10話 塔の魔術師といにしえの種族

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 迷いのない足取りでイライナは森の奥へ奥へと進んでいく。  差し込んでいた日の光が森が深くなるにつれて徐々に見えなくなると、代わりに地面がほんのりと青白く光りを帯び始めた。  コケが光っているのだろうか。地面を覆うように生えているそれを踏むとより強く光を放った。  何とも幻想的な光景だ。  もしもこの場にエギルがいたら「綺麗ですぅ」とうっとりしながら跳ね回っていたことだろう。  この森の中は春の森のように温かく、イライナの影響で降る雪もここまでは届かない。外界と切り離された特殊な空間だった。  しかし右を見ても左を見ても木ばかりで同じような景色が広がっている。  一人で中に踏み入っていたら確実に迷う自信がある。  帰りはワープで飛んでいければいいが……。 「お前はこの森で迷わないのか? 何か道しるべでもあるのか?」  首を傾げて問い掛けると、イライナは困ったように顎に手を当てた。 「うん……、あるけど、教えられない。ごめんね」 「まあ、それもそうか。里に連れて行ってもらえるだけでありがたいと思っている」 「そう言ってもらえて、良かった」  歩いて行くとほどなくして森が開け、三本の大樹のそびえ立つ場所に辿り着いた。  大樹と大樹の間には橋がかけられていて互いの木の間を行き来できるようになっている。 「ここで彼らは暮らしているのか……」  どうやら白き翼の一族は大樹の枝のところに家を建てて暮らしているらしい。その様子は鳥の巣を思い起こさせる。  彼らの性質は鳥に近いものがあるのかもしれない。  見上げていると、上空から翼を羽ばたかせて男が二人降りてきた。 「この里に何の用だ!?」  警戒を顕わにしてこちらを睨みつけてくる。しかし俺をかばうようにイライナが前へ出てきた。 「待って。私はイライナ、この里の出身。それからこの子、エーティア。白き翼の一族の血が入ってる。同胞だよ」  二人はイライナの背に広がる白い翼を見て、唖然とした。 「この里の出身のイライナ……? 聞いたことがないが、白き翼の一族であるのは間違いない。ということはこの者も、本当に白き翼の一族の血が流れているのか……?」  そう言って俺に目線を向けてくる。 「私、もう長いことここに帰ってなかった。若い人が知らないの、無理ない。里長なら私のこと分かる、会わせて欲しい」 「すぐに里長に確認してきます。ここでお待ちください」  男二人は見た目だけならイライナよりもずっと年上に見えたが、このやりとりだと年齢はイライナの方が上のようだ。  白き翼の一族は魔力量の影響で個体によって寿命がそれぞれ違うのかもしれない。  少ししてから里長のところへ行った男が帰って来た。 「お待たせしました。里長がお会いになるそうです。こちらへどうぞ」  ふわっと空へ飛びあがる。飛んでついて来いということか。  大樹の上に家があることで人間避けの効果にもなっているようだ。  イライナに私が引っ張って行こうか? と問われるが首を横に振った。 「里の中でも魔術は使えそうだ。問題ない」  特に魔術の使用を防ぐような結界が張られていなかったので、魔術を使って体を浮き上がらせて彼らについていく。  案内されたのは大樹の枝の根元に建てられた家の中だった。  大樹への負担を減らすためか、木と頑丈な布とを組み合わせて造られた建物だ。この地では暑さや寒さなどの天候の影響を受けないのでこのような簡素な造りでも大丈夫なのだろう。  入り口の垂れ幕を押し上げて中へ進むと、外からの見た目よりもずっと広い空間となっていた。焚きしめられたハーブの香りと薄い煙が漂っている。  奥の敷布の上に里長らしき年老いた男が座り、その傍に若い男が控えていた。 「イライナ、よく戻った。それに我ら一族の血を引くお客人もよく参られた。さあ、こちらへ来て顔をよく見せておくれ」  里長の傍に控えている男はこちらを鋭く睨みつけてきているが、里長自身に俺を警戒しているような雰囲気はない。むしろ歓迎されている節さえある。  近くへ行って腰を下ろした。  里長はイライナに向けて語りかけ始めた。 