92人が本棚に入れています
本棚に追加
第35話 神などいない
とりあえず、大神官の爺さんが土下座して謝ったのを見届けると、俺は、大神殿の見学を終えたリュミエールたちと合流した。
その後は、ビアンカが城にいるときと同じように、親子三人、水入らずの時間を過ごした。
時間はあっという間に過ぎていき、クウォルト大森林出発を前日に控えた大神殿滞在三日目の朝食後、そのときがついにやって来た……
俺は今、大神殿内にある大聖堂にいる。
目の前には、顔を隠したファナードの女神像。
女神像を見ていると、何度も決意を固めたというのに、このままチート能力を使って狭間の獣を祓っていいのか不安になる。
こいつは一体、俺に何をさせたかったのだろうか。未だに分からない。
何を、思い出して欲しかったのかも――
胸の奥が何故か苦しい。
あのクソ女神が笑いを含みつつも、でもって、心の奥底にある本心が表にでないよう堪えるように震えていた声を思い出すと、心が酷く揺さぶられる。
……俺も、狭間の獣の邪祓いを前にして、緊張しているんだろうか。
だから、意味も無く不安になるのだろうか。
しっかりしろ、俺!
それに今は、そんなことに思考を取られている場合じゃない!
気を取り直し、自分の服装を見える範囲で再確認する。
今、俺は正装をしている。とはいえ、城の行事などで身につけるような、なんかジャラジャラをいっぱい付けた軍服っぽい服ではない。
白いジャケットとベストという、正装ではあるがシンプルな装いだ。
前世の世界でいうと、フロックコートという、ジャケットが長いタイプのタキシードみたいな服だ。
なんで服に興味がない俺がそんなことを知っているかというと、前世で会社の上司の結婚式に出席するさい、レンタル衣装店のおばちゃんが今後のためにって教えてくれたのを、何となく覚えていたからだ。
まあ、その今後とやらがくることはなかったけどな!
心の中で涙をのんでいると、大聖堂の扉の向こうが騒がしくなってきた。
いよいよか。
俺は女神像に背中を向けると、扉の方へ向かう。俺が足を止めるとほぼ同時に、大聖堂の扉が開いた。
目の前には、リュミエールがいた。
だが、ただのリュミエールではない。
真っ白いドレスと、頭にレースのベールをつけた、リュミエールだ。
期間限定リュミエール花嫁ver.だ。
ランクとしては、SSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSS級だ。激レアだ。
もしソシャゲにいれば、俺は間違いなく毎月の給料をつぎ込んで、ガチャりまくっていただろう。
そしてクレジットカードの請求額に目を剥き、不正利用されたんか⁉ となりつつも、全て心当たりのある請求で解せぬとなるだろう。
そして、リュミエール花嫁ver.を引いたことをSNSで自慢し、引けなかった奴等からのヘイトを集めて絡まれ、ちょっと炎上するところまで視えたな、今の一瞬で。
俺の装いがシンプルなかわりに、リュミエールのドレスには、これでもかというくらい、フリルをあしらっている。腰回りから足にかけて大きく膨らみ、何重もの艶やかな布地が重なって層を作っている。
ちなみに俺の希望で、肩や首周りまでドレスで覆われているデザインだ。彼女の肌を人前で見せるものか、という俺の意思表明である。
煌びやかなアクセサリーを身につけているが、彼女の美しさの引き立て役にしかなっていない。
どれだけピカピカに磨かれた宝飾品も、複雑にカットされた宝石も、澄んだ青い瞳の輝きには到底及ばない。
ちなみに俺が平然としていられるのは、彼女の支度をコッソリ見て、事前に慣らしていたからに他ならない。
でなければ、彼女の美しさという精神攻撃を受けた俺は、大ダメージを食らっていただろう。そしてよろけながら逃げた先で倒れ、【やばい むり】というダイイングメッセージを血文字で残した状態で発見され、エクペリオン王国一の怪死事件として、後世に語り継がれることとなっただろう。
いや、今でも十分、やばい、むり、なんだが、根性で耐えている。
リュミエールは、非常に困惑した表情を浮かべていた。
だが俺と目が合った瞬間、彼女は口元を手で押さえ、ぐらっと体勢を崩した。
「リュミエール⁉」
慌ててドレスに包まれた身体を支え、俺の方にもたれるように引き寄せる。
彼女の後ろに控えていた二名の女性神官に、心配ないと目線で伝えると、抱きしめたリュミエールの顔を覗き込んだ。
そこには――全てをやりきって、ものすんごい満足した表情を浮かべて目を閉じる、リュミエールの姿があった。何故か合掌のポーズをしている。
この状態ももの凄くおかしいのだが、それ以上に、このままだと彼女の存在がサラサラと崩れてしまいそうな危うさを感じるのは、俺だけだろうか。
「おい、大丈夫か? リュミエール。一体何があった?」
俺はリュミエールの頬を軽く叩いた。
青い瞳がカッと見開かれたかと思うと、彼女の細い肩が大きく上下した。俯いて自分の胸に手を当てながら、リュミエールは荒い呼吸の合間に言葉を入れる。
「はぁっ、はぁっ……あ、あの……ここに入った瞬間、この世のものとは思えない神々しい存在によって目を潰されたかと思ったら、意識が一瞬にして持って行かれて――恐らくあれは男神――」
そう言って俺の顔を見上げた瞬間、リュミエールの身体から力が抜けた。
また何故か合掌のポーズをとり、今度は譫言のように、
「神が……神が降臨……なされ……」
とブツブツ呟いている。
もしかして……正装した俺をみて、倒れた?
