。
普段はおどおどしているフェイロンも戦いになるとスイッチが切り替わる。懐に忍ばせていた小剣で巧みに剣の攻撃を防ぐ。
気弱な雰囲気は消え、そこにあるのは隙のない立ち姿だ。
勇者一行として女神に選ばれただけのことはある。そもそもただの凡人だったら選ばれていない。
「な、何だこの女官達は!! 強すぎるぞ! ん、本当に女官なのか?」
武官達の疑問の声に、そこでフェイロンとリーレイの二人は自分達が女装をしていたということを思い出した。
気まずそうに互いに顔を見合わせる。正気に戻った武官達に自分達が男だということに気付かれたら終わりだ、そう思ったのかもしれない。
「お前らは気絶しとけ!」
「ごめんなさいっ! 寝ててくださいね!」
リーレイもフェイロンも彼らの記憶に残らないよう速やかに武官達を気絶させていく道を選んだ。
そうして敵を倒しながら引き付けつつ屋上へと向かった。
屋上へ出たところでいきなり結界が現れて辺り一帯が覆われる。それは俺達が逃げられないようにするためのもの。
ほう。なかなかいいタイミングで発動させたものだ。感心していると背後から声が掛かった。
「待て、イライナ。私の元から離れて逃げ出すことは許さん!」
肩越しにちらりと背後の人物を眺めて驚く。その身に纏う雰囲気、装いからいっても間違いない。
この結界を作り出したのは皇帝本人だったのだ。
いいところに来てくれた。
皇帝に向かって振り返り、ニヤッと笑ってみせる。すると目の前の顔が驚愕に変わった。
「残念ながら俺はイライナではないぞ。側妃にしたいのなら姿ぐらいきちんと認識したらどうだ?」
皇帝は少なくともサイラスよりも年上に見える。三十代ぐらいだろうか。
生憎俺には人の美醜の判別が付かないが、恐らく悪くはない容姿なのだろう。この国では神のような扱いを受けているためか尊大そうな顔つきだ。まったく気に入らない。
「お前は男か!? 一体どこから忍び込んだ! イライナのいる部屋には結界が張ってあったはずだ」
「正面から堂々と入らせてもらったぞ。結界など賊には効果があるだろうが、魔術師には無効だ。本当ならすぐにでもここから脱出できるのだが、こうしてわざわざ同胞が世話になった挨拶に来てやったぞ。ありがたく思え」
「イライナの同胞、白き翼の一族か。自分の腕が良いことをひけらかしているのか?」
「ひけらかす? この程度で? ふ、この皇城全体を覆う結界を張ったのはお前だろう。こんな結界など俺だけでなくその辺の魔術師にだって破れるだろうさ。女にばかり目を向けていないで魔術の勉強をし直せ、未熟者が」
魔術師なんて生き物は総じて自分の魔術に自信と誇りを持っている。自分の結界を破られるわけがないと。だからこそあえて相手の腹が立つだろう言い回しをしてやる。
「うお……めちゃくちゃ煽ってんなー」
こちらのやり取りを聞いているリーレイがぼそっとつぶやいた。
ああ、そうとも。俺はこいつを煽り倒している。
皇帝だか何だか知らないが、弱き者を無理矢理捕えて従わせようという心根が気に食わない。鼻っ柱を叩き折ってやりたい。
「く、ふふ、ははは!」
しかし何故だか皇帝は怒るどころか笑い出した。
「面白い。私にそのような物言いをした奴は初めてだ。お前、名は何と言う」
「ふん、貴様に名乗る名などない」
「ほう、だったら自分から名乗らせるまでだ! 奴らを捕らえろ!」
皇帝の傍に控えていた大勢の武官達が一斉にこちらに押し寄せてきた。一体どこからこんなに湧いて来たのか。数に任せて捕えようというつもりだ。
しかし俺の前に立ちはだかった三人のかつての仲間達相手では力不足と言えよう。
「しっかしすごい数だなぁ」
「おっしゃ、来いやーっ!」
「うわぁ、痛い思いをさせますけどごめんなさいっ!」
