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「お爺ちゃん、無精しないでひげくらい剃ってくださいな。鬱陶しくって嫌だわ、去年新しいひげ剃り買ってあげたでしょ」  母親が祖父に、また文句を言っている。 「朝ちゃんと剃ったんだけどねぇ」  祖父はそう言いながら洗面所へ行き、青いブラウンの電気シェーバーの電源を入れている。  微かに〝ジージー〟というシェーバーの音が聞こえた。  孫の敬一は確かに朝祖父が鏡に向かい、ジョリジョリとやっているところを見ていた。  それが七時頃だから、まだ三時間ほどしか経っていない。  夏休みと言うこともあって高校一年の敬一は居間でテレビを見ながら、母親のお小言を煩げに聞いていた。 「母さん、お爺ちゃんひげ剃ってたよ。そんなに早く伸びるはずないじゃないか、あんまり年寄りを苛めちゃ駄目だよ」  冗談半分に母親へ言う。 「苛めるだなんてなに言ってるの、ご近所の方が聞いてたら本気にされちゃうでしょ。軽口はやめてよ、いまのご時世冗談じゃすまないんだから」  母親は本気で文句を言う。 「だってホントに朝、ひげ剃りしてたんだよ。ちゃんと見たんだから間違いないよ」 「あらそうなの? でもお爺ちゃんの無精ひげ、相当伸びてるんだもの。ウソだと思うんなら、あんたお爺ちゃんを確認してご覧よ」 「そんなはずないだろ――」  敬一はぶつくさ言いながら、洗面所を覗いた。  そこには洗面台下の収納スペースを開き、なにかを探している祖父の姿があった」 「お爺ちゃん、なに探してんの」  声を掛けると、祖父は顔を上げて孫の方を見る。 「安全カミソリどこかにあっただろ? 見つからないんだ、知ってたら教えてくれんか。とてもじゃないが電気ひげ剃りじゃ間に合わない」」  敬一は祖父の顔を見て驚いた。  なんとそこにはコントで見る無人島の漂着者のように、ぼうぼうとひげが伸び放題になった顔があった。 「お、お爺ちゃん、そのひげどうしたの。なんでそんなに伸びてるの――」  驚愕のあまり、敬一はそれ以上言葉が出なかった。  そのひげの具合は、二、三日どころか、数週間でも利かないほどの伸び放題な状態であった。 「ありゃりゃ、また伸びちまった。儂の身体はどうなってしまってるんだ」  鏡に映ったわが顔に、敬一以上に祖父の方が動転している。 「母さん、お爺ちゃんが変だ。本当にひげが伸びてる、こんなのおかしいよ」 「だから言ったでしょ、あんたからも早く剃るようにお爺ちゃんに言ってよ」  台所で洗い物でもしているのか、母親がそら見たことかと言った風に応えた。 「剃るとかそんなこと言ってる場合じゃないよ、母さんもこっち来てよ。お爺ちゃんのひげ、本当に変なんだよ」 「なにわけの分からないこと言ってるの、母さんも忙しいのよ。お爺ちゃんといいあんたといい、まったく世話が焼けるんだから」  たらたらと文句を言いながら、母親が洗面所へ入ってきた。 「きゃーっ」  祖父の顔を見たとたん、母親は悲鳴をあげ腰を抜かしてしまった。
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