第40話 むかしむかし(別視点)

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第40話 むかしむかし(別視点)

 むかしむかし。  エデルと呼ばれる国に、アリシアという名の王女様がいました。  戦争で父親である国王を亡くした王女様のお母様は心を病み、夫の面影を残す王女様に辛く当たるようになりました。  王女様への虐待はどんどんとエスカレートしていき、王女様のお母様はとうとう、王女様に毒を盛って殺そうとしました。  ですが王女様は間一髪救われ、命を取り留めました。  王女様は、自分を殺そうとしたと、お母様を訴えました。  彼女の訴えは認められ、由緒正しいエデル王家の血を引く王女様を殺そうとした罪で、王女様のお母様は処刑されてしまいました。  平穏が訪れました。  しかし、王女様の心に平穏が訪れることはありませんでした。  お母様が処刑されるきっかけを作った自分を、責め続けました。  毒を盛られたとき、死ぬべきだったのではないかと、後悔しました。  お母様が死んだ後も、王女様は苦しみ続けました。  そんな彼女を、周囲の人々は助けようとはしませんでした。  実の娘を手にかけようとした狂った女の子どもだと噂をし、叔父である王様ですら、感情を表に出さない幼い王女様を、気味悪く思っていたからです。  お母様を失い、王女様は本当にひとりぼっちになってしまいました。  月日が経ち、王女様も結婚を考える年頃になった頃、突如、かつての敵国であるエクペリオン王国の王様との結婚を命令されました。  しかし、相手は王女様のお父様を殺した元敵国。本来であれば王女様にとって、屈辱的な命令なはず。  ですが王女様は何も思いませんでした。  ただ、命令に従いました。  だって、何も失うものはありませんでしたし、今以上に何かが悪くなるとも思っていませんでしたから――  ですが、初めて結婚前の顔合わせのために、エクペリオン王国の王都へ向かったとき、庭園で小さなお茶会をしていた父娘に心を奪われました。  王女様がとうの昔に失った何かが、そこにありました。  庭園で見た彼らが王女様の伴侶、そして継子だと知った時、固く閉ざされていた心の氷壁に、僅かに光が差し込みました。  しかし、王女様は自分のお母様を死に追いやった罪人。  それに、無表情で何を考えているか分からないと不気味に思われています。  親子の絆で結ばれた夫と娘の間に、自分が入り込む余地などない。  自分は、二国を繋ぐ道具にしかなり得ない。  そう思いながら、王女様はエクペリオン王国に嫁ぎ、王妃様となりました。  どうやって溶かせばいいのか、自分でも分からない氷結を顔に貼り付けたまま――  しかし、王妃様を守り続けてきた氷結は、優しい夫と愛らしい継子によって溶かされることになるのです。  王様――レオン・メオール・エクペリオンは、感情が表に出せない王妃様に対し、惜しみない愛を注いでくれました。  たくさん王妃様を抱きしめ、愛の言葉を贈りました。  継子――ビアンカ・ネーヴェ・エクペリオンは、無機質で淡々とした王妃様の言葉に対し、豊かすぎる感情を込めながら沢山の言葉を返してくれました。  王妃様を『お義母様』と呼び、本当の母のように慕ってくれました。  父と娘だけだった親子の絆の中に、王妃様を迎えようとしていたのです。  王妃様は戸惑いました。  そしてとうとう王様に、自分の過去を打ち明けてしまいました。  自分がどれだけ罪深い人間であるかを。  王妃様の過去を知った王様は、共に苦しみ、彼女を助けなかった周囲に憤り、最後は王妃様の全てを受け入れてくれました。  辛い過去を乗り越え、共に未来を見ようと、手を差し伸べてくれました。  王妃様はその手を取りました。  その手をとって――初めて、心の底から笑うことが出来たのでした。  王妃様は幸せでした。  愛する夫と、可愛い娘の存在が、王妃様の心を癒やしていきました。  王妃様は 幸せでした。  こんな自分にも、守りたい者がいるという事実が、王妃様の心を強くしていきました。  王妃様は 幸せ でした。  王様が王妃様に、暖かな薄黄色のドレスを贈ってくれました。  初めて身につける色に心を躍らせ、絶対に似合うと言って贈ってくれた王様に、王妃様は深く感謝しました。  王妃様は 幸せ でし た。  王様との間に、念願の王子が産まれたました。しかし王妃様は、継子と実子を決して区別することなく、平等に愛しました。  王妃様 は しあわせ で し た。  チェリックの通りを、親子四人で歩くのが大好きでした。  大きな影に挟まれる形で小さな影がある。そのでこぼこした影を、王様がいつも【幸せの形】と呼んでいたのが、忘れられませんでした。  おうひ様 は しあわ せ で し た 。  家族だけでなく、皆が王妃様を愛してくれました。  エデル王国では得られなかった幸せが、ここにありました。  王妃様はもう、お母様を死に追いやった罪人では、なくなっていました。  幸せを願っていいのだと、自分を許しました。  おうひさま は し あわ せ で し た。  継子――ビアンカが十五歳の誕生日を迎えたのです。  国を挙げてお祝いをしました。  王様も笑顔でした。  王妃様も笑顔でした。  王子様も笑顔でした。  皆の笑顔に包まれた主役たる王女様も笑顔でした。 「ビアンカ、せっかくの髪飾りが歪んでいますよ?」  そんな王女様を愛おしそうに見つめながら、王妃様は王女様の髪飾りを手に取り、真っ直ぐ付け直そうとしました。  しかし髪飾りが、王女様に着けられることはありませんでした。  何故なら、次に王妃様が目にしたのは、全てが破壊され、何も遮る物がなくなった地平線だったのですから。  空は血のように真っ赤で、大地は岩と砂で敷き詰められていました。  乾いた風が、絶え間なく王妃様の髪を揺らしました。  身につけていたドレスは、汚い布と化していました。  腕にも足にも、無数の切り傷がありました。  王妃様は思い出しました。  一体何があったのかを。  自分の中で生まれたナニカが、愛する家族を、国を、世界を滅ぼしたことを。  もうこの世界には、自分以外、誰もいないことを。  もうこの世界には、自分以外、何もないことを。  いいえ、一つだけありました。  王妃様は手を開きました。  決して失うまいと、大切に握りしめていた手の中にあったのは、  ――半分溶けた髪飾り。  王妃様は慟哭しました。  細い喉から発されるそれは、まるで獣の遠吠えのように、何もない空間にどこまでも響き渡りました。  こうして おうひ さま は  ふしあわせ に なり ま した 。
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