第26話 鏡の最期

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第26話 鏡の最期

 魔法の鏡から、俺の姿が消えた。  代わりに現れたのは―― 「よくぞここまで辿り着きましたね、レオン」  頭から布を被った女性――前世の俺に八つ当たりで雷を当てて殺し、お詫びに今の人生を与え、さらにチート能力を授けると約束した、この世界ファナードの女神だった。  声も、プライバシー保護な甲高いものではなくなっている。  俺の推測は当たっていた。  だが、当たって嬉しいなんていう気持ちはない。  逆にこみ上げてきたのは、 「何故だ……何故女神自ら、リュミエールを(そそのか)した‼」  怒りだ。  この世界を守る女神自ら、リュミエールを破滅へ導こうとしていた事実が、許せなかった。  だって女神だろ?  この世界を守る神様だろ⁉  なら、狭間の獣に取り憑かれた彼女を助けることだって、できたんじゃないのか⁉  なのにこの女がしたことは、真逆のことだった。  リュミエールを唆し、国を守るために死ねと言った。  そのために、彼女に協力していた。  許せなかった。  しかし俺の怒りを受けても、女神は平然としているようだった。まあ、顔は見えないから分からないが、少なくとも俺にはそう思えた。 「……唆す? 人聞きの悪いことを仰らないでください」  井上拓真を転生させる前、俺に肩を掴まれてヒーヒー泣いていた人物と同じとは思えないほど、冷然とした声だった。  その態度が(かん)に障った。  さらに怒りを込め、女神に言葉を叩きつける。 「人聞きが悪い? お前……本気でそう思っているのか? 女神であるお前が、何故リュミエールを殺そうとした⁉ 狭間の獣に取り憑かれているとはいえ、お前なら何とか出来るだろ⁉」 「出来ませんよ」 「……えっ?」  あっさり否定され、俺は思わず間の抜けた声をあげて立ち尽くしてしまった。そんな俺の耳に、女神の淡々とした声が通り過ぎる。 「ここ異世界ファナードは元々、私が生みだした世界ではありません。私は、前管理者によって譲り受けたのです。ご存じでしょう? 世界を管理する女神は、時々交代するのだと」 「あ、ああ……だから像には顔がなく、女神の名前すらないと……」 「ええ、そうです」  女神は満足そうに頷いた。 「あなたの妻に取り憑いた邪纏いは、私の力ではどうにもならないのです。何故ならこの世界は前管理者によって様々な設定や制約が課され、譲り受けただけの私には変更する権限がないので。私自身も、前管理者によって作られた制約に縛られているため、この世界に大きく干渉することは許されていません。だから私にどれだけ力があっても、あなたの奥様に取り憑いた邪纏いを直接祓うことは出来ないのです」 「その話を俺にするのはいいのか?」 「ええ。あなたは、女神が交代することや、邪纏いに課せられた制約をご存じなので、世界が許容しているようですから」  なるほどな。  それなら、 「もしお前もこの世界の制約を破れば、死ぬのか?」 「私自身は死にません。何故なら私の存在はこの世界の外にありますから。ただ、繋がりは破壊されるでしょう。今で言うと、その鏡が」  女神の手が俺に向かって伸ばされた。が、それは途中で止まり、まるで撫でているかのように指先が動いている。  向こうにも、同じようなものがあるんだろうか。  そいつを通して、リュミエールを破滅へと導いていたのだろうか。  彼女は――リュミエールは、お前のことを信頼し、大切に想っていたというのに……  鏡と一緒に、おーーー! していた姿や、鏡に成り代わった俺の相談に親身になってくれたリュミエールの姿を思い出し、再び怒りがこみ上げてきた。  沢山文句を言ってやりたかった。  だが怒りが度を超したせいか、頭の中がグチャグチャで言葉がまとまらない。  でもこれだけは確認しておかなければ。 「……俺が転生する前に約束したチート能力は、貰えるんだろうな?」 「それはご安心ください」 「狭間の獣を祓う力でも可能なのか?」 