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人物
身長は165cm前後、筋肉質でがっしりとした体格をしていた。
肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。
表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。
服装には無頓着であり、若いころには着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。
弟子のチェルニーは初めてベートーヴェンに会ったとき、「ロビンソン・クルーソーのよう」「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。
また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者と誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。
部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。
また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。
潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。
性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。
人付きあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。
親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。
癇癪持ちであったとされ、女中に物を投げつけるなど、しばしば暴力的な行動に出ることもあったという。
師ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられたときは、
「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」
と突っぱねた。
パトロンのカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、
「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」
と書き送っている。
このような「場をまったくわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。
また、後援者のリヒノフスキー家に下宿している際に正餐のために毎日4時に集まるように言われると、それを断り、
「毎日、三時半に家に帰り、服を着替え、髭を剃ったりしなくてはならないのか? まっぴらごめんだ!」
とヴェーゲラーに述べている。
テプリツェでゲーテとともに散歩をしていたところ、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。
のちにゲーテは
「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈奔放(ふきほんぽう)な人柄だ」
とベートーヴェンを評している。
かつてベートーヴェンの弟子 (秘書)であるアントン・シンドラーが、「テンペスト」の解釈について尋ねた。
ベートーヴェンが「シェイクスピアの『テンペスト』を読め」と答えたことが、「テンペスト」という通称の由来だとされている。
交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントン・シンドラーの著作によるものが多い。
しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。
ベートーヴェン ピアノソナタ第17番テンペスト第3楽章 グレン・グールド
https://youtu.be/Ygr7u3u2tXg?si=hDjpvWk1mAY6xpw6
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