第12話 初めての歩み寄り

1/1
前へ
/71ページ
次へ

第12話 初めての歩み寄り

 とりあえず、先ほどの行動がすべてポチの好感度を上げただけだと絶望した俺は、 『ちょ、ちょっと、ご主人様⁉ さっきから何をカリカリなされているのですか⁉』 「いや、ここのヒビ……手鏡全体が割れない程度に広がらないかなと思って……」 『や、止めてくださいって‼』 「……あ、力加減間違った」 『ぎゃぁぁぁぁぁ――――っ‼』  なんてことをして憂さ晴らしすると、いったんポチとの会話を終え、溜まって仕事を速攻片付けた。集中したいからと部屋から人を追い出したのに、何も出来ていないとなると怪しまれるからだ。  午前中に終わらせるべき仕事を全て終えると、俺は部屋を出た。  これからすべきことを、少し歩いて考えたかった。 (庭園にでも出るか……俺もアリシアとの接し方を考えないといけないしな)  ポチに成り代わって話すと、奴に対するアリシアからの好感度だけがドンドン上がってしまう。  アリシアからの好感度を上げ、悩みを話していいと思えるほど俺を頼って貰うためには、臆すこと無く彼女と触れあっていく必要があるのだ。  ……とはいえだ。  三年も冷たい夫婦をやってきたのだ。突然距離を縮めたらビックリしてしまうだろう。  ……俺の心臓が。  何事も、少しずつだ。  ほら、寒い冬にお風呂に入るとき、一気に熱い湯に入っちゃ駄目だって言うだろ?  まずは挨拶で軽いジャブを打ってみる。  その次は、いつも別にとっている朝食を一緒の時間にする……とか。恐らく無言の時間が続いて気まずいだろうが、それでも何か会話の糸口を見つけながらちょっとずつ距離を縮めて……  そんなことを考えて歩いていると、急に肌寒くなった気がした。  ぶるっと身震いしながら前を見ると、【氷結の王妃】アリシアが歩いてきていた。氷結に相応しく、身につけているドレスも青色だ。その後ろには、彼女に仕える侍女が二名控えている。  彼女から発される冷たいオーラが、少し離れたここからも伝わってくる。彼女の足下に、冷気の湯気が立っていてもおかしくないくらいだ。そのせいか、控えている侍女たちの表情も固まっているように見える。  圧倒的強者。  彼女から発されるオーラは、そんな言葉を思わせるに充分だった。  国王の俺ですら、そんなオーラ出せないのに……いや、それはどうでもいい。  アリシアも俺の存在に気付いたのだろう。  凪いだ水面のような青い瞳がこちらに向けられ、彼女の足が止まった。それにあわせ、侍女たちも立ち止まり、俺に向かって頭を下げた。 「ご機嫌麗しゅう存じます、陛下」  そう言いながら、アリシアが頭を下げた。  言っている内容と、それを口にする表情や声色が、全く合っていない。  本当に、ご機嫌麗しく思ってる?  思わず言葉の裏を探ってしまいそうになる気持ちを抑えながら、俺は一つ頷いた。が、内心はバクバクだ。  だって、これからどうやってアリシアと距離を詰めていこうか計画を立てようとしていたのに、突然ご本人登場だぞ?  ま、まだ、心の準備が――  そう思った瞬間、 ”で、その準備はいつ出来るのですか? 何時何分何秒? この世界の朝が何回来たらですか⁉”  というポチの煽り文句を思い出した。  今思い出しても腹が立つが……そうだ。  アリシアを救うんだろ?  イチャイチャラブラブするんだろ⁉  逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目――  会話だ。  とにかく何かを話すんだ!  こういう時は……万国共通の話題、【天気】発動‼ 「今日は良い天気だな」  しーーーーん  謎の沈黙が場を支配した。  アリシアは全く表情筋を動かすことなく、僅かに横を向きながら、窓から外を見ている。ちなみに、彼女の後ろに控えている侍女たちは、どこか戸惑った表情を浮かべていた。  不思議に思い、アリシアの視線を追う。  ……めっちゃ曇ってた。  