「もちろん」  女神が裏切り者で、どれだけろくでもない奴であっても、チート能力を授ける約束さえ守って貰えればいい。   バレないようにホッと胸を撫で下ろしていると、女神から小さな笑い声が聞こえた。  なにわろてんねんと言ってやろうと思ったが、奴が話し出す方が早かった。  その声は笑いを含んでいて、でもって何故か震えていた。  俺を転生させる直前に発したときと同じように―― 「ここまできたのですから、あなたにはご褒美をあげないといけないですね?」 「ご褒美だぁ? お前、ふざけるのも――」 「あなたはビアンカ姫から、同じような人生を四度経験していると聞いていますね? その現象が、あなたの娘に起こっていると思っているのですか?」 「ど、どういうことだ……?」  その言い方だと、まさか……   「あなたにも、同じことが起こっているのですよ。ただし、あなたの娘とは違い、記憶はないようですが」  次の瞬間、魔法の鏡の端に小さなヒビが入った。  だが、女神は語るのを止めない。 「あなたも……いえ、この世界の人々は、何度も何度も繰り返しているのですよ。この時間を、人生を――」 「何度もって、一体どのくらい……」 「……数え切れないくらい」  今度は鏡の中央に、大きなヒビが走った。  だが、女神は語るのを止めない。  さらに声を大きくして、俺に問う。 「あなたの妻に取り憑いている狭間の獣ですが、もし目覚めれば、被害はどのくらいになるとお考えですか?」 「え、エクペリオン王国を滅ぼす程の力があるんじゃ……」 「――世界です」 「……え?」  鏡の中央から、蜘蛛の巣状にヒビが入った。  鏡に映った顔が、いくつにも分かれガタガタになったかと思うと、割れた鏡面の一つ一つに映し出された女神の口が、一斉に声を発する。 「狭間の獣が滅ぼすのはこの世界。あなたたちは、狭間の獣に世界が滅ぼされて人生を終え、私が巻き戻した時点からやり直しているのです。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――」 「う、嘘……だ……」 「この真実に辿り着いたのが、今回が初めてだと思いますか? いいえ、あなたは何度もここまで辿り着いているのです。ですが、世界の滅びを食い止めることは出来なかった。私は管理者として、この世界を育てなければならない。あなたたちが真実を知っても世界の破滅を食い止められなかったのなら――」  女神の声がますます大きくなる。  不快になるような雑音となって、俺の耳から脳に侵入してくる。 「狭間の獣の宿主を唆し、殺し続けるしかないじゃないですか」    次の瞬間、俺は拳で鏡をぶっ壊していた。  大きな音を立て、ボロボロと鏡の破片が地面に落ちる。俺の拳も傷がついて痛い。だが、頭の中を揺らす女神の声は途切れない。 「それでもまた抗うのですか? 繰り返すのですか?」 「……黙れ! お前から狭間の獣を祓う能力を貰えば、リュミエールも世界も救える!」 「今までのあなたが、チート能力で狭間の獣を祓わなかったと思っているのですか?」 「ならおかしいだろ! チート能力で狭間の獣を祓えるとお前は言っただろうがっ‼」 「それでは駄目なのです。狭間の獣を、ただ祓うだけでは……だから――」  女神の声が遠くなる。  何か言っているようだが、聞き取るのは困難だ。  しかし、最後の言葉はハッキリと聞こえた。 「思い出して――」  それっきり、女神の声は聞こえなくなった。  恐らく、世界の制約とやらに違反したせいで、繋がりが途切れたからだろう。  俺は、ぶっ壊した鏡を見下ろした。  鏡の破片で傷ついた右手を強く握りながら、決意を新たに呟く。 「俺は……決して諦めない。愛する人の命も……世界も……」  たとえ同じことを、何度も何度も何度も何度も、繰り返しているのだと言われても――  そのとき、視界の端に人影が映った。  慌てて振り返ると、そこには、 「陛下! 一体どうしてここに……」  この部屋から遠ざけていたはずのリュミエールの姿があった。
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