3.証明の途中過程

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 礼を言われるようなことは何一つしていない。俺は偲先輩に頼まれたことを、何も考えずに承諾してこなしただけだ。彼を部屋に一晩泊めて、朝になったら起こして一緒に登校する。こちらが特別なことをしたという感覚はなく、自分の日常のなかに偲先輩が入り込んできたという感じだ。 「永司くんは、その……嫌じゃなかった? 俺が毎週家に上がり込んで」 「……今更」  当初偲先輩からこの話を持ちかけられた時は、「永司くんだって俺と一緒にいたいでしょ。ね、ね?」と酷く自己中心的なペースで推し進められたものである。 「でもまあ……嫌ではなかったです」 「本当に? それならいいんだけど。永司くんって、一人の時間を大事にするタイプだなって思ってたから」  思いがけず内面を指摘されて、少々びくっとする。  偲先輩の言うとおりだ。けれども、それはかなり婉曲的な表現を選んでいるように汲み取れた。  一人の時間を大事にしている、というのもある側面では事実。だが、それは自ら好んでしているというよりは、それ以上に他人と時間や空間を共にすることが苦痛なので、消去法で選択しているスタイルだ。  俺にとって、他人のリズムや調子に合わせることは至極困難なのだ。だから行進も大縄跳びも、ダンスも体操も、合唱も合奏も、どれもこれも下手くそだった。  俺には他人の感覚が分からないし、他人もどうせ俺の感覚が分からないから、結局一人でいるのがいちばん楽だと思うようになったのだ。信念やこだわりはない。 「ちなみに、俺は……毎週永司くんのとこに泊まるのさ、めちゃくちゃ楽しかったよ。きっかけは基礎英語の授業に出席するためだったけど、そのうち本来の目的を忘れるくらいに、この時間が楽しみになってた……」  何故か偲先輩の声に、妙な緊張感が漂っている。時々言葉に詰まるようなそぶりもあって、有体にいえば“らしくない”。グラスを片手に俯く所作からも、まるで独り言を言っているようにも見える。  かと思えば、やはり急に思い出したようにテンションを上げて、 「……いや、ごめんごめん。まずは、早く食べようって話だったもんね。俺ってば、つい余計な話をしちゃった」  有無を言わさず空気の流れを変えながら「サンドウィッチ、どれ食べる?」などと聞いてくるので、俺も気持ちの照準をそちらに合わせて「卵とハム」と答えたりする。  偲先輩はその後もしばしば自分の食事を中断して、俺の食べたいものを尋ねては更に取り分けた。もとより他人の世話を焼くのが好きな彼ではあるが、いつもよりもまして甲斐甲斐しい。  これもまた、違和感として俺の目に映る。  いっそのこと酒でも飲んでいるのならまだそれらしく理由づけして留飲を下げられるのに。けれども、今日に限って素面(しらふ)なものだから、いよいよもって訳が分からない。
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