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アリシュランドに帰って来た日から一日が経って、俺とエギルは城下町にあるサイラスの屋敷の前までやって来た。
この屋敷は魔王討伐の功績を称えられ爵位と共に与えられたものらしい。初めてやって来たがなかなかの大きさだ。
執事によって中へと迎え入れられて、ほどなくして応接室にやって来たサイラスが俺を見るなりくわっと目を剥いた。
「な、なん、何でお前がここにいるんだ!? あの後フレンとはちゃんと話し合ったのか? 明らかにあの時は様子がおかしかったぞ。というかお前がここにいることをフレンは知っているのか」
フレンの名前が出てきて、自然と口がむす…っと引き結ばれる。膝の上にいたエギルを抱き締めた。
「塔は現在改装工事中だ。俺は今、行くところがない。ここに泊めてくれ」
「はああああっ!!?」
サイラスの叫び声が屋敷中に響き渡った。
***
話は一日前に遡る。
あまり大人数でいるとイライナが怯えるので、戻って来たところでアゼリア達とは一旦別れた。
俺達はそのままイライナの処遇を決めるためにアリシュランドの城へと向かった。城で保護してもらうためだ。
塔で保護することは出来なかった。
現在改装工事中なので一部の施設は使えない上、何より俺はあそこにイライナを入れたくないと思ったのだ。あの塔は俺とフレンとエギルの家なのだから……。
かつての番との思い出の残るアリシュランドに連れて来られたと知ってイライナは驚いたが、フレンがいるためか嫌がることは無かった。
まず王と騎士団長は俺の女装した姿を見るなり、盛大にひっくり返った。
「エーティア様、そそそ、そのお姿は一体!? 大変美し……い、いえ何か事情がおありなのですな!」
顔を赤くしたり青くしたりする彼らにこれまでの事情を簡単に説明した。
事情を聞き終えた王が口を開く。
「なるほど。イライナ様はこのアリシュランドの初代国王陛下に関わりがあるということですか」
「ああ。正妃か側妃かは分からないが、関わりがあるのは間違いない。イライナを保護するついでにその辺りのことを調べて欲しい。当人に尋ねようとしても……泣いてしまって少し難しくてな。当時の文献が残っていればいいが、何せ千年前のことだから難しいかもしれない。可能な限りよろしく頼む」
「すぐにお調べしましょう。イライナ様はもちろんこの城で保護し、可能な限り快適にお過ごしいただきます。それで……エーティア様のお話ですとシュカル皇国と同様にアリシュランドにもこれから大雪が降るのでしょうか」
王の懸念はもっともだ。アリシュランドの辺りは雪が積もることはあっても、シュカル皇国に積もったほどの大雪にみまわれたことはない。あれほどの大雪が降ればあっという間に大混乱が起きるだろう。
アリシュランドにとってあれは災害級だ。
ただ、幸いなことに今は大雪どころか雪すら降っていない。
イライナが泣き止んだことと関係しているのか。やはり感情に反応しているに違いない。
フレンが傍にいればイライナの感情は安定する、その事実に胸に苦々しい気持ちが込み上げた。
「今のところ大雪が降る気配はない。だがもし万が一大雪が降るようならば俺が対処しよう」
王達はほっとした表情を浮かべた。
話が一段落したところで立ち上がる。
「……少し疲れた。俺はここから離れるので、イライナのことを頼んだぞ。くれぐれも第二王子にはイライナの存在を伏せておいてくれ」
「承知しました!」
第二王子は白き翼の一族を研究したくて執着している。それに女好きだ。イライナのことを知ったら絶対に何としてでも手に入れようとしてくるだろう。王達もそのことが分かっているらしく深々と頭を下げた。
立ち上がった俺に合わせるようにフレンもまた急いで立ち上がった。
「エーティア様、どちらへ!? 塔は現在改装中ではないですか。このままここに止まり俺の部屋をお使いください」
「いや、遠慮しておく」
「あなたがここを離れるのなら俺も共に参ります」
ちら、とイライナに目を向けると不安げな表情を浮かべていた。首を横に振る。
「必要ない。お前はここに残ってイライナの面倒を見てやれ。感情を安定させられるのはお前だけなのだから」
「お待ちください、何故俺を遠ざけられるのですか!? どうしてそんな思い詰めた顔をされておられるのです。エーティア様っ!」
フレンの悲痛な声を背後に聞きながら、ワープを展開して塔へと戻った。
ワープで辿り着いた先は自身の寝室だった。ここはまだ改装が始まっていない。
真っ暗な部屋に明りを灯す。
人の気配が無ければこの塔はこんなにも静まり返っていたのだな。
不気味なほどだ。
ベッドの上にはシュカル皇国の宿屋で買い求めたクッションが届いていた。そのクッションを手に取る。
クリーム色の大きめのそれは柔らかな手触りが気に入って宿の主人にどこに行けば手に入るのか尋ねたところ、希少な綿と羽毛を使っているので手に入る時期が限られているという。残念に思っていたら宿に新品のものが残っていると言って特別にいくつか譲ってもらったのだ。
このクッションを使ってフレンとごろごろ寝転がったらとても気持ちがいいに違いない。そう思って手に入った時には気持ちが高揚した。
だというのに今はすっかりその気持ちもしぼんでしまった。
手にしたクッションをポンッとベッドに放り投げる。
「エーティアさま……」
こちらをじっと見つめていたエギルがおずおずと口を開いた。
「フレンさまと喧嘩しちゃったですか? どうしてフレンさまはここに戻って来ないですか? ぼく、フレンさまがいないのはヤダです」
「喧嘩などしていない」
「じゃあ嫌いになっちゃったですか?」
「嫌いになどなっていない!」
嫌いになるどころか、好きだし大切だ。だからこそ……今の状態がとても辛い。
エギルの耳がぺたんと垂れさがる。
「何で離れ離れになるのか、ぼく、分かんないです」
「色々あるんだ。悪いが少し一人にしてくれ。とても疲れたんだ」
「はい……。おやすみなさい、エーティアさま」
「ああ」
エギルがとぼとぼと元気のない様子で自分の部屋へ戻って行ったのを確認してからベッドに寝ころんだ。
ひどく疲れているのは魔力を消費しただけでないことは分かっている。
初代国王によく似ていて、聖剣まで受け継ぐことのできたフレン。
これはただの偶然なのか?
