10話 塔の魔術師といにしえの種族

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「すぐにここを脱出します。イライナ様はどちらにおられますか?」  男に問い掛けられて、無言で隣にいる小鳥を指さした。 「この鳥が……イライナ様!?」  男が驚いたように目を見開く。しかしこちらの言葉を信じたらしく器用に小さくなった足枷を外した。  じっとその様子を伺っていたが、小鳥が解放された瞬間、男の手から小鳥を奪う。 「……っ、エーティア様!?」  男は動揺し、その隙を付いて部屋の外に向かって駆けだした。  エーティアというのが俺の名前なのだろうか。  金色の髪の男が自分にとってどんな存在か分からない。害意を持っていないように見えるが、そう振舞ってこちらを油断させようとしているのかも。  信用はできない。  いずれにしてもこの場に留まるのは危険だ。いつまた妙なことをしようとしてくる男達が現れるか分からないのだから。  外に出て柵に足をかけて飛び出した。次の瞬間体が落下していく。  自分は今、とんでもなく高い木の上にいたらしい。 「うわあああっ!」  このままでは地面に叩きつけられてしまう。  息を詰めて目を閉じると、体が地面に落ちる直前になってふわりと浮き上がって怪我一つなく着地した。  どくどくと心臓が激しく鳴る。どうやら助かったらしい。魔術という力のお陰だろうか。  眠ったまま動かない小鳥を両手に抱えたまま走り出した。  ここを離れて、誰にも見つからない場所に身を隠さなければならない。  体は相変わらず重くてだるい上に奇妙な熱に浮かされている。本当はもう一歩だって動きたくない。安全な場所で眠りたい。  それでも今は逃げ続けなければと思った。 「はぁ、はぁ、はぁ……!」  口から心臓が飛び出しそうだ。  目の前がくらくらと回り、足がもつれて地面に倒れ込んだ。その拍子に小鳥が地面をころころ転がって行く。  咄嗟に手を伸ばすが、草を踏みしめてこちらへと向かってくる音が聞こえて身をすくめた。 「ひっ……!」  もうここまで追いかけて来たのか。早すぎる。  これ以上は逃げきれない。だったら迎え撃つまでだ。  木の陰から姿を現した金色の髪の男めがけて雷撃を放つ。しかし寸でのところで避けられてしまった。  翼の奴ら相手だったら避けられるなんてことはなかったというのに。  もう一度放つが、それもまた避けられた。何て素早い動きだ。  このままでは捕まる。 「来るな、来るな!」  特大の雷球を作り出して、避けられないよう辺り一帯を覆いつくしてやる……そう思っていたら「止めてくださいですっ!」とこの場に似つかわしくない可愛らしい声が響き渡った。  タタタッ、と軽快な足音と共に姿を現したのは白くて小さな兔だった。 「うわっ!?」  こちらに向かって飛び込んで来た。 「エーティアさま、どうしちゃったですか。フレンさまを攻撃したらヤダです! うえええん」  しくしくと泣きながら必死にしがみつかれて、その衝撃でシュッ、と雷球が消えてしまった。 「……何で兎が話せるんだ?」  疑問が口を突いて出ると、白い兎は「ぴえ」と鳴いて耳をピン、と伸ばして潤んだ目を丸くした。 「エーティア様、もしや記憶を無くされておられるのですか」  こちらに向かって先程の男が歩いて来たので、体がビクッとなる。剣は抜いていないようだが警戒を顕わにして睨みつけると、ひどく悲し気な顔になった。 「ぼくのこと忘れちゃったですか? エギルって言うです。エーティアさまが付けてくれた名前です」  白兔も同様に悲しそうな顔をするものだから、何だかこちらが悪いことをした気分になってくる。  ……いいや、俺は悪くない。 「知らない。お前達は何なんだ? お前も……俺を無理矢理番わせようとしているのか」  じりじりと後退りしながら告げると、男の顔が強張った。 「無理矢理番わせる?」 「ああ、そうだ。あいつらは俺を鎖に繋いで、番わせるとか、搾精するとか変なことばかり言っていた。お前も仲間なのか?」 「違います! 俺はあなたを守るために存在している騎士のフレンです。エーティア様……申し訳ありません。来るのが遅くなったばかりにあなたを辛い目に遭わせてしまいました」  深い後悔を滲ませた声で謝罪を述べて頭を下げてくる。  この様子だと、本当にあいつらの仲間ではないのかもしれない。  奴らの背中に生えているような翼もないしな。  それでもまだ警戒は緩めない。 「これをお使いください」  フレンと名乗った男は自分が着ていた外套をこちらによこす。  別に寒くもないのに何故だろうと不思議に思っていると、その視線はボタンが千切れてどこかへ飛んで行ってしまったシャツの辺りに落ちていた。胸がはだけて見えている。  熱くてたまらず自分で破いてしまったのだ。改めて見ると暴漢にでも襲われたような随分とひどい恰好だ。  服がボロボロになっているから、代わりにこれを着ろと言うことか。  だけど服が肌に擦れるとムズムズと変な感覚になるので、着たくない。 