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「勿論あなたに悪気がなかったとは思う。でも、どういう意図であんなことを言ったのか、説明して欲しいの」
早池峰さんの問いかけ方は寄り添うようでいて、厳しい。茶化したり煙に巻いたりして逃れることなど一切許さない気迫だ。
「あの……」
一端呼吸を深くしてから、俺は真意の釈明に入る。
「……嫌われたって別にいいというのは、心寧ちゃんを蔑ろにしようと思って言ったわけじゃないです。彼女が、自分はみんなに嫌われていると思っていて、そんな自分は死んだ方がいいんだって言ったから。……そんなことないって伝えたくて、ああいう言い方になってしまいました」
「だったら、率直にそう言えばよかったじゃない。どうして、わざわざあんな言い方をしたの」
「それは……」
それは。
「嫌われようが……非難されようが、孤立しようが、何も恥じることはないからです。……心寧ちゃんは、普段から自分を否定するような発言が多かったから……どんな時でも、彼女が自分自身を受け止められればいいのにと思って」
俺の言い分を聞いた早池峰さんは、眉間に皺を寄せて難しい表情を見せたが、全ての感情を一端飲み込んだように頷いた。
「……なるほどね」
話がこれで終わるはずがないというのは、彼女の息遣いで察知できた。
「……でもね、私達大人に対してもこのくらいの説明が必要だったの、貴方の意図を理解するには。それが子ども相手ならどう? しかも、興奮して冷静さを失っている子どもなら」
言うまでもない。俺の判断は誤りだ。
少なくとも、あの状態の心寧ちゃんに掛けるべき言葉ではなかったのだ。
こちら側にどれほど切実な思いがあろうと、簡潔に伝えられなければ誤解を招くし、相手を傷つけるリスクを孕んでしまう。
「まあ……そんなに落ち込まないで。永司くんの伝えたかったことは、間違ってないよ。自己受容の問題は、心寧ちゃんだっていつか向き合う時が必ず来るわけだし」
ぐうの音も出ない指摘に項垂れている俺を見て気の毒に思ったのか、三ツ石柊人さんがフォローしてくれた。三ツ石さんは経理も担当している男性スタッフで、どちらかといえば感情より論理の人だ。だからなのか、子ども達の現実的な問題に対しても日頃から結構シビアに考えている。
「それと、引っ掻かれた首のところ。傷口から菌が入って化膿する可能性もありますし、異変があったら必ず病院に行ってくださいね」
俺の怪我を気遣ってくれる若い女性スタッフは大森鈴さん。大学を出たばかりの新卒で、小学校と中学校の教員免許を持っている。
掴みかかられた時に爪が引っかかった箇所は、念のために消毒液で処置した。今のところ痛みは引いているし、鏡で確認しない限り自分では傷の存在も気づかない程度だ。
事故当時の俺の趣意を確認できたこともあってか、早池峰さんの表情も声も幾分か和らいだものに変わった。
「厳しいことを言ったけど、永司くんが一生懸命子ども達と関わってくれていることは、みんな知っているから。とにかく今日はゆっくり休んで。何かあったらいつでも相談してちょうだい」
「……はい。すみませんでした……」
今一度、念を入れて俺は頭を下げる。正直に言うと、他にリアクションのしようがなくて選んだ所作だ。
肩身が狭い。相手の子どものことを傷つけた上に、騒ぎを大きくして他の児童達へ動揺を広げ、更にスタッフの手を煩わせた。言い逃れできないほどの迷惑をかけておきながら、なお温情を受けている。
叱られたいとか責められたいとかいうほど、自分に厳しくはなれない。
なのに、優しくされても何だか居心地が悪くて、素直に受け取ることができない。
こういうのを、まさに“自分勝手”というのだろう。
自分の胸の内にそうラベルをつけて、俺はまたマイナスの実績を何事もなく更新した。
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