傑作の森

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傑作の森

 20代後半頃より持病の難聴が徐々に悪化。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたためて自殺も考えた。  しかし、彼自身の芸術への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、ふたたび生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。  1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。    交響曲第3番『英雄』は、フランス革命後の世界情勢の中、ナポレオン・ボナパルトへの共感から、ナポレオンを讃える曲として作曲された。  しかし、完成後まもなくナポレオンが皇帝に即位し、その知らせに激怒したベートーヴェンは 「奴も俗物に過ぎなかったか」 とナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てた、という逸話がよく知られている。  しかし、このエピソードは弟子のシンドラーの創作であるとする説が有力視されている。  ベートーヴェンは終始ナポレオンを尊敬しており、第2楽章が英雄の死と葬送をテーマにしているため、これではナポレオンに対して失礼であるとして、あえて曲名を変更し献呈を取り止めたという説もある。  交響曲第5番ハ短調に副題の『運命』は付いていなかった。  弟子のシンドラーがベートーヴェンに、 「出だしのダダダダーンっていう音は 何を表しているのですか?」 という質問をし、 「それは運命がドアを叩く音だ」 と答えたことから呼ばれるようになったという。  が、信ぴょう性が低いため、海外では副題を使わずに番号と調号のみで表記されることが多い。  扉を叩く音を表しているが、ベートーヴェンにとっては 「音楽家生命の終わりが近づく音」 を表しているとも言われている。  1817年 (第9交響曲を作曲中のころ)、 「自作でどれが1番出来がいいと思いますか」 という詩人クリストフ・クフナーの質問に対し、ベートーヴェンは即座に「エロイカ (英雄)」と答え、 「第5交響曲 (運命)かと思いました」 と言う言葉に対しても 「いいえ、いいえ、エロイカです」 と否定している。  そういえば、以前『エロイカ変奏曲』というピアノ版をよく流していた……エロイカの主題による 15の変奏曲とフーガ 変ホ長調 op.35 (Pf) グレン・グールド 1970年 (グレン・グールドがリサイタルで好んで取り上げた曲) https://youtu.be/yriwvX4O7MQ?si=oY2muf3G3FRk1pwN
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