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ここで本当にドラマのような事が起きる。
否…プチ犯罪を起こそうとしているこの俺を止める、そう、神々の思し召しかもしれない。
「奈々…奈々さん…。」
寝言で好きな人の名を呼ぶ。
こんなのドラマでしか見たことない。
奈々さんの名を呼ぶのはトシくん。
誰が見ても分かるよ、トシくん。
あんた…ベタ惚れだもんな。
この研修会の準備で月に一回集まっている時から俺は知っていたよ。
あんたいつも奈々さんを目で追っていた。
年上の総括にはタメ口なのに同じ年上の奈々さんには敬語だし。
今日だってそうだ。
あんたの視線の先はいつだって奈々さんだった。
それなのに…それなのになんでそんな悲しい目ぇしてんだよ…トシくん。
ガラじゃないだろ?そんな目するなんて。
尖ってて、口悪くて、人相も悪いけどさ、それでもなんか優しくてさ、俺みたいな陰キャにも明るく話しかけてくれてさ…そんな目…あんたには似合わないよ。
俺の変態魂は興ざめだ。
トシくんの寝言、それが俺を冷静にしてくれた。
そして襲い来る強烈な眠気に俺は敗北し、意識を失った。
Zzz…
気が付くともう起床時間。
気が付くともう朝飯を終えて門外でトシくんと一服。
気が付くと育成委員のおじさんと最終打ち合わせ終了。
気が付くともう研修生第一便が到着の時間だ。
極端な言い方だが、本当にこれくらいあっという間に時間は過ぎ去ったのである。
この施設の最寄り駅と研修が行われる施設を施設が所有している中型のバスがピストン運行する手はずだ。
「お、第一便がもう来るな。皆んな、玄関に行こう。さぁ!気持ちとテンションを変えて!!僕たちは研修会スタッフだよ!!いいね!?」
総括の檄が飛ぶ。
「はい!」
一同、その檄に応える。
そしてバスが到着した。
バスの前扉が開いて大きなバッグを抱えた研修生達が降りてきた。
小学校六年生から中学校三年生までが対象だ。
「おはよう!!」
「皆んなおはよう!!」
「おっはよー!」
「おはよー!」
「おはようございまーす!!」
スタッフ一同大きな声で挨拶。
ところで読者の皆んな。
勘違いすんなよ?
コレ別にカルト教団の集会だとかやべぇ企業の社員研修とかじゃねぇからな?
県の教育委員会が主導しているボランティア団体の研修会だからな?
公の団体が主催している公の研修会だからな?
コアな俺のファン(笑)なら分かるだろ?
俺は神仏を尊ぶ術を知らぬ人間だ。
話を戻す。
俺の隣には元気よく挨拶を繰り返す愛ちゃんがいる。
『愛ちゃん…。』
俺の気持ちは加速していく。
自分の存在を許し、自分の存在を喜びとして感じてくれて、自身の人生に於いて初めて親以外から好意を伝えてくれた人。
一通り第一便から研修生達が降車し終えた。
「はーい、それじゃあね!皆んな、このお姉さんの後に付いて行ってね!こちらのお姉さん、奈々ちゃんです!!奈々ちゃぁん!皆んな案内してあげてね!!」
オイオイオイオイ、おっさん。
どっから声出してんだよ。
総括の1オクターブ高い声が施設ロータリーに響き渡る。
「はぁい!!んじゃ皆んなぁ!!お姉さんに付いて来てねー!!」
オイオイオイオイ、奈々さん。
「NHK おかあさんといっしょ」のおねーさんかよ。
かわいいから許すけど。
奈々さんは研修生を連れて講堂へと向かった。
「相変わらず切り替え早ぇな、総括。」
トシくんがため息を吐いた。
「しっかり。トシくん。彪流くんも声小さいゾ?」
総括は野郎二人に再度檄を飛ばした。
「はいはい…俺はトップギアに入るまで時間かかるんだよ…ねみぃな…。」
トシくんは肩を落とした。
「声小さい?マジすか…。」
俺は素直に凹んだ。
結構声張ったのだが総括にはまだまだだったらしい。
