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会合
日曜のせいもあってか、ファミレスの中はずいぶん騒ついていた。以前来た時とはだいぶ雰囲気が違う。
木村一族は、美海音はともかく利蔵の顔を知らない。だがいかつい男性と女子高生の組み合わせはそうそうあるものではない。
店の奥の広い座席を占めていた三人組が、美海音と利蔵が入口から入ってきたのを認めて立ち上がった。サチの弟と思しき男性が、ここだというように片手を挙げている。
でっぷりと肉のついた体と禿げ上がった頭に加えて、締まりのない笑いを浮かべながら妙に粘っこい視線を放っているとなると、生理的に警戒信号が発令されるのはやむを得ない。
「今日は来てくれてありがとうね、美海音さん。それからえーと、あんたさんは宇崎先生の助手さんでしたかね」
利蔵は苦虫を嚙み潰したような顔で頷いた。利蔵の隣で、美海音の肩が笑いを堪えるようにかすかに震えている。
まさかボディガードと名乗るわけにもいかないから、誠司の助手という体裁を取ることにしてあるが、あからさまに見下げたような相手の視線は、やはり面白くない。ついでに美海音に向けるねっとりした視線も、利蔵は大いに気に入らなかった。
「そっちの美海音さんとは前に一回会ってるけど、あんたさんは初めてだね。わたし松本滋と言いまして、亡くなった矢吹サチの弟にあたるもんです。そんでこっちが甥っ子の松本直人、そっちが直人の母親の祐子ですわ」
年寄り独特の馴れ馴れしい口上に合わせて、直人と祐子が形だけぺこりと頭を下げる。もっとも頭を下げるというより、親子揃ってほとんど顎を突き出しただけだ。
「どうも、臼杵と言います。基本、今日の話合いは正式なものではありません。従って結論を出すものではなく、あくまでそちらが彼女に話すだけ、という形でお願いします。もちろん内容はすべて誠……宇崎に伝えます。そこのところはご承知ください」
滋は判っているというように何度も頷いた。並んで座っている直人と祐子も、同調するように首を動かす。三十過ぎぐらいの直人とその母親の祐子は、滋と正反対のやせぎすな体で、きょろきょろと忙しなく動く目はやや神経質な性質を窺わせる。祐子がつけていると思しき強い香水の匂いが、気楽なファミレスにはどうにも場違いに思えた。
その場の緊張をほぐすように、滋が目一杯の笑顔でメニューを差し出した。
「いきなり固い話もあれですから、まず何か頼みませんかね。何でも好きなもん選んでください。助手さんは……コーヒーでいいですか? アイス?」
仏頂面で頷きを返しながらも、利蔵は内心苦笑した。
彼らにとって、懐柔すべきは自分ではなく美海音だ。孫や娘に近いような年頃の少女に向かって、揃いも揃って揉み手せんばかりに愛想笑いを浮かべているのは、何ともあからさまで、まるで質の悪いコントでも見ているようだった。
だが当の美海音は、文字どおり能面のような無表情だ。おかげで彼らの無様さがより一層引き立って見える。
「――じゃあ私もアイスコーヒーでいい」
固い声で美海音が呟いた。珍しい、と利蔵が眉を上げた途端、美海音がちらりとこちらを見た。その目は無言のうちに牽制をかけているようだ。
やがてオーダーしたものが運ばれてくると、通路側に座っていた祐子が全員分の飲み物を回して寄こす。
「いやあ、暑い中わざわざご足労いただいてありがとうございます。ひとまず喉を潤してから、ということで」
滋の音頭に合わせるように、利蔵も自分のグラスに手を伸ばした。確かに外は暑かったし、まずはここまで来るのに火照った体を冷やしたい。
「――ごめん、ちょっと」
今しもアイスコーヒーを喉の奥に送り込もうとした瞬間、利蔵の隣に座っていた美海音がもぞもぞと立ち上がった。
「なんだ? トイレか?」
「うん」
それだけ言うと、美海音は向かいに座る滋たちに目もくれず、すたすたと遠ざかっていく。さすがに失礼が過ぎると思ったのか、利蔵が慌てて言葉を繋いだ。
「すみません、あんまり愛想のない子で……」
「いやいや、難しい年頃ですし……あんまり面白い用件とも言いがたいから、こっちとしても……あっ!」
追従を並べる滋の顔が、さっと引きつった。同時に直人と祐子も腰を浮かせかける。慌てて利蔵が振り向くと、歩いていった美海音が通路の奧で見事にすっ転んでいた。店の中の空気が急激に固まり、まわりの視線が美海音の姿に集中する。
「おい、何やってんだ!」
利蔵は急いで席を立つと、床に手と膝をついたままの美海音の元に駆け寄った。美海音は痛そうに右膝をさすっている。どうやら転んだ拍子に床にぶつけたらしい。
「なんだよ、コケたのか」
「床が……ちょっと濡れてたみたいで……」
板目ばりの床は、天井からのライトに光っている上に座り込んだ美海音の身体に遮られて、どこが濡れているのか判りにくい。
「大丈夫か。どっか怪我したか。膝か?」
美海音は力なく首を振った。利蔵はまわりから注がれる視線から美海音を庇うようにしゃがみ込むと、右手を伸ばした。
「怪我がないなら早く立て。そんな短いスカートで床に座り込むな」
利蔵の差し出した手を弱々しく握り返して立ち上がった美海音は、駆け寄ってきた店員に、大丈夫ですと頭を下げて、そのまま店の隅にある化粧室へと消えていった。
「――失礼しました。なんか床が濡れてて滑ったみたいで……いつもはそんな鈍くさい子じゃないんですが」
やっとのことで席に戻った利蔵は、心配そうに見守っていた滋たちに軽く頭を下げた。相手もずいぶん慌てた様子だったが、大事ないことが判ったのか揃ってほっとした表情を浮かべている。
「怪我はなかったかしら? 歩いてたら突然転んじゃったもんだから……」
「うん、俺も思わず声上げちゃったよ。びっくりした。まあ無事でよかったけど」
大人四人がやれやれと胸を撫で下ろしていたところに、当の美海音がひょこひょこと軽く右足を引きずりながら戻ってきた。
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