「いらない」  ふいっとそっぽを向く。 「……では、せめて先程転んだ際にできた傷の手当てをさせてください」 「いらない、触られたくないんだ! やめろ!」  これもまた同様の思いできっぱりと断った。膝がじんじんと痛んでいたことを思い出して涙が滲んでくる。でも泣いている姿など見られたくなくて必死に袖口で目を擦った。  フレンの顔色が今にも倒れそうなほど青くなっていた。きつく拳を握りしめている。 「やはり、離れるべきではなかった……。離れてしまったばかりに、取り返しがつかないことに……」  ぶつぶつとつぶやく男からそっと距離を取って小鳥を拾い上げた。怪我はしていないようだ。ほっとする。 「どこに行くですか!? 危ないです! フレンさまー! 早く!」  エギルという名の白い兎にいち早く見つかってしまう。その上フレンを呼ばれてしまう。 「ああ、すまない。今はエーティア様をお守りすることだけ考える……それだけだ」  早足で歩きだすと、後ろから何かの決意を固めたらしいフレンとエギルがついてきた。 「ついて来るな。俺はあいつらに見つかりたくない。ここから逃げるんだ!」 「エーティアさま、魔力が足りてないです。このままだと足が疲れてふらふらしちゃって危ないです。ぼくも眠たいから分かるです。フレンさまとちゅーするといいです」  ちゅー?  一体何なんだそれは。眉をひそめる。  エギルの言葉を押し止めるようにフレンが首を横に振った。 「……エギル、それは今のエーティア様には酷なことだ」  この男はそう言う自分の方こそが辛そうな顔をしていることに気付いていないのだろうか? 「魔力奪取という魔術は覚えていませんか? それを使えば体調が回復します」 「そんなもの知らない。この妙な力は自由に使える訳じゃない。気がつくと使えるという感じなんだ」  自分の身が危機に瀕すると自然と飛び出してくる。  俺にもどんなことができて、どんなことができないのかよく分からない。 「そうでしたか。これからは俺があなたを守りますので、もうその力は使わないでください」 「何でついてくることが前提になっているんだ! ついてくるなと言っているだろう。放っておいてくれ」 「それは出来ません。俺達のことは空気のようなものだと思って下さい。お気になさらず」  そんな風に思えるものか!  キッと睨みつけるが、聞き入れる様子はない。  それなら男よりも気が弱そうな兔を睨んで追い払ってやろうかと思ったが、流石にそれは可哀想に思えてきた。  先程まで二本の後ろ足で立っていた兔だったが、こちらが早足で歩く時には四本足を使って飛び跳ねるようにして追いかけてくる。足元にまとわりつくようにして必死でついてくるのを見て、冷たい態度は取れそうにない。 「エーティアさま、すぐに戻って来るって約束も忘れちゃったですね。お迎えに来て良かったです。前はフレンさまも同じように忘れちゃったけど、すぐに思い出したから大丈夫です。元に戻るです」  よく分からないことをしゃべっている。  白兔はどこからどう見たって無害だ。睨んだり冷たい態度を取ったりしたら弱い者いじめみたいになってしまう。  それに走って逃げたとして、どこまでも追いかけてきそうで男からは逃げられない気がした。  駄目だ、こいつらを追い払える気がしない。 「お前達はこの森を出る道を知っているのか」 「それが……この森は入って来た時とは木の位置が変わっていて簡単には出られそうにありません」  フレンが言うには、木に目印を付けながらやって来たはずなのに、その目印が無くなってしまっているという。それに立っている木の位置もまるっきり変わってしまったそうだ。 「何だそれ、迷子ということか!?」 「残念ながら、そういうことになります」 「迷子が増えただけではないか!」  呆れてため息を吐くが、毒気もまた抜かれてしまう。  こちらの意思を無視して勝手なふるまいをしてくるのは奴らと一緒かもしれないが、明らかに連中とはその目的が違うということが分かる。  だったら害を与えて来ない間はせいぜい利用すればいい。翼の生えた連中に見つかったら盾にしてその隙に逃げ出してしまえばいいのだ。 「森から脱出を目指しながら、別行動を取った仲間達と合流をしましょう」 「仲間……?」 「はい。俺とエギルが大樹に侵入する間、囮になってくれた三名がいます。今もまだこの森のどこかにいるはずです。リーレイ様は魔力を感知できる能力をお持ちなので、近くにいれば必ず気付いてくださるでしょう」  これ以上人数が増えるのか。本当に信用できるのだろうか……。  こちらが疑わしげに思っていることに気付いたのか、フレンは困ったように眉を下げた。しかしすぐに真剣な瞳で真っ直ぐ見つめてきた。 「今はまだ信じていただけないでしょうが、必ずあなたを守ります。何があっても」  この男のことはほとんど知らない。俺の騎士だという話も本当かどうか分からない。  だけど、どうしてかこの言葉だけは信じられるような気がした。
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