「彪流さん、声小さいよォ。あたしが研修生ん時すんごい声大きい人だなって思ったもん。」
愛ちゃんからも注意されてしまった。
「え?ホント?いやいや…よぉし…第二便で見せてやる。我の真の姿をなぁ…。」
この頃から俺は↑こんなキャラだ。
こうして色々思い返していると四十代半ば、アラフィフになろうかという今と大して言動が変わらないのが少し残念だ。
そうこう話をしていたら第二便が到着した。
「おーはっよーごーざーい⤵ま⤴す!!」
オペラ歌手を真似た喉を限界まで開いた俺の声が響く。
本気の俺はこんなもんだ。
総括、愛ちゃん、トシくんの声を打ち消すほどだ。
ぎょっとした三人の表情に俺は誇らしい気持ちになる。
いや、まぁその…多分ドン引きしてただけだと思うんだけどさ…。
俺もその…若かったからサ…。
「あー!!彪流くんだ!!」
「彪流くん!やっぱりいたー!!」
「あー!!おーい!彪流くん!」
「彪流くん!!」
女の子四人の声が聞こえた。
あーなんかこの頃が一番女の子から名前を呼ばれていた気がすんな。
バンドやってた時でもこんなに女の子から名前を呼ばれなかったし…。
声の主は見覚えがかすかにある女の子四人組。
『俺の名前を知っている?あ、ウチの市の子か。あー!あの仲良し四人組だ!』
俺が所属しているボランティア団体は地域の子ども会のレクレーションのお手伝いなども行う。
その際に顔や名前を子ども達が覚えてくれていることがあるのだが、これは素直に嬉しいものである。
この仲良し四人組も揃って俺の顔と名前を覚えていてくれたのだ。
これほど嬉しいことはない。
一年経過しても覚えていてくれるのは本当にほっこりとさせてくれるものだ。
「よぉし!じゃあ皆んな!!皆んなはね!こちらのお兄さんに付いて行ってね!!こちらのお兄さん彪流くんでーす!!彪流くーん!頼むよぉ!!」
総括の声に俺はテンション爆上げて応えた。
「はぁい⤴!!それじゃあ!!皆んなぁ!!おじさん!じゃなかった!お兄さんにつーいてーおー⤵いー⤵でぇええ⤴!!」
オペラ調でややすべり気味のセリフで研修生の心をガッチリ掴む。
第二便の研修生がワラワラと俺についてくる。
その集団の先頭にさっきの四人組が躍り出た。
「彪流くん!!私!!覚えてる!?」
「彪流くんみたいになりたくて研修会に応募したんだよ。」
「私もォ!」
三人が明るく俺に話しかけてきて、数テンポ遅れて最後の一人が他の三人とは明らかに違うテンションで俺に話しかけてきた。
「中学校上がって子ども会卒業して…もう会えないかと思った…」
『ん…?』
俺のテンション爆上げバーサーカーモードに急ブレーキがかかる。
『こんなに女の子から色々言われ思われって…何?俺…死ぬの…?』
そう。
蝋燭の火は消えるその寸前に最高に大きくなる。
こんなのおかしい。
きっと創造主どもが俺を弄び、最後に最高の屈辱と苦痛を与えて消し去ろうとしておるのだろう。
そうはいかん。
俺は高校二年生にしてすでに悟っている。
人生は挑戦だと隻腕の野球投手ジム・アボットは言った。
だが挑戦には苦痛が伴い、ほとんどの挑戦はその後人生ではクソの役にも立たない。
全ての人間がジム・アボットになれるわけではないのだ。
ほとんど挑戦は傷だらけのまま無意味で終わる。
そんな時、人は祈る。
その祈りほど無意味なものはないのだ。
なぜなら創造主はその祈りに気付き、創造主は祈りとはまったく正反対の試練や罰を与えるものだからだ。
そしてもう一つ。
創造主は上げて落とすのが得意であり、大好きだ。
その落差に人は泣き叫ぶ。
それを見て彼らは嘲笑う。
それをすでに俺は悟っているのだ。
油断をしてはならない。
俺の脳内危機管理センサーのアラームが激しく吹鳴し始めた。
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