第18話 白雪姫と継母の再会

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第18話 白雪姫と継母の再会

 愛して止まない娘が腕の中にいる。  喜びと興奮で湧き立っていた気持ちが、心の底からにじみ出す愛おしさへと変わっていく。  それを噛みしめるように、俺はビアンカを抱きしめる腕に力をこめた。  すると、 「お、お父様、苦しいのです……」 「あ、すまない」  大人の力で抱きしめられ、苦しそうに声を出すビアンカに謝ると、腕から力を抜いた。プハッと息を吐き出し俺から離れたビアンカが、お付きの者たちに視線を向けて照れ笑いを浮かべている。  人の目があるのに俺に抱きついたから、恥ずかしくなったのだろう。  ううっ、寂しい……  昔はもっと、俺にしがみ付いていたんだがなあ。  これが成長ってやつなのか……  抱きしめる代わりに娘の手を握ると、俺たちは女神像に向き直った。 「ビアンカ、さっき女神が頭から布を被って顔を隠しているのは、女神が交代するからだって言ったな? どういうことだ?」  先ほどの回答の意味を訊ねると、ビアンカは小さな胸を得意げに張った。 「言葉の通りですよ、お父様。この世界を見守っていらっしゃる女神様は、変わることがあるのです。でもそのたびに像を変えるのは大変ではないですか。だからこうやってお顔を隠されているのです。そういう理由で、お名前すらないそうですよ」  うちの娘、博識過ぎん?  歩く辞典と呼んでも、差し支えないのでは? 「そうなのか。ここ半年でよく勉強したようだな、ビアンカ」  そう言って頭を撫でると、 「ありがとうございます、お父様。とても嬉しいです!」  という屈託のない笑顔を向けられ、思わず尊死しそうになった。  それにしても確かにあの自称女神、名前は名乗らなかったな。  目の前の像も、俺が出会った女神と同じ格好をしているから、ビアンカの話も恐らく本当なのだろう。  ま、実際この像自体が、あの自称女神と同一人物かは分からんが。  そんなことを考えていると大神官の爺さんが挨拶にやってきたので、とりあえず女神のことは心の隅に留めておくことにした。  大神官の話によると、やはりビアンカは歴代聖女の中でもかなり力が強いらしい。  ま、分かってはいたけどな。  だってビアンカだから‼  大神殿的にも、このままビアンカには聖女として残り、修行を続けて欲しいようだが、一度持ち帰ると言って、俺たちはさっさと街を後にした。  馬車に乗ってから、ビアンカは神殿でどのような修行をしたのかをたくさん話してくれた。  座学から始まり、聖法の基礎や実践。他の神官たちと一緒ではあるが、実際に邪祓いも行ったという。  話を聞く限り、お試し修行と思えないほど大変な内容ばかりなのだが、話してくれるビアンカの様子はとても楽しそうだ。  だから思い切って訊ねてみた。 「ビアンカ。お前は修行を続け、いずれ聖女として神殿に入りたいのか?」 「ええっとそれは……迷っています」  ビアンカは少し言葉を詰まらせながら、困ったように笑った。 「だって聖女の力は誰もがもつものではないですから。王族として民を守る義務があるというのなら、聖女として人々を邪纏いから守ることが私にとっての義務ではないかと思うのです。それに、神殿が備えるべき相手【狭間の獣】という邪纏いに対抗出来るのは、聖女の力だけだと言われていますし……」  そう語るビアンカの横顔と発言は、十歳とは思えないほど大人びていた。  狭間の獣……か。  国を任されている以上、存在は知っている。  巨大な獣の姿で現れて暴れまくり、人間たちに危害を加える邪纏いだ。その被害はすさまじく、一夜にして国が一つ滅びると言われている程のパワー系。  過去にも何度か現れ、そのたびに色んな国を滅ぼしている。  こいつに比べれば、他の邪纏いなんて小物も小物だ。  そんな最強最悪の邪纏いに対抗出来る唯一の存在が、聖女なんだが……ビアンカを、そんな凶悪な化け物と戦わせるわけにはいかない。  