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信号が赤に変わった。
私は慎重にブレーキを踏み込む。左右を確認してから交差点を直進する。
搬送車は警告灯を点けている。
交差点を通り抜けてから私は口を開いた。
世間話、というのも少しは出来るようになった。この先輩のおかげだ。
「田舎だと、介護士仲間は二十五歳で三人くらい子どもがいたりするんです。婚活を焦る気持ちって、分かる気がします」
私の転職の理由の一つが、それだ。
「倫ちゃんなら、アルファの男でも女でも、つかまえられそうなのになあ」
麻子先輩はタブレットをショルダーバッグにしまった。
私は次の交差点に目を走らせる。
もうすぐ零時を回る。道は空いている。誰も渡っていない横断歩道の、歩行者用信号が点滅している。
「私、愛想がないから、だめなんです」
女の子なのに愛想がない、無表情で何を考えているか分からない、冷たい。
昔、付き合っていた人から言われた。
介護施設の利用者や家族からも、同僚からも、同じようなことを言われた。
心だけじゃない。私の身体も冷たい。
麻子先輩はショートカットの髪をぱさりと震わせた。厄落としみたいだなって思った。
「倫ちゃんが、もしもね」
麻子先輩はそこで言葉を止めた。言うべきことを探している気配がした。
「倫ちゃんのこと採用しようって、上に言ったのあたしよ」
青信号に変わる。
「倫ちゃんだって一度くらい、徹底的に、オメガに巻き込まれるかもしれない。逆説的に聞こえるかもしれないけど、でも、そういう人の方が、この仕事にやりがいを見出すと思うわ」
沿岸地域の道路に入る。
高層ホテルのきらびやかなファサードが視界に入ってくる。
麻子先輩は徹底的に巻き込まれたことがあるんですか? と尋ねようか迷っているうちに、エントランスの車寄せが近付いてきた。
ホテルのスタッフが私たちの車を誘導してくれる。
運転は好き。
自分の意志で動けるのが好き。
都心の一方通行も狭い道も、慣れれば怖くない。
だけど、黒光りする高級外車の間に縦列駐車をするのはさすがに緊張する。
バックドアから車椅子を下ろす。
麻子先輩からショルダーバッグを受け取り、私はホテルのロビーに踏み入れた。
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