「お前としばらく前から連絡が途絶えていたから心配していた。一体何があったんだね?」 「一年ほど人間に捕まって閉じ込められてた。それをこの子、エーティアとその仲間が助けてくれた」 「おお、そうだったか……。それはかたじけない。イライナ、里の外は危険だとあれほど言ってあっただろう。これ以上辛い思いをする必要はない。処置を受けてここにとどまりなさい」  里長の態度は子供の行く末を心配する親のようなものだった。  『処置』が何かは分からないが、番がいなくなった者でも生きていける方法なのだろう。  横目で見たイライナの表情は先程からずっとすぐれない。最後の手段と言っていたから本当はその方法を取りたくないというのは明らかだった。 「差し支えがなければ教えてもらいたいんだが、その『処置』とはどんな方法なんだ?」 「おい、余計な詮索をするな!」  里長の傍に控えていた男が俺の言葉を遮って鋭く声を発した。しかし里長が穏やかに片手を上げてそれを制した。 「よい、この子には話して聞かせても問題ない」 「しかし……」 「この子はよその里の者のようだが……、純血の白き翼の一族だ。だから問題ないのだ」  里長にきっぱりした口調で告げられて、体が固まる。  俺が……純血の白き翼の一族だと……? 「そんなまさか!? 確かにこの者からは白き翼の一族の気配が感じられます。しかし、それだけではなく人間のものも混ざっています。その上この者には翼がなく、まるきり人間の姿をしています。純血など絶対にありえません」  こちらの気持ちを代弁するかのように男は立て続けに里長に詰め寄った。 「そうだな、我らは翼を失ったら生きていられない。とても不思議なことだが……この子には翼がない。もしかしたら人間によって体を作り変えられたのかもしれないな」  里長の口から次々と出てくる衝撃的な話に、血の気が下がって行く。 「体が作り変えられた……?」  一体、誰が……?  いや、そんなの決まっている。俺が禁術を受け継いだ魔術の師匠だ。それ以外にあり得ない。  そもそもどうして自分は一度も同胞に会ったこともないのに、白き翼の一族の血の混ざった人間であると思い込んでいたのか。  それは……師匠がそう俺に告げたからだ。  両親のことも生まれた場所のことも分からない俺は、師匠から聞かされた言葉をそのまま信じるしかなかったのだ。  何故そんなことをあの人がしたのか分からないが、そこに悪意は無かったと思いたい。……そう思えるほど、師匠のことをほとんど知らないが……。  だが、短いながらも共にいた間、害を与えられたことは一度たりとて無かった。 「ふむ、どうやら君は自分のことをあまりよく知らないようだ。自分が生まれた里のことを知らないのかね?」 「ああ、俺は幼い頃のことを覚えていない。ここに来たのも、自分の生まれのことが知りたかったからだ」 「残念ながら、隠れるように生きてきた我々も他の里のことは知らない。同胞の行方は気になっているがね……」 「そうか……」  生まれた場所は結局分からず、自分に関する新たな疑問が生まれてしまった。 「君は今何歳ぐらいだろうか」 「百歳は過ぎている……二百歳はいってないと思うが」 「ほう。随分と年が若い」  里長の瞳がすっと細まった。 「その頃は……白き翼の一族の乱獲が密かに行われていた時期だ。もしかしたら君の生まれた里も人間によって襲われてしまったのかもしれない」 「だから俺は幼い頃のことを覚えていなくて、人間の住む場所で暮らしていたということか?」 「ああ。その可能性は高いだろう」  そうなると里や血縁の者は全滅している可能性が高い。 「そうか……」  家族になど会ったことも、その記憶もないというのに、思いの外がっかりとしている自分に気付いた。  肉親への情などないと思っていたのに……。  本当は会えるかもしれないと期待していたのだろうか。  何だかとてもフレンとエギルに会いたい。  温かい彼らを抱き締めて、胸に吹いてくる隙間風を防いでもらいたいと思った。 「しかし、こうして君だけでも残ったのは幸いだった。よその里の者で、若い者はとても貴重だ。本当にここに来てくれて良かった」  里長の声音にどことなく仄暗さが含まれていて、眉をひそめた。 