第16話 お見舞い

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 分かっている。  全部、俺が悪い。  彼女が好きだと言いながら、今の関係が悪化するのを恐れて踏み込まなかった。ビアンカとの不仲だって、解消しようと動かなかった。  皆の目から見れば、俺たちの夫婦関係は破綻している。  まだ大丈夫だと諦めきれなかったのは、  ――俺だけだ。 「だから、俺がお前に関わろうとした理由を、エデル王国の顰蹙を買わないためだと思ったのか? 今更良い夫婦を演じ、決してお前を蔑ろにしていないのだと周囲に示すために……」 「はい」  アリシアは頷いた。   その瞳にひとかけらの迷いもなかった。  悲しかった。  自業自得だと分かっているが、悲しくて堪らなかった。  あのじじいの提案を受け入れたことも、全く関係のないはずの、側室の件と俺が彼女と関わりを持とうとしている件が、アリシアの中で繋がってしまったことも。 「……側室の話は、叔父が勝手に進めようとしているだけだ。初耳だし、俺は側室なんてとるつもりはない」 「エデル王国に配慮する必要はございません。私の存在はエデル王家にとって、長らく国交が途絶えていた二国を繋げるための道具にすぎません。むしろ、厄介払いを出来て良かったと思っているはずですから、私が嫁ぎ先でどのような待遇を受けようが問題は――」 「やめろっ‼」  俺は思わず大声を出し、アリシアの言葉を遮ってしまった。  彼女の口から流れるように紡がれる、卑下する言葉。  これだけスラスラと出てくると言うことは、彼女が常日頃から自身のことをそう思っているからだ。  確かに、きっかけは政略結婚だった。  だけど、初めて出会った時の衝撃や胸の高鳴りは本物だ。  ――恋をしたんだ。  元敵国の王女とか政略結婚だとか、そういうものを全てとっぱらって、ただ一人の男として彼女を求めた。 「俺は――」 「そして私も、道具としての立場以上を求めておりません」  俺の言葉は、アリシアの強く鋭い声によって遮られてしまった。  青い瞳が、俺の心すら貫く。  【氷結】の二つ名に相応しい彼女がいた。 「もし私との子を望まれるのなら、ビアンカ姫にではなく、私の子に全てをお与えください」 「それは……ビアンカかお前、どちらかを選べという意味か?」 「はい」 「……それほど、ビアンカが嫌いなのか?」 「はい、嫌いです。ビアンカ姫を選ばれるというのなら、どうか私に道具という立場以上のことをお求めにならないでください。私とまともな夫婦関係を築くことは諦め、他の方を側室としてお迎えください。それで全てが丸く収まるのです」 「俺がビアンカを選んだらお前はどうなる? 今の状態がずっと続くんだぞ? あのくそじじいが、側室を認めろとお前に面と向かって言ってくるほど舐められて、お前はそれでいいのか⁉」 「問題ございません。祖国にいたときの環境と、さほどかわりはございませんので」  もしかして、アリシアはエデル王国内で疎まれていたのか?  でもお前、王女だろ?  彼女が氷結になったのは、てっきり俺との結婚が嫌だからとばかり思っていた。祖国では自由に感情を表に出しているのだと……  言葉を失っている俺に、アリシアは無情に伝える。 「私がお伝えしたかったことは、以上です。どうかお引き取りください」  ゾッとするほど冷たい視線が俺に向けられていた。  言葉だけでなく、態度が、オーラが、全てが俺を拒絶していた。アリシアの無言の圧が、早く部屋を出るようにせき立てる。  立ち上がろうとしたが、両足に力が入らない。  しかし奥歯を噛みしめながら何とか立ち上がると、何も言わずに部屋を出た。  彼女の突き刺さるような視線を背中に感じながら――  *  とりあえず俺はその足で、丁度城に滞在していた叔父のところへ向かい、奴が土下座して謝罪するまで泣かせた。  何か知らんうちに、歳の割にふさふさだった髪の毛の量が減ってたが、俺には関係のないことだ。  そして、もう二度と俺抜きでアリシアに近付かないと約束をさせると、俺は寝室に戻った。  引き出しに隠してあった黒の手鏡を出し、ポチを呼ぶ。 「おい、今すぐ王妃の部屋を映せ」 『えー? プライバシー侵害ですよ、それ。夫婦でも守るべきことは守り――』 「いいから今すぐ出せ‼」 『はいぃぃぃっ、喜んで‼』  居酒屋の店員のような返事が聞こえたかと思うと、手鏡の中にアリシアの寝室が映し出された。  いつもはちゃんとプライバシーを配慮し、彼女がポチに話しかける以外では使わないようにしている。ま、アリシアはその辺気にせず、俺たちの様子を観察してくるけどな。  アリシアは、俺と別れた時と同じように、ベッドから身体を起こしていた。しかし三角座りをして、膝を抱えた格好で俯いている。  ……何かが聞こえる。  声? 「……ごめんなさい、陛下、ビアンカ姫、ごめんなさい……」  彼女の唇から絶え間なく零れる、俺たちへの謝罪の言葉。  しかしその言葉が不意に止まり、アリシアは顔を上げた。その頬には、何本もの涙の筋が残っていた。 「でもこれで……いいのです。始めからこうしていれば良かった……どうか私を憎み、恨み、嫌ってください。だって私は――」  新たな涙の筋を作りながらも、彼女は満足そうに微笑む。 「この国に、災いを齎す存在なのですから――」
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