夏、見上げてのびしろ

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端っこの1番後ろ、窓側。 僕の席であり、僕の安全地帯。チャイムがなり、昼休みに入ると皆が椅子を引く音で一色になる。まるでセミの合唱みたいな騒々しさだった。 でも、僕だけは座ったまま魔法瓶を取り出して、カランコロンと氷がたくさん入った麦茶をちびちび飲む。カバンからお弁当を取りだして、机に広げ、ひとり食べた。 こっちに転校してきてもう1ヶ月と少しが経過している。夏休みを挟んだことで、転校生という肩書きは薄れ、僕の存在は、いつの間にか増えていたクラスメイトといった具合に皆の関心から離れていった。 僕はこのまま、縮こまって生きていくんだろうか。そう思うと、これからずっと先の未来を思って怖くなった。 喋らず黙々と食べていると、お弁当は数十分で食べ終わる。長い昼休み、僕は暇を潰すために机から読みかけの小説を取り出す。しかし、今日はなんだか文章が目を滑って、全然入ってこなかった。思わずため息が出る。 「あ、また辛気臭い顔してる」 僕はビクッと肩を揺らす。声をかけてきたのはグラウンドで声をかけてきた男子生徒だった。名前は、確か、優希だったか。そう呼ばれていた気がする。 「な、なんだよ」 「おいおい、俺との約束忘れたのか?」 「約束って、なんの……」 「マジかよ〜。言ったろ? また俯いてめんどくさい顔してたら、強制的に顔上げさせるって」 優希がニヤリと悪い顔をした。僕は嫌な予感がして、手に持っていた小説をぎゅっと握りしめる。 「僕が、何したって言うんだよ……」 「は? 何もしてねえよ。 するとすれば今からだな! 」 「え、ちょっと意味わかんな……」 グイッと腕を引き上げられ、優希に半ば引きずられるようにして教室から出される。 「待てよ、どこ行くんだよ!」 「伊織、せっかくこんなに晴れてんのに、教室ん中で引きこもってるなんて勿体ないって、そろそろキノコ生えてくるぞ」 「キノコって……君、まあまあ失礼だよね」 「それもやめろよな、君って言うの。なんかムズムズして、こう、ぞわっとする。優希でいいから、そう呼べよ」 「分かったって……優希」 観念した僕はずるずる引きずられて、空き教室ではなく、体育館裏、でもなく炎天下のグラウンドに連れてこられた。 そこには優希がよく一緒にいるクラスメイトと、他のクラスの男子が何人かいた。優希がサッカーボールをグラウンドの真ん中に置くと、それが合図だったようで、あっという間に試合が始まった。 僕も勝手にその試合に組み込まれていて「伊織ーもっと上がってこーい」と名前も知らない男子から声をかけられる。 こんなに扱いづらい、ひねくれた僕なんか、ほっとけばいいのに、と荒みながらもやっぱり少し嬉しい。優希はなんで僕を連れてきたんだろう。 他の皆も、僕がいることに嫌な顔一つしないで、昨日も一緒に遊んでいたみたいな距離感で話しかけてくる。ほんとうに不思議だ。 「おーい! 伊織、ゴールだ、ゴール!思いっきりだぞー!」 優希の声にぱっと顔を上げる。優希が蹴ったサッカーボールは、真っ青な空に伸びた飛行機雲をなぞるように、大きく弧を描いて僕の元へ飛んでくる。 近づいてくるサッカーボールを僕は、右に左に不慣れに揺れながら受け取った。 「いっけー!いおりー!」 ゴールまでは距離があるけれど、僕は皆に背中を押され、少し後ろに下がり、汗を拭って、そして、走って、左足で踏ん張り、右足でサッカーボールを擦り上げた。 しかしボールは優希が蹴ったみたいに上手くは飛ばず、宙をさまよって全然惜しくもない方向へ飛んで行く。 ああ、やっちゃった。皆の方を向くのが怖くて、カラカラに乾いた地面を睨んだ。責められる準備は出来ていた、肩を落として「ごめん……」と呟く。しかし、僕の予想に反して 「ナイスキック! 初日にしては上出来だぞー!」 「伸び代あるから頑張れよー!」 「伊織、いいぞいいぞー!」 案外、皆は優しかった。 僕は運動が苦手だ。サッカーも授業以外でするのは初めてで、僕と同じチームの子からしたらこんなに足でまといな奴、嫌に決まってる。 なのに、それからも何度も僕にサッカーボールを渡してくれた。もう、昼休みも終わりに近づいて来た時、またパスが回ってきた。 僕からゴールまでの直線距離に、敵チームはいないけれど、僕が蹴っても入らない。躊躇する気持ちが足を引っ張って、サッカーボールが鉛玉のように思えてくる。 そんな時、「もう一回だ!」優希の声がすっと耳へ入ってきた。同時に予鈴のチャイムが重なって、聞こえる。「最後にもう一回!」 「ラストチャンスー!」 味方の声に、僕は誰にも気づかれないくらい小さく頷いた。左足で砂を掴むように踏ん張って、今度こそはとゴールめがけてサッカーボールを蹴りあげる。 ボールは砂を巻き上げ、夏を掻き分け、ゴールに吸い込まれるようにぐんぐん伸びていく。 終わらない夏の昼休み、セミの歓声と青空の下で、僕はみんなに見守られて小さな小さな一歩を踏み出した。
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