第五話 痴話喧嘩も時には役立つ

4/4
前へ
/17ページ
次へ
 夜はすっかり明けた。  取り憑かれたように互いの熱をしゃぶり尽くした後、気絶するように眠りについた。起きてみれば、既に日が高い。  奇妙なことに、そこは確かに旅館の一室のようであったけれども、昨夜泊まった時とは明らかに様子が違っていた。床は泥をかぶり、壁は崩落し、窓ガラスが破れていた。まるで、何十年も前に打ち棄てられて朽ち果てた廃墟だ。  こんな場所で一晩も大騒ぎしていたというのか。ぞっと背筋の冷えた黒木とは対照的に、アザミは呑気にあくびをした。   「狐に化かされたんだろ」 「……だといいけどな」    釈然としない気持ちで宿を後にした。  空は嘘みたいに晴れ渡っていた。陽の光が眩しく降り注ぐ、爽やかな青天である。昨晩のことは全て、きっと夢か幻だ。黒木はそう思うことにした。  ふと、後ろを振り返った。真っ昼間だというのにじめじめと陰気臭い闇を背負った玄関先に、白い影がひっそりと佇んでいた。   「あっ、なぁ、クロさん」    何かに気付いたように、アザミが声を上げた。黒木は急いで前を向く。   「ライト、ついたぜ」    アザミは手に持った懐中電灯を黒木に向けた。昨晩電池切れを起こしたはずの懐中電灯が、光を取り戻していた。   「車も無事だ。よかったな」    昨晩と同じ場所に、昨晩と同じ状態で、車は停まっていた。キーを回せば、呆気なくエンジンがかかった。  黒木の運転で、ワゴン車はゆっくりと峠道を下る。アザミはシートを倒して寛ぎながら、手慰みにカーラジオのダイヤルを回す。   「なぁ、クロさん」 「何だよ」 「眠くねぇ?」 「まぁ、な。結局ほとんど寝てないしな」 「だったらさぁ、テキトーに休憩してかね?」 「お前、この期に及んでまだ……」    黒木は、煙草の灰を落とすついでにアザミの顔を横目に見た。   「……まぁ、それもいいかもな」    黒木が頷くと、アザミの雰囲気が和らいだ。   「高速乗る前にどっか探そうぜ」 「あくまで休憩だからな」 「そういうことにしといてやるよ」    ラジオはご機嫌な流行歌を流している。アザミは、シートにゆったりと背中を預け、流れる音楽に合わせて鼻歌を口ずさんだ。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

41人が本棚に入れています
本棚に追加