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夜はすっかり明けた。
取り憑かれたように互いの熱をしゃぶり尽くした後、気絶するように眠りについた。起きてみれば、既に日が高い。
奇妙なことに、そこは確かに旅館の一室のようであったけれども、昨夜泊まった時とは明らかに様子が違っていた。床は泥をかぶり、壁は崩落し、窓ガラスが破れていた。まるで、何十年も前に打ち棄てられて朽ち果てた廃墟だ。
こんな場所で一晩も大騒ぎしていたというのか。ぞっと背筋の冷えた黒木とは対照的に、アザミは呑気にあくびをした。
「狐に化かされたんだろ」
「……だといいけどな」
釈然としない気持ちで宿を後にした。
空は嘘みたいに晴れ渡っていた。陽の光が眩しく降り注ぐ、爽やかな青天である。昨晩のことは全て、きっと夢か幻だ。黒木はそう思うことにした。
ふと、後ろを振り返った。真っ昼間だというのにじめじめと陰気臭い闇を背負った玄関先に、白い影がひっそりと佇んでいた。
「あっ、なぁ、クロさん」
何かに気付いたように、アザミが声を上げた。黒木は急いで前を向く。
「ライト、ついたぜ」
アザミは手に持った懐中電灯を黒木に向けた。昨晩電池切れを起こしたはずの懐中電灯が、光を取り戻していた。
「車も無事だ。よかったな」
昨晩と同じ場所に、昨晩と同じ状態で、車は停まっていた。キーを回せば、呆気なくエンジンがかかった。
黒木の運転で、ワゴン車はゆっくりと峠道を下る。アザミはシートを倒して寛ぎながら、手慰みにカーラジオのダイヤルを回す。
「なぁ、クロさん」
「何だよ」
「眠くねぇ?」
「まぁ、な。結局ほとんど寝てないしな」
「だったらさぁ、テキトーに休憩してかね?」
「お前、この期に及んでまだ……」
黒木は、煙草の灰を落とすついでにアザミの顔を横目に見た。
「……まぁ、それもいいかもな」
黒木が頷くと、アザミの雰囲気が和らいだ。
「高速乗る前にどっか探そうぜ」
「あくまで休憩だからな」
「そういうことにしといてやるよ」
ラジオはご機嫌な流行歌を流している。アザミは、シートにゆったりと背中を預け、流れる音楽に合わせて鼻歌を口ずさんだ。
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