アリは猫の唄を知らない

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 約束の日は、予報はずれの豪雨になった。  待ち合わせの時間には降っていなかったのに、電車からバスに乗り換えるころ大きく降り出した。冬亜はコンビニで傘を買った。私は、小さな折り畳み傘を持ってきていた。足元は、公園に行くのだからスニーカーだ。  ひどい雨の日は、いっそう彼の言葉が聴こえない。  城跡公園への寂しい道を歩きながら、明るく気分を盛り上げようとするその声は、真っ白に崩れはじめた私の内側をやはり素通りする。  そして行き着いた城跡公園の中は、荒涼としていた。  城跡なんて荒涼としているのが自然かもしれないけれど、公園としての穏やかさも死に絶えていた。  雨だから人がいないのじゃなく、恐らくもう、長い間誰からも顧みられていないのではないか。本丸広場には堅い雑草がはびこり、締め切られた事務所の窓は埃に曇っている。目に見えるところだけじゃない。あらゆる隅々に時間の埃が堆積し、雨を吸って厚ぼったく淀んでいるのを感じる。  傘を閉じて事務所のひさしの下に立ち、薄汚い草に溢れた本丸広場が雨に打たれるのを、二人して眺めていた。  冬亜が、何かしゃべっている。この場所が溜めこんだ澱を押し流そうとするように、私たちの隔たりを埋めようとするように、けれども一方的な押しつけにならない柔らかなトーンで、低く深く豊かなその声で、しゃべっている。しゃべって、いるのだろう、多分。私はやはり、ダメだった。ぱくぱくと動くだけの冬亜の口に絶望し、適切に返せない自分に失望し、心は焦りに崩れていき、綻びそうな意識を繋ぎとめようとすればするほど、さらに綻びていく。  ……そして、気づいた。  いちばん肝心なことに、ようやく気づいた。  今の彼は、少しも輝いていない。  こんなに元気で愛くるしい人が、光を放っていない。  だって私が、うまく相づちを打たないから。変なタイミングで頷き、焦りに震える気の利かない台詞を返し、あのころの百兆分の一も、話をきれいに受け取らないから。  だから、彼が輝かない。  今の私には、彼を輝かせられない。  私たちの大好きだったあの空間が、ここにはもう、ない。
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