それぞれが緊張感のない言葉を放って武官達を吹っ飛ばしていく。
これでは俺のすることが何も無いではないか。
そう思ったが、皇帝の手の平に炎の塊が生み出されていくのが見えた。
正気か? こんな大勢人のいる場所で炎を放つつもりなのか。
それに魔術で勝負を挑んでくるとはいい度胸だ。分からせてやる。
奴が炎をこちらに向けて放つよりも早く俺の雷撃が奴の手を撃った。バチバチと光が走って炎を打ち消す。
「ぐっ……、何という速さだ」
苦悶の表情を浮かべて撃たれた右手を押さえる皇帝。奴が驚くのも無理はない。先に生み出された炎よりも早く雷撃を食らわせたのだから。
この程度の簡単な魔術ならば空中に陣を描く必要も、頭の中で陣を思い浮かべる必要もない。息を吐くように自然に出来る。
生憎これはほとんどの者に出来ないことらしいが。
「皇帝よ、俺の前にひざまずけ」
持ち上げた手の平を地面に向かって振り下ろす。その瞬間に皇帝を始めとする武官達も全員が地面に膝をついた。
「な、何だこれは。体が重い……!」
重力を与える魔術で立ち上がれぬよう地面へと押し付けたのだ。奴らはまるでこちらに向かって一斉に土下座でもしているような姿である。
強制土下座の魔術と名を付けてもいいかもしれない。
この場に立っているのは俺達勇者一行の四人だけだ。
「こ、これはまた壮絶な魔術を……」
「や、やばい……」
サイラス達は顔を引きつらせて少々引いているが、それを無視して悠々と歩いていって皇帝の目の前に立つ。
「どうだ。お前が虐げた白き翼の一族の血を引く者にひざまずかされる気分は。何の抵抗も出来ないのはさぞや辛かろう」
「う……、お前とイライナの関係は何なのだ? 番なのか? だからそんなにも怒っているのか」
「同胞という以外繋がりはないな。偶然会っただけだ。ただ……、あの娘を哀れに思う。あれは番に先立たれ絶望している。いくら時を経ようとも悲しみが癒えることは無いし、お前のものになることはない。放っておいてやれ」
「放っておく……だと」
皇帝が重力に逆らって顔を上げる。
地面についていた奴の手の平の下には光の陣が描かれていた。
「……!」
陣が光り出し、そこから飛び出して来た光の縄が俺達四人の体に絡みついて拘束される。
奴は地面にひざまずいていた時に密かに陣を描いていたのか。少し油断し過ぎたな。
「それならばお前が私の元へ来い!」
重力の魔術が消えて立ち上がった皇帝のギラギラした目がこちらに向けられた。
「はぁ?」
「ますます気に入った。イライナを哀れと思うのならお前が代わりに私の元へ残れ。あれを失うのは少々残念だが、この大雪にも困らされていたところだ。それにお前にはあれ以上の価値がある。美しさも、魔力の高さもその生意気な内面にさえ全てに惹きつけられる。この私にこのような真似をした者はこれまで一人も居ない。お前を屈服させて私のものにしたい。ここにとどまるならイライナのことは放っておいてやろう」
べらべらと熱量高く語られて寒気を覚える。
「わあ。やばいぞあいつ散々やり込められて変な扉を開いてる……。あの人の周りにこういう高慢なタイプ絶対いなかっただろうしなぁ。何か惹きつけられるもんがあるのかな……」
リーレイが頭を項垂れさせた。
「お前が涙を流してひざまずき、この私に愛をささやいたら仲間達のことも見逃してやろう!」
こちらに向けて手が伸ばされる。
「駄目ですーっ!!」
そう叫んで懐から飛び出して来たのはエギルだった。ぺちっと皇帝の手を叩いて、そのまま地面へと降り立った。
「うわっ、何だ!? 兎か!」
エギルはピョンピョン飛び跳ねて抗議した。
「エーティアさまはフレンさまと結婚するです! だから絶対絶対ダメです! ここにはいません。帰るんです!」
「お、おい、エギル!」
エギルは興奮のあまり俺の名もフレンの名も叫んでいた。