譫言のようにブツブツ言ってる神って、俺のことか⁉
もう心残りはありません、と言わんばかりに、満足そうな表情を浮かべながら目を閉じているリュミエールの頬をもう一度軽く叩くと、先ほどと同じように、青い瞳がカッと見開かれた。
荒い呼吸を繰り返し、また俺を見ようと目線を上げ……ようとしたところで、彼女の視界を手で塞ぐ。
俺を見る度に倒れられちゃ、何も進まん。
「俺の声が聞こえるか、リュミエール?」
「はい。この手は……レオン様、ですよね?」
「ああ、そうだ。そして、ここにいるのは俺だけだ」
「え? 男神が降臨なされたのでは……」
「神などいない。とりあえず手を離すが、ゆっくりだ。ゆっくり目を慣らし――って、いきなり目を開けるな、また倒れるぞ! そう、そう……目をほそーく開けて、少しずつ俺の姿が見えるように……そうそう、動揺するな。何度も言うが、ここに神はいない」
何なんだ、これ。
身体を慣らしていくって……冬場のお風呂かな?
神はいない……目は潰れない……と何度も呟きながら、リュミエールはゆっくりと目を開け、こちらを見た。俺の姿に少しずつ慣らしながら目を開けたため、先ほどのように倒れることはなかったが、代わりに、こちらを見つめたままポーッとしている。かと思えば、眉間に皺を寄せながら双眸を閉じ、瞳を開くと同時にいつもの氷結顔に戻った。
「……大変失礼いたしました。先ほどの御方は、あなた様だったのですね。私が想像する男神など足下にも及ばぬ神々しさに、魂が召されるところでした」
いや、召されてただろ、一瞬。
相変わらずな妻の奇行に、苦笑いを浮かべるしかない。
正気を取り戻したリュミエールは、改めて俺の方を見つめながら、首を傾げた。
「それで、これは一体どういうことでしょうか。このドレスや、あなたの神のようなお姿――いえ、正装姿、まるで……」
「そうだ。ささやかだが、結婚式を挙げようと思ってな」
俺の言葉に、リュミエールは瞳を見開いた。
三年前に結婚はしたが、前妻セラフィーナが病死だったことや、新しい母親を迎えるビアンカのことも考え、両国で話し合った結果、結婚式は挙げないことにしたのだ。
だが、セラフィーナが亡くなったのはもう十年前だし、ビアンカとリュミエールの関係だって良好だ。
なのでビアンカと話し合い、リュミエールには内緒で結婚式を挙げる計画を立てていたのである。
この話は城の者たちにもしていたため、休暇先が大神殿であっても疑問に思われなかったのだ。
ちなみに今回は来客もない、親子三人だけの式だ。
国を挙げての式は、邪纏いの件が解決してからすればいい。
こんなん、なんぼあってもいいですからねぇ。
「で、でも、ビアンカもレオン様も、ただでさえ邪祓いのために大変な思いをされているのに、こんなことまでしていただいて……ご負担ではありませんでしたか? 邪祓いが終わってからでも……」
「……それだと、フラグが立ってしまうからなぁ」
「え? 何か仰いましたか?」
「……こういう大変なときこそ、楽しいことや喜ばしいことをすべきだと言ったんだ」
彼女が聞こえていないことをいいことに、俺は適当に誤魔化した。
まあ、言えるわけないだろ。
俺、この戦いが終わったら結婚するんだ発言は、お約束の死亡フラグだと。
縁起が悪すぎる。
俺は小さく笑いながら、腕を出した。リュミエールは恥ずかしそうに俯きながらも、そっと腕を絡めた。世話役の女性神官から白いブーケを受け取ると、俺と足並みを揃えながら、ゆっくりと前に進んでいく。
ファナードの女神像の前にある、祭壇の方へ――
最初のコメントを投稿しよう!