3.証明の途中過程

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「……あのね、永司くん。俺はいつ、君に嫌いだなんて言った?」  語り掛けてくる声色に温もりを感じながら、目を閉じる。それから、至近距離にある彼の首筋からふわりと香る奥行のある芳醇な匂い。 「俺、忘れっぽいし、間違ってたら指摘して欲しいんだけどさ。俺が記憶している限り、君に対して好きと言ったことはあっても、嫌いと言ったことはなかったはずだよ」  その通りだ。  彼が実際に俺を嫌いだという発言をしたことは、過去三年に遡っても、たったの一度もない。  全て俺が、自分を防衛するためだけに作り上げた思い込み。本当に嫌われてしまった時の傷つきを少しでも軽減するために、先回りしてでっちあげた姑息な虚構。 「思い込みで俺を撥ねつけていたのは、君の方だよね」  反論の余地はない。  罪悪感に近いきまり悪さで何も言えずにいる俺の顔を、偲先輩の骨ばった両手が包み込む。 「でも……君の気を引きたくて、無視したり不安になるような振る舞いをしたことは、謝る。……ごめんね。本当はこんなに怖がりで、傷つきやすくて、誰よりも優しくしなきゃいけない相手だったのに」  この期に及んでなお卑怯な俺は、自分の内心に疼くものに気づかないふりをしながら目を閉じる。無力を装って、全てを偲先輩のせいにする。 「――――好きだよ、永司くん。本当に好き。信じてよ……俺のものになって。俺の彼氏になって。俺、いっぱい優しくするから。永司くんのこと、大事にするから」  もはや、どちらが強くて弱いのか。どちらが善で悪なのか。どちらが被害者で加害者なのか。元々の関係も立場も分からなくなるほどひたむきに、上擦った声で偲先輩は俺に訴えかける。  俺は卑屈で陰湿だから、ただ黙っていた。高校時代、偲先輩が俺にしたように。  そこにあるのは怒りなのかもしれないし、悔しさなのかもしれない。もしかしたら甘えなのかもしれないし、思慕の情かもしれない。  思い当たる感情の全てをごちゃ混ぜにして自分のことを棚に上げ、傷つけられた形を再現して偲先輩に仕返しする。  こんな局面で取るべき態度ではないことは承知。だから嫌われるんだよ、と自分を罵りマイナスを重ねながら、それでも俺は最後の意趣返しで彼に対峙する。  結局のところ、俺の幼稚な復讐は、偲先輩の前では何の力も持たなかった。  言葉による応酬も沈黙での攻防もなく、俺の唇の上にしっとりとした体温が触れたのみ。  頭のなかが真っ白になり、眩暈のような感覚が走る。  キスをされたことに漸く気づいた俺は、どうしようもない衝動がこみ上げてきて自ら降伏するより他なかった。  そして、致し方ないふりで自らの後ろめたさを覆い隠しながら、彼の腕のなかへその身を預けるのだった。
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