3.ヒート side倫

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「生活感の無い部屋ね。まあ、靴下二枚重ねてても踏み込みたくないような部屋よりずっとマシだけどさ」  思ったことを口に出すのは麻子先輩のいいところでもあり、困ったところでもある。  個人の家に搬送する場合、散らかった部屋もあればそうでない部屋もある。  研修期間中に分かったのは、モノであふれていて巣ごもり感のある部屋か、ほとんどモノの無い空き箱のような部屋か、両極端な場合が多いこと。  真白さんの部屋は後者。  フローリングの上に寝床としか表現できないごちゃっとした布のかたまりがあり、他には家具も無い。  布のかたまりは、アウトドア用と思われる薄いマットレスと寝袋と毛布だった。  この部屋は仮住まいなんだろうか。  真白さんは床にへたり込むと、マットレスの近くに吐いた。幸い、吐物の量はほんのちょっとだったので寝具も衣類も汚れていない。 「このままじゃかわいそうね。拭いてあげるかあ。倫ちゃん、真白さんのネクタイ外してあげて」  部屋の中まで本人を運び入れたら、そこで搬送の仕事は終わり。  クライエントであるオメガが起動させたアプリを、本人かスタッフが終了させたら業務は完了。  部屋の扉を閉めたら、そこからは搬送サービスの責任の範囲外だ。  だけど、実際は横になるところまで見届けてあげることが多い。 「真白さんはいったいどういう暮らししてるの? タオルとか、ほんのちょっとしかないけど。服もこれだけかしらね?」  クローゼットやトイレなどを開け閉めしている音が聞こえる。  麻子先輩がゴム手袋を着けた手でトイレットペーパーを1ロール持ってきた。トイレットペーパーはさすがに買い置きがあったらしい。  そのタイミングで左上腕に着けていた端末が震えた。  私のも、麻子先輩のも。  呼び出しのコールだ。 「あたし行くわよ」  麻子先輩が素早く情報を確認した。 「病院から自宅へ帰るための搬送ですって。あと一人スタッフが必要みたい。すぐ終わると思うわ。搬送車と車椅子は私が使うから、倫ちゃんはタクシー呼んで帰って。疲れたでしょ。ゆっくり休んでね」  言いながら麻子先輩は手早く吐物を片付けて、汚れたトイレットペーパーとゴム手袋を台所のゴミ箱に捨てた。  食器棚もないくせにゴミ箱だけはやけに大きい、蓋付きのものが置いてあった。 「真白さん。ゴミはちゃんと捨てなさいよー。ため込みすぎ」  ひらひらと手を振って麻子先輩はスニーカーに足を突っ込んだ。部屋から玄関までは一直線に見通せた。 「麻子先輩! ありがとうございます」  玄関の扉が閉まる前に、かろうじて私の声がその背中に被さった。
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