すぐに自分の失態に気付いたエギルが口を押えて「ぴゃっ」と体を震わせた。
「あわわ、ぼく、ぼく、口が滑っちゃったです」
「気にするな。名を知られたとてどうということはない。こいつの言った通り俺にはすでに番がいる。諦めろ」
前半はエギルに、後半は皇帝に向かって言った。
体を拘束していた光の縄を魔力で引き千切る。光の粒になってポロポロと剥がれ落ちた。ついでにサイラス達の縄も解いた。
「私の拘束の術すら破るか。エーティア……聞いたことがあるぞ。最高峰の魔術師の名だ。間違いない、お前がそうなのだな」
「ほう。俺の名を知っていたか。こんな場所にまで届いているとはつくづく厄介な名だ」
大魔術師エーティアではなく塔の魔術師として生きて行きたいのに、その名の持つ力が大きすぎてままならぬものだ。
「ますますお前が欲しくなった。何としてでも手に入れたい」
そこへ割って入って来たのはサイラスだった。
「待て待て! 黙って聞いていたが言わせてもらおう。男なら一度ふられたら潔く諦めろ! この世にはどうやったって手に入らないものがあるんだ」
サイラスの言葉に内心では(お前も大概しつこかったがな……)と思ったが、黙っておく。
「何だお前は。お前がフレンと言う番の男なのか?」
「残念ながら違う。俺の名は勇者サイラス。ここにいるのは魔王を倒した勇者一行だ」
「わーっ、馬鹿、バカサイラス! 完全に正体を明かしてるんじゃねえよ!」
慌ててリーレイがサイラスの口を塞ぐが遅かった。
「むぐむぐ、ぷはっ。ここまで来たらもういいだろう。隠していたって仕方がない。ここに侵入したのはこの国に降る大雪の原因を突き止めるためだ。俺達は勇者だからな、困っている民は見過ごせないんだ」
「なるほど、それでイライナを解放しに来たのか。侵入の経緯は分かったが……勇者一行は女装の趣味でもあるのか」
「ほーらーぁ! これだから嫌なんだ!」
「うぅ、誤解です……女装は潜入のためですからね」
皇帝のじとっとした目に頭を抱えるリーレイとフェイロン。
「そういう訳だから捕えて無理矢理言うことを聞かせようとしても無駄だ! 今後エーティアに手出ししようとしたら俺達三人も相手になる」
「それに関しては同意です。エーティアさんは僕達の助けなんて必要ないかもしれませんが……一緒に旅した仲間ですから!」
「おうよ。俺もぼこぼこにしてやるぜ!」
「お前達……」
不思議なことに胸の辺りがほのかに温かくなるような気がした。首を傾げていると辺りがパッと光った。
奥の宮を脱出したというアゼリアからの合図が来たのだ。
もうちょっと皇帝に仕置きをしたいところだがここらが潮時か。俺達も引き上げるとするか。
バリン、と音を立てて屋上を覆っている結界を割る。光の粒子が降り注いでそれらは地面につく前に消えていく。
「魔術を使うとその髪は光るのか。まるで……夢でも見ているように美しい……」
うっとりとした視線を向けられて、深くため息を吐いた。
「しつこいのも高慢なのも嫌いだ。お前を見ているといらいらする」
何だか以前の自分を見ているようでいらいらするのだ。
自ら進んで弱き者を虐げたり、苛めてやろうと思ったりしたことはないが、能力の劣った者に対しては冷たい目で見下していたように思う。
奴にいらつくのは同族嫌悪なのかもしれない。
「俺が涙を流してひざまずいてお前に愛をささやく? 絶対にあり得ないな」
「フレンといったか。そいつを殺してしまえばお前は私のものになるだろうか……うっ」
皇帝が呻き声を上げて倒れたのはこちらが即座に雷撃を放ったからだ。
よくもそんなことを言えたものだ。
「いい加減にしろ、耳障りな言葉を吐くな。廃人のようにして何も物が考えられないようにしてやろうか」
雷の魔術の威力を高め、徐々に痛みを強くしていく。
