1.声

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1.声

 家飲みは嫌いじゃない。嫌いじゃないけど、大して仲が良くない者同士での家飲みなんて面倒なことこの上ない。  って、きっと家主である史則(ふみのり)さんは思っているんだろうな、と恋歌(れんか)は肩を落とす。  こたつを囲みながらちらっと史則を窺う。  史則は相変わらず造作の整った、しかし、絶望的に表情が乏しい顔で、点けっぱなしのテレビを眺めている。流れている番組は、深夜の通販番組。紹介されているのは腹筋マシーン。確かに痩せて筋肉も少なそうな彼が食いつくのもわからないではない。ないけれど、それを凝視するほど今が退屈ということか、と恋歌は唇を噛む。  まあ、それも無理はない。だって、この飲み会を企画した洋二郎と恋歌の友だちで洋二郎に片思い中のすみれが、「飲み物足りなそうだね、買い出しに行ってくるよ」と笑顔で出て行って、すでに二時間経つ。  ようはふたりしてどこかへ消えたということだ。  だとするならば、恋歌もお暇するべきだったのだ。けれど、時計の針はすでに大幅に回っていて終電もない。だから、帰れない。  ……というのは言い訳で、本当は帰らないでいいように彼らを待つ素振りをしただけだ。  もっと一緒にいたかったから。もっと彼の声を聞きたかったから。  大学入学と同時に恋歌はイタリアンレストランでのアルバイトを始めた。その店には今日の飲み会のメンバーである洋二郎とすみれもバイトとして働いていたけれど、大学生バイトが主なメンバーのその店において恋歌より十歳年上の史則は正社員として働いていた。 ──はい、二番テーブル、ナポリタン。 ──十番テーブル、多分そろそろデザートのタイミングだと思う。皿、おさげして。  彼は普段はホールでチーフとして働いているが、欠員が出るとキッチンのヘルプに入ることもあった。器用なのか、なんでもすんなりこなす彼は、その端整な顔立ちもあってバイトメンバーにすこぶる人気があった。  恋歌もまた彼の魅力にやられたひとりだった。  ただ、恋歌が史則を好きだと思ったのは、そのスマートな物腰ゆえじゃない。  好きになったのは彼の声だ。  彼の声は男性にしては少し高くて、混雑したホールでもよく通った。涼しく澄んだ声で紡がれる言葉が尊く聞こえるようになったのは、バイトに入ってすぐのころからだった。  もともと声フェチだったというわけではない。それまでは恋は顔面から入ることのほうが圧倒的に多かった。  なのに、史則は違った。  この人に名前を呼んでもらいたい。  この人に好き、と耳元で言ってもらいたい。  そのときこの人がどんな顔をしているかなんてそんなことどうでもいい。ただその声だけを耳に落とし続けてほしい。  そんな気持ちが高まって止まらず、恋歌はバイト中、彼の声に耳を澄ませるようになった。結果、それ以外には意識が向かな過ぎてミスが増え、当の史則に呼び出されてこってり絞られることも多かったものの、それはむしろ至福の時間だった。 「変態か」  と、すみれには呆れられたが、彼女は彼女でバイト仲間の洋二郎が気になって仕方ないらしく、同じ職場で片思いをしている者同士、相談しあう日々が続いた。  そんなある日だった。  すみれの想い人、洋二郎によって史則の家での家飲みが企画されたのは。
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