どんよりとしたグレーというよりほぼ黒な分厚い雲が、空を覆っている。遠くから、ゴロゴロと雷が鳴る音さえ聞こえてきた。  そりゃ反応にも困るだろう。  いやでもさ、さっきまで晴れてたやん?  俺が執務室に籠もる前は、晴れてたやん?  だが俺も、伊達に王族をやっているわけじゃない。  小さな頃から、怒りや焦りなど、周囲に不安を与えるような感情は表に出すなと教育を受けてきたため、やっちまった恥ずかしさを顔に出さずに軽い感じで訂正した。 「ああ、雨が降りそうだな。朝は晴れていたんだが、仕事に集中していて気が付かなかった」 「これから夜にかけて、雨が続くようです。もし午後から城外でご予定があるようでしたら、お早めにすませておくのが良いかと思います」 「それが良さそうだな」  外に向けていた視線をアリシアの方に戻すと、少しだけ口角を上げてみた。 「忠告をありがとう、王妃。お陰で濡れなくて済みそうだ」 「それはよろしゅうございました」  感情が全く籠もっていない文字列が、彼女の口から流れて消えていく。  いつもと一緒だ。  何も変わらない。  しかし以前の俺なら、彼女と立ち話などしなかっただろう。拒絶されるのを恐れ、今みたいに廊下で出会っても、アリシアの挨拶に軽く答えて立ち去っていたはずだ。  まずは、一歩だ。  他人から見たら、進んでもいないかもしれないけれど……俺から初めて歩み寄った一歩。  だからもう少しだけ――  俺の足が動き、彼女の前に立ち止まる。  それと同時に、手を伸ばす。 「陛下?」 「髪に花弁がついていた」  摘まみとったピンクの花弁を手のひらに乗せてみせると、アリシアは小さく、ああ、と呟きながら花弁を俺の手から取った。 「午前中、庭園を散歩しておりましたので。その際に付いたのでしょう」 「そうだったのか。これはチェリックの花だな。もう咲いているのか?」 「丁度見頃でございます」  チェリックの花は、ピンク色の小さな可愛い花だ。前世の記憶で言うなら桜に近い。  香りがとてもいいので、貴族たちの間では、チェリックの花で作られた香水が人気だったりする。  そういえば、アリシアもチェリックの香水を愛用していたな。  ピンク色の花弁が舞う中、満開のチェリックの下に立つアリシア。    ……絶対に絵になる。  さぞかし―― 「綺麗、だろうな」  無意識のうちに心の声が出てしまい、ハッと口を閉じたが、アリシアは表情一つ変えることなく、 「そうでございますね。花が散る前に、陛下も是非一度ご覧になられると良いかと思います」  と返してきた。  どうやら俺が、チェリックについて語ったと勘違いしたようだ。  否定しようとしたとき、アリシアがチラッと窓の外を見たかと思うと、俺に向かって頭を下げた。 「陛下。大変申し訳ございませんが、私はこの辺で……」 「あ、ああ、引き留めて悪かった」 「いえ。それでは失礼いたします」  俺の謝罪に、アリシアは首を横に振って答えると、侍女たちを引き連れて歩き出した。俺の横を通り過ぎた瞬間、フワッとチェリックの香りが鼻孔をくすぐった。  氷結と呼ばれる彼女とは真反対にある、春を思わせる華やかな香りだ。  この香りのイメージがあるからか、俺としてはアリシアにはもっと暖色系のドレスを着て欲しいと思っている。  青がトレードカラーみたいになっているが、赤やピンクだって滅茶苦茶似合うと思う。  てか、あのアリシアだ。全ての色を着こなせると思う‼  だから以前、温かな日差しを連想させる薄い黄色のドレスを贈った。まあそれは、物置部屋にはなかったわけだが……  おっと、こんなとこで泣くんじゃ無いぞ?  もうアリシアの姿はない。  一人残った廊下に佇みながら、先ほどまで彼女が立っていた場所を見つめた。 「……花じゃない。綺麗なのは――」  アリシア。  お前だ、と――  伝えられなかった言葉が唇から零れ、消えていった。
/71ページ

最初のコメントを投稿しよう!

92人が本棚に入れています
本棚に追加