1話 塔の魔術師と騎士の献身

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1話 塔の魔術師と騎士の献身

 エーティア様、と耳に心地良く響く穏やかな声が聞こえて俺はゆっくりと瞼を持ち上げた。  唇にふに、と柔らかい感触がして口づけられていることを知る。しかし眠気が勝っていたのでぼんやりした頭のままじっとしていた。  俺が何の反応もしないことを気にした風もなく、目の前の端正な顔の男はそのまま口づけを深くしていく。舌同士がくっ付き合うと、わずかに魔力が流れ込んで来た。その魔力は俺にとっての生命線だ。  魔力の質が人それぞれ異なるというのは知識としてあった。男から流れ込んでくる魔力は白くて清らかなものだ。この男の魔力しか知らないから他の魔力を受け取った時にどう感じられるのかは実際のところ知らないけれど。  重くてだるい体に力が戻るのを感じ、眠気はすっかり吹き飛んで男のシャツを掴んで必死で舌を舐め返した。はふはふと息が乱れて行く。魔力切れとは違う意味で息が苦しくなってくると、男の手が俺の頭をやさしく撫でた。  それから男によって軽々と抱き上げられて食卓の椅子に座らされたところで、くっついたままの口が離れて行った。魔力を注がれて力を取り戻した俺は、テーブルに突っ伏すこともなく綺麗に並べられた朝食を眺めることができた。ほかほかと湯気を立てるスープの向こうで、男が穏やかに笑った。 「食事の支度が整いましたよ、エーティア様」 「ん」  俺はこくっと頷いて焼きたてのパンに手を伸ばした。    ***  俺の名前はエーティアという。かつて魔王を討伐するため勇者達と旅をしていた魔術師だ。自分の実力がどの程度かは知らないがこれまでに俺以上の魔術師には出会ったこともなく世間から「大魔術師」と呼ばれていたことから、そこそこの力は有していたのだろう。  「有していた」という通り、全ては過去の話であるが……。  今の俺には魔力がほとんどない。魔王討伐の際の後遺症というやつだ。  そもそも魔王というものが何者かと言うと世界を混沌に落とそうとしてくる悪しき存在のことを指す。歴代の勇者がこれまでに何度か魔王を倒したことがあるが、残念ながら奴は何度倒そうが数百年に一度の間隔で蘇ってくる。姿形はその時代によって異なる。そしてその数百年に一度が、俺達の生きているこの時代だったというわけだ。  魔王討伐の旅に出たのは、勇者と剣士と拳闘士と、そして魔術師である俺の四人だった。  旅の間、魔王の眷属であるモンスターを倒す度に俺達には呪いの力が蓄積された。いわゆる闇の魔力だ。闇の力は一定以上蓄積されると体に悪影響を及ぼす。その多くがモンスター化だ。知性も体もモンスターに変じていく。 現在では対処法も知られているが、そのことが解明されていなかった昔には多くの勇者やその仲間達がモンスターと化して散っていったらしい。  そんな痛ましい歴史があって、現在ではしっかりと対処がなされている。その方法とはこうだ。「白き魔力を有する者との性交」である。性交することによって体内から闇の魔力を浄化するというものだ。  勇者を始めとする仲間達はそうやって街に辿り着く度に体内の浄化を続けながら、最終的に魔王を討ち果たした。  俺はどうだったか?  当然そんなことはしなかった。そんなどこの誰とも知らない相手と性交するなんて絶対に嫌だ。虫唾が走る。俺は潔癖症なのだ。そういう理由でいくら勧められようともバシッと拒絶した。  俺自身膨大で多属性の魔力を有していたということも大きい。その中には白き魔力もあったのだ。そこらのモンスター程度を倒して闇の魔力が流れ込んだところで勇者達ほどの影響は無かった。  しかし、澱が徐々に溜まっていくように知らず知らずの内に俺自身も闇の魔力にゆっくりと侵されていたらしい。  影響が出たのは魔王を倒した後だ。  浴びるほどの闇の魔力を受けた俺は、幸い体がモンスター化することは無かったものの、その代償のように魔力が根こそぎ消えてしまった。  今まで体内にたっぷりと溢れんばかりにあった魔力が消えてしまったことで体調を崩した。寝込んで起き上がれない日々が続いた。これらが俺の身に現れた後遺症だった。  そこで慌てふためいたのが、俺の祖国であるアリシュランド国だった。  俺の頭の中には魔王討伐のために得たアリシュランドの禁術の知識があった。  その禁術の知識は継承性のものだ。先代の魔術師から受け継ぎ、そして後代へと繋いでいく。  魔術球と呼ばれる球体の中にその知識はあって、普段は体の中に溶け込んでいる。魔力を突如失ってしまった俺は、体の中にあるその魔術球を取り出すこともできなくなってしまった。  そうなると残る魔術球の解放手段は『死』のみだ。  しかしアリシュランドとしては魔王を討伐した功労者である俺をこのまま寝たきりにして、死を迎えさせるわけにはいかなかったようだ。そしてこの件が他国に漏れた場合、禁術入手のため俺が狙われるという事態に陥る可能性もある。  そういった経緯があり、俺の住処である魔術師の塔に派遣されてやって来たのがこの国の第三王子であるフレンだった。  フレンはここに来る前は騎士として国の守りに尽力していた男だったが、こんな状態になった俺の世話と護衛のために白羽の矢が立った。白き魔力を有していたのが運の尽きだ。それに王子という身分も良くなかった。禁術の流出を防ぐというその繊細すぎる案件にフレンはまさに適任だった。  