俺の気持ちが視線から伝わったのか、ビアンカは慌てて表情を崩した。 「で、でもやっぱりまだお父様たちの傍に居たいって気持ちもあるのです! だから一度お城に戻って、これからのことを考えたいのです。大神官様も、結論は急がなくていいと仰ってましたし」 「そうか」  あのじじい。  俺には、ビアンカを聖女として迎え入れたいと滅茶苦茶説得してきたくせに……  まあいい。  可愛い娘が帰ってきたのだ。今はそれを喜ぶことにしよう。  エクペリオン城の正門が開いた。  馬車が正面玄関に止まると、すでに俺たちが王都に到着した報告を聞いていた者たちが、ずらっと並んで出迎えてくれた。  馬車から下りたビアンカが周囲を見回すと、彼女の視線を受けた使用人や兵士、侍女や騎士たちが笑顔を浮かべた。  皆、ビアンカの可愛さにやられているようだ。  分かるぞ、その気持ち。  が……笑顔を浮かべる彼らの向こう側に、非常に冷たい空気を纏う人物がいらっしゃるようですが……あ、こっちにやって来た。  並んで立つ俺たちの前に進み出たのは、氷結の王妃アリシア。  なんというか……背後からゴゴゴッという効果音が聞こえてきそうなほど、押しつぶされそうな気迫を発している。  その青い瞳はただ一人、ビアンカを見つめていた。いや、見つめているというレベルじゃない。睨みつけている。  それも今までの比じゃないほど怖い。  白雪姫と継母の再会の尋常じゃない様子に、周囲もざわついているようだ。 「ビアンカ姫」  聞くものの心を一瞬して恐怖に叩き落とすような冷たい声色が、ビアンカの名を呼んだ。アリシアが瞳を細めると、周囲の気温がマイナス十度は下がった気がした。  怖い怖い怖い。 「先ほどこちらに向かってくるときの歩き方を拝見しておりましたが……神殿にいる間に王族としての立ち振る舞いをお忘れになられたのでは?」  ……ん?  ビアンカの歩き方、そんなにおかしかったか? っていうか、ドレスで足下が隠れているから歩き方なんて見えないんだが……  え? 透視能力とかあったりする?  注意をされている内容はともかく、大人ですら泣いちゃいそうになってしまうアリシアの気迫に、十歳のビアンカが耐えられるわけがない。  あの一件以降、距離を取ってしまっているが、俺が出なければ。 「王妃――」 「ご指摘いただき、ありがとうございます、王妃殿下」  アリシアを諫めようとした俺の声を遮るような、ビアンカの元気な声が響き渡った。あまりにもこの冷たすぎる場にはそぐわない明るい声に、思わず目を見開いて隣を見ると、ビアンカはニコニコしながらアリシアに向かって頭を下げていた。  そして、こんな状況でも全く表情筋ピクリともしないアリシアに向かって、満面の笑顔を向ける。 「危うく恥を晒し、エクペリオン王家の名を穢すところでした。今後もご指導のほど、よろしくお願いいたします」 「……気をつけなさい」 「はい!」  元気に返事するビアンカに、アリシアは背を向けると、城内に戻っていった。氷結がいなくなったことで場の空気が元に戻り、固まっていた皆の表情に安堵が浮かんだ。  分かる……  アリシアの裏の顔を知っている俺だって、あのプレッシャーはきつかった。  俺もホッと息を吐き出すと、ビアンカの様子を伺った。 「大丈夫か、ビアンカ? 王妃には、もう少しお前への態度を改めるよう伝えておこう」 「いいえ、お父様、私は大丈夫です。王妃殿下は、私の至らない点を指摘してくださっただけ。悪意はないと分かっていますから。それに――」 「それに、どうした?」 「……いいえ、何でもありません」  ビアンカの口から、それ以上の言葉は出なかった。  代わりに僅かに瞳を細め、唇を強く結んだ。  先ほどまで笑顔を浮かべていた娘とは思えない、大人びた表情を浮かべながら、立ち去るアリシアの後ろ姿をジッと見つめていた。 
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