「ぐ、う、う……っ、私は諦めないぞ……必ず、お前を……」
「本当にしつこい奴だ!」
バチン、とひときわ強く雷撃を食らわせて、奴が気絶したところでサイラスに止められる。
「おい、それ以上は止めておけ。下にフレン達が来ている。もう行くぞ」
流石にここまでやればもうこちらに手を出してくる気もないだろう。残った武官達もすっかり戦意喪失して座り込んでいる。
フレン達と合流するためワープを発動しようとして、ピタッと動きが止まる。
下に見えるフレンはこちらを見上げているが、そのすぐ傍にはイライナがいて、不安そうな顔でフレンの服の裾を握りしめている。
それを見た途端に体から急にカクンと力が抜けていった。
「どうした! 魔力切れか!?」
魔力はまだ存分に残っているので、そういうわけではない。力なく首を振った。
ワープですぐにでもここを脱出しなければならないのは分かっているのに、どうしてもあそこへ行きたくない。
口を閉ざしてぼうっと突っ立っていると焦れたサイラスによって「ええい、俺の背中に乗れ!」と半ば強引に負ぶわれる。すぐにエギルが服の中に潜り込んで来た。
いつもなら触るなと魔術で吹き飛ばしているところだが、そんな気力も無くなってしまった。何だか今はどうでもいい気分だ。
「まさかとは思いますけど、ここから飛び降りるつもりですか!?」
フェイロンの焦る声が聞こえる。
「すぐ下の木の枝に掴ってから降りればいけるだろう! 先に行くぞ」
ぐん、と浮遊感に襲われて咄嗟にその背にしがみ付いた。衝撃はほとんど無かった。
下に降りたところで、フレンが駆け寄って来た。
「エーティア様、こちらへ。俺がお連れします」
だが俺はマントに付いているフードを頭から被ってその声を聞こえない振りした。
「……っ!!」
息を呑む音が聞こえる。フレンは何故、どうして、そんなことを考えているのかもしれない。
「おい、エーティア。頼む地面だ降りろ」
フレンの圧を感じてギクシャクとサイラスの体が固まるのが分かる。
けれどふいっとフレンの反対側を向いた。
「……寒いから……嫌だ」
ボソッとつぶやく。
ここは結界に覆われているから雪も積もっていないので体は寒くない。
だけど心がとても寒く感じる。隙間風がヒュウッと吹き付けてきている気分だ。
今はサイラスの背から降りて歩く気力もないし、かといってフレンに抱えてもらうのはもっと嫌だ。
フレンとイライナがくっ付いているのを見るのが耐えられないのだ。
耐えられないが、今の不安定なイライナをフレンから引きはがしてしまうことも出来そうにない。せめて二人から目を逸らして視界に入れないようにする。
タンッと軽やかな音を立てて最後まで残っていたリーレイが降りてきた。
「え、えーと……。みんな無事だったということで。ひとまずここから脱出しよう、な。話はそれからだ……」
「分かりました」
サイラスの提案に対しフレンの返事は丁寧さを崩さないものの、半ば唸るようなものだった。
「お前達二人も一旦アリシュランドに行くでいいか?」
「そうするよ。正体バレたからな。ほとぼり冷めるまでここから離れていた方がいいだろ」
「そうですね……。故郷の村の人達は強いから、報復として万が一攻め込まれても大丈夫だと思います。かえって僕達がいない方が攻め込まれる理由にもならないし、安全かもしれません」
リーレイとフェイロンは共にアリシュランドに向かう決意をしたようだ。
「よ、よおし。一旦戻りましょ! みんなお疲れ様っ!」
この場に漂う妙な空気を感じ取ったアゼリアがあたふたとワープを発動させた。
こうして俺達全員は無事にシュカル皇国を脱出したのだった。
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