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一睡もできないまま朝を迎えた。アザミは呑気に眠りこけている。黒木は先に起きて朝食の準備に取り掛かった。こんなことをしてやる義理はないのに、いつの間にか習慣になってしまった。
カタン、と寝室で音がした。キィ、と蝶番を軋ませて扉が開いた。アザミが立っていた。拳銃を手に握っていた。ベッドサイドに置いた引き出しの、その三段目に仕舞っていたものだった。
「あんた、俺を殺すんじゃなかったのか?」
揶揄うような笑みを浮かべてアザミが言う。黒木はトマトを切る手を止めずに答えた。
「知ってたか」
「バレバレだったぜ。もっとうまく隠せよ」
「お前相手に隠し事はできねぇな」
「いくらだ?」
「三千万」
「へぇ。ずいぶんと安く見られたもんだ」
「同感。三千万じゃ割に合わねぇよ」
アザミを殺して三千万。そんな依頼が舞い込んだ。通常ならば破格の案件であるが、ターゲットがアザミとなると話は別である。
眠るアザミの眉間に、黒木は銃口を突き付けた。引き金に指を掛けたまま、しばらく待っていた。終ぞ引き金を引くことはできなかった。
鈍く光る銃身。持ち慣れたはずのそれが、昨夜はずっしりと重かった。冷たい鉄の塊に体温を奪われた。重力に引かれて動けなかった。
使われないまま引き出しの奥に仕舞われたそれを、今はアザミが握っている。鈍く光る銃口は、真っ直ぐに黒木の頭部を狙っている。
一発の銃声が響いた。硝煙のにおいが立ち込める。アザミは微かに唇を歪め、数発の弾丸を立て続けに撃ち込んだ。玄関ドアにいくつもの穴が空いた。
「……逃げるぞ」
言うが早いか、アザミは黒木の首根っこを掴むと、窓をぶち破って外へ飛び出した。と同時に、背後で銃声が轟いた。
砕け散ったガラスに太陽の光が乱反射する。目も眩むような青空が足下に広がっている。落ちている、と気付いた時には、地面が間近に迫っていた。
「おい、早く出せ」
着地した先は、ベランダの真下に停まっていたワンボックスのボンネットだった。ここに落ちると分かっていて、アザミは躊躇なく飛び降りたのだ。運転席の男を引きずり降ろして黒木を押し込み、自らは後部座席に収まった。
「早く」
「あ、ああ」
訳も分からないまま、黒木はアクセルを踏み込んだ。後方に銃声が聞こえる。襲撃犯らしき男達が、発砲しながら追いかけてきていた。
「何なんだよ、あいつら」
苛立ちを滲ませて黒木が言うと、アザミはしれっとした様子で答えた。
「あんたの客だろ。あんたがいつまでも俺を殺さねぇから痺れを切らして、てめぇらの手で始末しに来たってとこだな」
「なんであんなのに追われてる」
「客の身辺調査とかしねぇのか? そこ右な」
アザミの指示で黒木はハンドルを切る。
「調査した上で言ってんだよ。数年前に壊滅した組織の残党だ。それなりに幅を利かせてたはずだが、一日のうちに壊滅した。お前、何か関わってんのか?」
「ああ、それな」
何か使えるものはないかと車内を物色しながら、アザミは答えた。
「俺がやった」
「……は?」
「だから、俺がやったんだよ。一晩で皆殺しにした。まぁ、取り逃がしたやつもいたけどな。要は復讐ってわけだ。あんたみたいな胡散臭ぇのに大枚叩いて依頼してまで、俺を殺したくてしょうがないんだろうよ」
替えの弾薬を見つけた、とアザミは嬉しそうな声で報告する。
「……お前一人で?」
「まぁな。結構やるだろ? 俺も元はそこで飼われてたんだが……まぁ、方向性の違いってやつかな。そこ、左入れよ」
「方向性って……ロックバンドじゃねぇんだから」
いつの間にか開けた場所に出ていた。海沿いの廃倉庫に、黒木は車ごと突っ込んだ。
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