1.自尊心の最小値

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####  出会いは高校時代。漫画研究部――漫研部の部室でのことだった。偲先輩は絵が上手く、漫画やイラストを描くのが趣味で、漫研部の部長だったのだ。その時の彼は三年生、俺は二年生だった。  ちなみに偲先輩、中学時代は水泳部だったし、大学に入ってからは軽音サークルに所属している。多趣味というか、ころころ興味が移る落ち着きがない人だ。  自己管理という行為が全般的に苦手な偲先輩は、部誌原稿の締め切り破りの常習犯だった。出会ったその時も、締め切りの三日前だというのに、八ページ分の漫画の下絵までしか終わっていなかった。  今度ばかりは提出を遅らせるわけにはいかないと切羽詰まった状況で、手伝いに借り出されたのが俺だった。  当時の俺は、それまで偲先輩と喋ったこともなければ、漫画制作経験もなし。ただ、双子の兄が漫研部に所属していたことで、部室に呼ばれる縁が訪れた。工作が比較的得意だったので、手先を信用されたというのもある。何かを作る細かい作業は、苦手事項の多い俺の数少ない拠り所だった。  何はともあれ、漫画原稿のトーン貼り作業を二日ほど手伝うに至ったのである。  初対面の相手にも全く遠慮することなく、偲先輩は距離を縮めてきた。屈託のない笑顔という言葉がぴったりの表情で、お互いに名乗るその時からこちらの手をとってくるような人だった。  元来誰に対しても人懐こい性格で、なおかつ見た目も不思議な印象で人を惹きつける。何とも形容し難い顔立ちで、見ようによっては幼くも大人っぽくも見えるし、イケメンにも不細工にも見える相貌。体格も小柄な割に肩幅が広く骨太で、力強い小動物的に通ずるエネルギーを感じさせる。服装や髪形の好みもしばしば変わる偲先輩だが、表情や仕草から滲み出る雰囲気は当時も今も共通している。  明るくて人当たりが良くて、いつでも温かく笑っていて。件の原稿の手伝い以降、校舎で擦れ違う際にはいつも彼の方から「永司くん、お疲れー」などと手を振ってくれたりしていた。当初は俺も、偲先輩に親しみを感じていた。  今となっては思い出せないけれども。
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