もし、もしも……生まれ変わりと言うものがあったとしたら……。
フレンはオーレイヴの生まれ変わりということにならないだろうか?
「いや、そんなはずはない……そんなことあるわけない」
あいつは俺の番だ。
イライナと会ったことで、今のところフレンに変わった様子は見られない。あの瞳は変わらずこちらだけに向けられている。だがこれから先、フレンが変わってしまったら?
これまで俺に向けられていた熱を孕んだ瞳がイライナに向けられるようになったら?
果たして自分は耐えられるのだろうか。いや、そんなの無理に決まっている。
だったらすぐにイライナから引き離してフレンを閉じ込めて隠してしまえばいい。イライナの手の届かないところへ。だけど、それも出来そうになかった。
俺は思っていた以上にイライナに同情しているようだ。
番を失った恐怖と悲しみが分かるからこそ……これ以上の悲しみを抱えないでいて欲しい。
フレンを失いたくない気持ちと、イライナに同情する気持ちがせめぎ合う。
「どうしたらいいのだろうな……」
無造作に放り投げられたクッションを抱え込んでぎゅっと握りしめた。
***
サイラスの屋敷にはリーレイやフェイロンも滞在していて、俺がやって来たことを知ると応接室に現れた。
「えっと、つまりフレンは今もまだイライナ殿と共にアリシュランド城にいる。話し合いはしていない。そしてお前はフレンに何も告げずに飛び出したはいいものの、塔は改装工事中だから泊まるところが無くてここに来たという認識で合っているか?」
「合っている」
サイラスの言葉にこくりと頷いた。
「待て、待て、それはマズい。その状態でお前をここに泊めるのは明らかにマズいやつだ!」
頭痛をこらえるようにサイラスは頭を押さえている。
「何故だ。以前お前は勝手に塔に泊まっただろう。それに今はリーレイやフェイロンもいる。何が問題だ」
あれはフレンがアゼリアに捕らわれた時だった。フレンがいない間俺の護衛をすると言ってサイラスが塔に泊まったことがある。
「あの時お前達は恋人同士じゃなかった。今とは状況が違う!」
「僕達もここにお世話になっていますし、二人きりというわけでもないから大丈夫ではないですか? エーティアさんとても困っているみたいだし助けてあげてください、サイラス」
フェイロンが言った。
「大丈夫じゃない! あの嫉妬の鬼が怒り狂ってここに乗り込んでくる未来しか見えない。俺の身が危険だ! ただでさえおんぶの件でフレンからの怒りを買っているんだ。まずいぞ……嫉妬の炎に焼かれる!」
「嫉妬の鬼って、フレン王子のこと? 穏やかそうに見えるけど、もしかして怒ると怖い系?」
「そうだ、怒ると怖い系だっ! お前見てなかったのか、すごい目でこっちを睨んでたの。アリシュランド王家って勇者への敬意がすごいのに、あの時は無視だったぞ! 敬意ゼロ!!」
リーレイが悪い顔で笑いだす。
「ははん、サイラス、お前まーだエーティアさんにちょっかいかけてんのか。それでフレン王子を怒らせたことがあるって感じか」
「バッ…、馬鹿リーレイ!! そういう繊細な話題をずけずけ言うところ本当良くないぞ! 大体もうそのことはきちんと決着がついている。俺はエーティアに綺麗さっぱりふられているし、フレンとエーティアのことは応援しているんだ」
「えっ、そうなの。フレン王子に思うところとかないわけ」
さらにリーレイが突っ込んで聞きに行く。
こういう時、どんな顔で話を聞いていればいいのだろうな。虚空を見つめつつ、それでも耳だけは二人の声を拾ってしまう。
「うらやましいと思うことがまったくないと言ったら嘘になる。だが、それ以上に祝福をしている。フレンとは剣の訓練だって何度もしているし、もうあいつは俺の友でもある。友人二人の恋路を邪魔するわけにはいかないだろう」
「おお……サイラスめっちゃいい人じゃん、俺感動した」
「はは、そりゃどうも……」
「今夜はふられてかわいそうな傷心のサイラスちゃんを慰めてやるよ! ヤケ酒しようぜ、ヤケ酒っ。うへへ」
サイラスとフェイロンが揃って額を押さえる。
「はー、リーレイ、お前、そういうとこだぞ」
「無神経すぎるよ……リーレイ」
それで結局のところ、俺は泊まれるのか泊まれないのかどちらなんだ。
「泊まるのが無理ならいい。他をあたる」
「他って、アゼリア殿のところか?」