そうしてフレンは身を置いていた騎士団を辞めてここへやって来た。  今までは料理も洗濯も掃除も何もかも兎の使い魔のエギルがこなしていた。  しかし魔力を失ってからというもの、エギルはただの兎のようになってしまい俺もまた自分の体なのに、上手く動かせなくなった。言葉を話せなくなり、元気を無くした様子で俺の枕元に寄りそうエギルを見て胸がキリキリと痛むと共に悔しさも込み上げた。こんな思いを抱いたのは生まれてから初めてだった。  俺とエギルしか住んでいないこの塔はすっかりと荒れ果ててしまった。  あいつが来た日も俺はベッドから起き上がれずに横になったままだった。  フレンと名乗ったそいつは見るからに誠実そうな男で、その見た目通り丁寧にこれからの俺に関する扱いについて説明してきた。  その内容とは魔力を失った俺にフレンが定期的に魔力を注ぐというものだった。闇の魔力の影響で魔力を失ったという前例がないのだ。当然ながら治療法も確立していない。そのため、まずは俺の体調を戻すことを優先させるという。  魔術球の扱いに関しては、今後の様子を見ながら慎重に検討していくというものだ。そして護衛役であるフレンと共にあれば俺の身は比較的自由なものだという。簡単に要約すると、フレンと性交して、傍に置いておけばこれまで通り自由にいられますよということだ。  顔色一つ変えずにそんな説明をされて、逆にこちらの方が面食らってしまったぐらいだ。  話が終わり、ハッと我に返ると共にふつふつと怒りが込み上げてきた。 「冗談じゃない! ここで好き勝手な真似されてたまるか!」  ベッドから体を持ち上げて、残ったわずかばかりの魔力を解放する。雷の魔術でフレンを攻撃したのだ。  相手を一瞬で気絶させるほどの魔術を放ったはずなのに、実際はどうだ。しびしびと相手をほんのわずかに痺れさせるほどのことしかできなかった。それでも一般人が相手だったら痛みに呻かせることぐらいは出来たのだろうが、目の前の相手は鍛え上げられた元騎士の男だ。痛みすら感じていないらしく眉一つ動かない。  ダメージを全く与えられなかったことがショックで、プライドが粉々に砕けて目の前が真っ暗になる。  「大魔術師」と呼ばれ敬われていたこの…この俺が……!  それになけなしの魔力を使ってしまったせいで呼吸が苦しくなってきた。悔しさと息苦しさから目に涙が浮かぶ。 「うっ、うぅ……」  力なくベッドに四肢を垂らしてぐすぐすと泣き出すと、これまで一切表情を変えなかったフレンがそこでようやく動揺を見せた。その瞳がゆらゆらと揺れる。  同情などされたくなくて、顔を背ける。 「俺のことは、放っておけ。魔力が切れれば動けなくなって死ぬから……。そうしたら…魔術球も取り出せる。流出の心配もないだろう」  このまま命を散らすことが今の俺の望みだ。  それなのにフレンは俺の手を取ると、首を横に振ってベッド脇に跪いた。  こんな様ではあるが、第三王子であるフレンは俺に恭しく振舞う態度を崩さない。  それは俺が魔王を倒した勇者の仲間という立場だからだろう。 「あなたを失うことはこの国の宝を失うようなもの。その様な悲しい言葉をおっしゃらないでください」 「よせ、何が宝だ。魔力もない魔術師だなんて……何の役にも立たない。こんなみじめな姿で生きていたくない」  これまでの自分だったら、絶対に考えられないような言葉が口からぽろぽろ零れ落ちて行く。  どちらかといったら「魔力もない魔術師なんて生きてる価値などないだろう」と冷たく吐き捨てている側の人間だ。だというのに、こうして魔力を失ったら全てを失ってしまった気がして、すっかり心が弱くなってしまった。女々しいことばかり言ってしまう。  ぎしりとベッドに乗り上げてくる男の気配を感じるが、抵抗する意思も消え果てて抱き寄せられるままになる。 「決してあなたを傷つけません。御身を助ける手伝いをさせていただけませんか」  魔力が無くなって冷えた体が抱き寄せられたことで温められる。やさしく頭を撫でられるのを感じる。常ならば「気安く触るな」と魔術で弾き飛ばしてやるところだというのに、もはやそんな気力もない。目を閉じて大人しく撫でられる。  傷つけない、というのならそうなのだろう。嘘を付くような男には見えなかった。 「どうか俺を受け入れてください」  乞うような声が低く耳に落ちてきて、長い沈黙の後にこくんと頷いた。声に出して答えないのがせめてもの抵抗だ。  その時のことは覚えているのと、いないのとで半々だ。何せ俺はほとんど意識を失いかけの状態だったからだ。  シャツを開かれて胸の辺りを撫で回されたり、唇を落とされたりというのは何となく覚えている。  次に気が付いた時にはフレンの鍛え上げられた体がぴったりくっついていて、体をゆっくりと揺すられていた。そしてそれがとんでもなく気持ちよかったということも。  やがて白い魔力が流れ込んで、冷えていた体が燃えるように熱くなって、その熱で炙られたのか意識は完全に溶けて消えてしまった。  翌日目を覚ました時、シャツのボタンはきっちり止まっていたし、掛布も肩まで引き上げられていたことからあれは夢だったのかと首を捻った。  しかしからっぽだったはずの魔力がわずかばかり戻っていたことから夢では無かったと確信した。それに体が魔力切れとは別の意味でだるくて重いせいもある。  その日からこの塔に住み込みとなったフレンによる魔力供給が始まった。
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