「そうそう、『処置』の話に戻そう。白き翼の一族が一度番を決めるとその者以外を愛せないのは知っているね?」 「ああ」  その話は聞いたことがあるが、自分でも本能でそうだと分かっている。フレンを番に決めた俺は、他の者を受け入れることはできない。 「だが白き翼の一族は長命だ。個体によって寿命もかなり違う。私やイライナは中でもとても長命な方だ。そんな長い生を、番を失って生きて行くのはあまりにも酷なことだろう?」 「そうだな。番を失った後、一人で生きていける気がしない」  一度フレンを失った時、俺は生を放棄しようとさえした。 「そこで里では番を失った一族の者に『処置』を施すことにした。それは番の記憶を忘れさせるものだ」 「何だと!?」  つまりイライナはオーレイヴの記憶を消してしまうということか。  イライナの顔は青白く、カタカタと小刻みに震えていた。  本当はそんなことをしたくなかったのだろう。千年以上これまで耐えていたのだから。だけど、辛すぎてもうどうにもならないのだ。だから自らここへとやって来た。  俺にはそんなイライナを引き止める言葉をかけられない。  むしろよくこれまで耐えたとすら思っている。 「そうか、それがお前の苦しみが無くなる方法だったのか」  千年苦しんだイライナが救われるのなら、それが一番良い方法なのだろう。  そう思っていたのに、次に続く里長の言葉に苛立ちが込み上げた。 「記憶を消した後、イライナには里の未来を担う者達を産んでもらう」 「はぁ!? 何だ、それは!」 「このままでは白き翼の一族はゆるやかに絶滅を迎える。それを黙って受け入れるわけにはいかないのだ。里を守るためには必要なことだ」 「だからといって好きでもない相手と番わせるつもりか!?」  記憶を消すまではいい。しかしその後のやり方はまったくもって気に食わない。 「イライナ、ここでの処置は止めておけ。お前に記憶を消す覚悟があるのなら他でも方法はある」  記憶を消すだけならアゼリアを頼ればいい。あいつは精神魔術が得意だ。白き翼の一族にその術が通じるかは分からないが、ここで処置してもらうよりはずっといい。  床から立ち上がりかけて、何故か足に力が入らなかった。痺れたように動かない。  ハッとする。  先程から焚きしめられていたハーブに、体を痺れさせる何かが含まれているのではないだろうか。  慌てて袖口で鼻と口を覆うがすでに遅かった。どんどん体から力が抜けていく。 「そして君にも。里の未来を担ってもらいたい」 「待って……それは駄目。エーティアは関係ない。家に帰してあげて。ごめんね、エーティア。こんなことに巻き込んで……」 「お前が悪いのではない。悪いのはこの里の歪んだ考え方だ」 「お願い、逃げ……」  言葉は最後まで続かずイライナの体が床に倒れ込んだ。そして俺もまた同様に。 「俺に何をさせるつもりだ……」  重たい頭を持ち上げて里長を睨みつけた。 「イライナと番って卵を産ませる役割をしてほしい。イライナだけでなく他の娘との間にも」 「種馬にでもしようというのか……!」 「しかし里長。この者はとても体が弱いように感じます。たぶん……あまり長くは生きられない。そんな者の血を我が一族に入れても良いのですか」  冷たい目の男が言った。 「構わん。体が弱いのも、人間ほどの短き寿命しかないのも、それらは全て後天的なものだ。この子の先天的な能力はとても高い。優秀な子だ。イライナとの間に子を産ませればその子供はとても能力の高い子になるだろう。抵抗が激しいだろうから、この子にも処置をするように」 「はっ」  こんなおかしな命令を、何の疑問もなく男は受け入れた。異常だ、狂っている。  こいつらは俺からフレンの記憶を消して、イライナとの間に卵を産ませようという。  冗談じゃない、抵抗しようとしたがもう言葉を話すことも出来なくなって、次第に重たくなってきた瞳を閉じた。 「すまないな……我らはここで絶えるわけにはいかないのだ。これもすべて、里の未来のために……」  勝手なことをしているくせに、本当に申し訳なさそうな口調だった。
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