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3.恋歌
いきなり史則が口を利いた。え、とどもる恋歌を見ることなく、彼は手元のリモコンを操作し、ネットにつないだ。サブスクで映画を観ようということらしい。
「あ、あ、はい。映画、お好きなんですか」
そう問いかけたけれど、多分そうなのだろうなあと思ってはいた。彼の部屋のオーディオラックにはDVDがどっさり詰め込まれていたから。
彼は画面を見つめながら、横顔でほんのり微笑む。
「うん、好き」
好き。
声を聞いたとたん、じん、と胸が痺れた。自分が言われたわけでもないのに。
動揺している恋歌を尻目に、彼はリモコンの上で指を滑らせ続けている。
「俺はさ、映画は三本続けて観るって決めてるんだよね」
「三本? ですか?」
「味変は必要だから」
味変。
首を傾げる恋歌を置いてきぼりに、史則は画面を見てやや目を眇めた。訊いたことはないけれど、もしかしたら少し視力が弱いのかもしれない。
「オススメは、パニック→ホラー→ヒューマンドラマの順番に観るコースかな」
「……パニック、ってどんなのでしたっけ?」
「突然宇宙人が地球を侵略したり、飛行機の屋根が飛んだり、火山が噴火したりするタイプの映画」
……なんでそれをしょっぱなに観るんだ?
首を捻ったけれど、まあ、いいか、と恋歌は頷く。
「いいですね! なんだかまったりしちゃったし、刺激的なものがいいかも」
「よかった」
いつもの透過率の高い声で言い、やっぱり前を向いたまま、彼は口元を綻ばせる。
顔なんてそれほど見ていなくて声に夢中だったはずなのに、なんでだかその笑顔を見たとたん、頭がくらりとした。
しかし三本。
ちらり、と壁にかかった時計を見上げる。彼が好みそうなシンプルな白い文字盤の丸い壁掛け時計は今、深夜一時を指している。
これから三本連続で観るとしたら、終わるのは……朝の七時。
映画を観ている間はおそらく会話をすることもないだろう。黙って画面に集中するばかり。それは彼が恋歌とそれほど会話をしたいと思っていないということの表れかもしれない。
がっくりしつつ、恋歌は画面に目を走らせる。
史則が選んだ作品は、休火山のふもとの町をモデルにしたパニックムービー。
主人公は地質学者だ。男前で勇気も知力も申し分ないが、事故で妹を亡くしてしまい心に深い傷を負っている、という設定。
あらすじは好きだけれど、これは恋している相手と観るタイプの映画じゃない。映画のジャンルは恋愛関係において大事、は恋歌の持論だ。まあ、好みもあるから絶対ではないが、この人とどうにかなりたい、という相手と観るなら、恋歌は断然恋愛映画だと思う。そのほうが隣で観ている相手のことをちょっと意識するような気がするから。
……ただ、パニックムービーといえば、吊り橋効果。映画を観ながらハラハラドキドキして、距離を縮めたいと思ってくれているかも?
それはないか、と恋歌は浮かんだ希望を即座に否定する。
「吹き替えでもいい?」
「あ、大丈夫です。飲んだ後だし、字幕ちょっときつかったから」
「ああ、俺も。ごめん、少し、コンタクト外して来る」
言いながら彼は立ち上がる。そのとき初めて彼がコンタクトをしていると知った。
なんか素敵、となにが素敵なんだかわからないことを思っている恋歌を置いてきぼりに、彼は洗面所へ姿を消す。
無人になったリビングを恋歌は見回す。洋二郎が言う通り、この部屋は居心地がいい。
掃除がきちんとなされているのもそう。くつろぎたいな、と思う場所にクッションや座椅子、ローソファーが設置されているのもそう。
けれどもうひとつあるとしたら、香りかもしれない。
レモンピールのような、柑橘系の涼しい香りがこの部屋には満ちている。
その香りは少し、彼の声に似ている。
「コーヒー淹れるけど、恋歌もそれでいい?」
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