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客人はすぐに来た。チンピラ風情の男が十数匹。アザミは逃げも隠れもしない。勝負は立ちどころに決した。
激しい銃撃戦になるかと思っていた。しかしアザミは敵に撃たせる隙を与えない。目にも止まらぬ速さで敵の懐に飛び込んで、鮮やかな手捌きで血飛沫を上げさせる。今朝トマトを切っていた包丁が、今は人の肉を裂いている。
返り血を浴びて、アザミは笑っていた。凶悪な笑みが滲み出ていた。ベランダから飛び降りた時、青空の只中に見えたアザミの横顔を、黒木は思い出した。包丁を銜えた口の端が、悦びに歪んでいた。
猿よりも俊敏で、燕よりも軽やかで、暴走機関車よりも手に負えない。まるで血肉を食い荒らす野生の獣。それよりももっと鮮烈な何か。華麗で獰猛なアザミの姿を、黒木はただ遠くから眺めることしかできなかった。
咽せ返るような血のにおいと、硝煙のにおいが立ち込めていた。視界が赤く煙っている。夥しい血の海で、アザミは一人、最後まで立っていた。
「……済んだか」
黒木の声に、アザミはゆっくりと振り向いた。頬をべったりと濡らす血を拭う。口の端に伝う血を舐める。
黒木はようやく息を吐いた。意識せず呼吸を止めていた。胸ポケットから煙草を取り出す。吸い口を噛んで火をつける。オイル切れのライターは幽かに火花を散らすだけだ。数回試してようやく着火した。
肺いっぱいに毒の煙を吸い込んで、深く長く吐き出した。青い煙が天井付近まで立ち上り、ゆらりゆらりと揺蕩っている。床一面に血溜まりが広がり、足下を汚さないように歩くのはほぼ不可能だ。
「……ここまでする必要が?」
黒木は問うた。仕事ではないからどう殺そうがアザミの自由だが、めった刺しにしたり、細切れにしたり、臓物を引きずり出したりする必要があるだろうか。ただ殺すだけなら、もっと手っ取り早い方法がいくらでもある。
黒木は答えを期待していなかったが、アザミは口を開いた。
「復讐だよ」
「……お前が?」
「俺が」
復讐したがっているのは相手の方ではなかったか。「組織に拾われ育ててもらった恩を忘れ、仇で返した裏切り者め」というようなことを、彼らは口々に口走っていた。もちろん、アザミがそれらの言葉に耳を貸す素振りはなかったが。
ペタリペタリと濡れた足音が響く。血糊の足跡が点々と続く。アザミは黒木の隣にしゃがみ込み、指を二本差し出した。
「珍しいな」
「あんたの口にあるやつでいい」
黒木は、まだ吸い始めたばかりの煙草をアザミに渡した。アザミは、返り血のこびり付いた薄い唇に煙草を銜え、深く吸い込んだ。と同時に、激しく咽せる。ゲホッゲホッと苦しげに喘ぐ背中を、黒木は宥めるように摩った。
「バカ。慣れないくせに一気に吸うからだ」
「くっ、ふ、はは。あんた、優しいよな。クロさん」
「もっとちゃんと感謝しろよ」
「してるだろ、ちゃんと」
アザミは、涙まじりの目を擦った。冷たく渇いた笑みを漏らす。
「姉貴を殺されたから、その復讐」
「……」
「……」
「そうか」
「うん」
思いがけない打明け話に、黒木は気の利いた言葉一つかけられなかった。何を言ったところで、空疎で無意味なものにしかならないように感じた。アザミの吐き出す煙で、視界は青白く染まる。血の赤だけが鮮明だった。
「これ、やっぱいらねぇ。まじぃ」
アザミは、銜えていた煙草を指で摘まむと、黒木に突き返した。口の中に戻ってきたそれは、血の味がした。ほろ苦さが舌に沁みて、煙草の味を掻き消した。
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