「馬鹿を言うな。いくら交流があろうと番でもない異性の所へ泊まりに行くわけがないだろう。お前、マナーを知らないのか」
サイラスがふるふると体を震わせた。
「エーティアの口からマナーの何たるかを語られるとは。意外とそういうところはきちんとしているんだなぁ……。いや、だったら俺のところに泊まることの危険性も分かれ!」
「お前はかつて旅をした仲間だからもしかしたら……と思ったんだ。でも確かにそうだな。流石に甘えすぎていたようだ」
先程話に上がったように、かつてサイラスからは好意を向けられていたことがある。いくらサイラスがお人好しだとしても、そんな相手のところに泊まるというのは流石に無神経だったと反省する。不本意だがこれではリーレイと同レベルだ。
ソファから立ち上がると「あああもう」と頭を掻きむしったサイラスが声を上げた。
「待て待て。分かった、もういい、ここに泊まれ。お前を他の場所にうろつかせる方がかえって危険だ。フレンが迎えに来るまでここにいろ」
「フレンは迎えに来ないぞ。イライナに付いているよう命令したからな……」
「何言ってるんだか。あいつは来るぞ、絶対に」
しょんぼりしながら腕の中で丸まっていたエギルの耳がピンッと立つ。
「フレンさま、来るですか!?」
「ああ、だからエギルもそんなに心配するな」
「わあい!!」
……そうだろうか。
フレンに来て欲しいような、来て欲しくないような複雑な気持ちだ。ソファに腰をかけ直す。
「それで何をそんなに拗れているんだ? まあ何となく想像はつくが……イライナ殿のフレンに対する態度が原因か?」
俺は存外弱っていたらしい。ぽつぽつと自分が思っていたことを語り出した。
もしかしたらフレンがオーレイヴの生まれ変わりかもしれない可能性をだ。
聞き終えたサイラスが顎を撫でながら口を開く。
「うぅん。フレンがオーレイヴ王の生まれ変わり。にわかには信じられないが、全く可能性がないとは言い切れないか」
「生まれ変わりだったとしてだ。現恋人のエーティアさんが捨てられると決まったわけじゃないだろ。あんなに好きオーラを出している男が急に心を変えたりするか? なおさら話し合った方が良かったんじゃないの」
リーレイの意見はもっともだ。だが、それを深くまで確かめるのが怖い。
「話したいけど、話したくない」
「僕はエーティアさんの気持ちが分かる気がします。好きでたまらない、愛しているからこそ相手が心変わりしてしまったらと思うと不安ですよね。だから直接確かめたくないんじゃないですか?」
俺の気持ちを代弁したのはフェイロンだった。俺が目を向けると照れたように微笑んだ。
「ごめんなさい。こんな時に不謹慎だと思いますが、少し嬉しくて。エーティアさんは人に頼らないところがあるから、こうやって相談してもらえるのが、僕達でも力になれることがあって嬉しいなあって思ってしまいました」
「フェイロン……」
「心の深い部分に関する話をするのが旅を終えてからだなんて、不思議だよな。普通は旅の間に深めるもんなのにな。でも、何か前よりも『仲間』になった感じがする。エーティアさんて本当変わったね。話しやすくなったよ」
ニッとリーレイが明るい笑顔を浮かべた。
「少なくとも俺達はお前の味方だ。あり得ないことだろうが万が一フレンに捨てられたらまた四人とエギルで旅にでも出るか! 今度は世直しの旅とかどうだ?」
サイラスの言葉に目を閉じる。
「それは遠慮しておく」
「何でだっ! 今のは感激して涙を流す場面だろ!!」
「ギャハハ、そういうとこブレないよなエーティアさん!」
以前の旅の最中には四人でたき火を囲んで話をしていても、何の興味も持てなかった。煩わしいと思っていた節さえあった。
だけど今は、こうして皆と話をするのも悪くないと感じる。
彼らの言葉の一つ一つが胸を温かくする。まるでたき火の炎が胸に灯ったかのように。
そう感じられるようになったのはリーレイの言うように、俺が変わったせいなのだろうか?
これまでずっと凪いでいた心がゆらゆらと揺れるのはひどくおぼつかない。特にフレンに関わることになると不安でたまらなくなる。
ままならない心だが、以前のようにはもう戻れないし戻りたくないと思うのだ。
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