美海音の作戦

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美海音の作戦

阿鼻叫喚の会合から1週間が経った。 街の外れを流れる川のほとりのベンチに座っていた利蔵は、ぼんやりと川の流れを目で追いながら深いため息をついた。 「まったく、参ったなあ……まさかこんなことになるとはよう」 隣にちょんと腰掛けていた美海音が、例によってペットボトルのミルクティーを飲みながら笑った。 「うん、私もちょっと驚いた」 「へっ、よく言うよ。おまえ、あん時めちゃくちゃ自信たっぷりだったじゃねえか」 「正直言えば、確率は五分五分だって思ってたんだけど、まさかほんとにやるなんてね。これじゃサチさんが縁切りたくなるのも判るわ――馬鹿な人たち」 利蔵のつてを頼った鑑識での分析結果は、まさに驚くべきものだった。 おしぼりに沁み込んだアイスコーヒーからは、美海音の予想どおり微量のアーモンドの粉末が検出された。その一方で、利蔵のグラスからこぼれたコーヒーを拭った紙ナプキンは、アーモンドが検出されなかったという。 それは店側の製品責任ではなく、美海音のグラスにだけ意図的にアーモンドの粉末が混入されたことを如実に表していた。その同定をするために、利蔵のオーダーと同じものを頼んだ美海音の機転に、利蔵は内心舌を巻く思いだった。 「――だけど、どうして判った。誠司があいつらと繋がってるって」 美海音はひょいと肩をすくめた。 「あの時、女の人いたじゃない。松本祐子さん、だったっけ」 「ああ、亡くなった弟の奧さんな。あいつがどうした」 「あの人、めっちゃ香水臭いよね。絶対つけすぎだと思う」 利蔵はその時の記憶を思い起こして頷いた。 「ああ、確かにな。おかげでコーヒーの匂いがまったくしなかったわ。飲食店であれはないな。寿司屋だったら速攻で追い出されてるぜ。でもそれが何だよ」 「あの人、最初に会った時もそうだった。うわ、くっさーとか思ってて。でもね、ある時宇崎さんの事務所でその匂いがしたことがあったの。ほら、私が校外実習の同意書にサインもらいに行った時」 「ああ、あん時か。覚えてねえな。俺は部屋まで入ってないし」 「つまりそれは、あそこで宇崎さんがあの人に会ってたってことでしょう? たぶん他の人も一緒に」 「俺が電話した時に『昼から来客があるから、夕方からなら』と言ってたが……そのが奴らだったということか」 「たぶんね。なのに宇崎さん、あの時まったくそのことに触れなかったの。それどころか『最近は会ってない』みたいなこと言うから、おかしいなと思って」 「……なるほど。もっとも別の顧客が同じ香水つけてた可能性ってのもあるがな」 「それにしたって、あんなにつけすぎる人いる? 偶然の一致にしては……」 不満そうに口を尖らせる美海音を、利蔵は片手で制した。 「言いたいことは判る。でも元警官の立場から言わせてもらうと、それだけじゃ誠司が寝返ってた証拠にならんぞ。確かに疑わしくはあるが、もっとがっちり固めないと」 「でしょ? だから私、アーモンドのアレルギーがあるって宇崎さんに言ってみたの。でもその話をしたのは宇崎さんだけ。利蔵さんにすら言ってない。なのにそれをあの人たちが知ってるってことは、宇崎さんが話した証拠でしょ?」 「そんなの判んねえだろ。奴らが別のルートから調べたのかも……」 利蔵が反論しかけると、美海音はきっぱりと首を振った。 「あり得ない。そんな情報、どこにもないはずだから」 「何でだよ。この時代だ、施設とか学校とかおまえがメシ食う場所なら、その生徒のアレルギーぐらい把握してるだろうが」 「だからね。ないんだって」 「は?」 美海音は判り切ったことを説明するように、淡々と言った。 「アレルギー。ないの、私。アーモンドアレルギーなんて嘘っぱち」 「な……!」 利蔵は思わずベンチから腰を浮かせた。だが当の美海音は平然と川原に視線を遊ばせたままだ。 「宇崎さんが怪しいと思ったから、わざとアーモンドのアレルギーがあるって言ってみたの。そうしたら案の定、突然のお呼び出し。もっともほんとにやるつもりかどうかの確証はなかったけどね。でも結果は…」 美海音の種明かしに言葉も出ない利蔵は、黙然と腕を組むしかない。 「ただ、当日に宇崎さんがドタキャンするつもりだったかどうかは判んないけど。お父さんの具合が悪くなったっていうのは、ほんとだったんでしょ?」 「ああ、さすがにそれは嘘じゃなかったみたいだ――それでその情報を得た奴らは、おまえにアーモンドを食わせようとしたわけか」 「丸ごとはバレバレだから駄目だけど、粉末なら何にでも混ぜられるもんね。アーモンドパウダーなんてどこにでも売ってるし。でも最後に、私が残ったアーモンド入りのコーヒー飲んでも平然としてたから、あの人たち、きっと驚いたんじゃない?」 くすくすと笑う美海音とは反対に、利蔵は不機嫌極まりない顔でため息をついた。 「だからおまえ、わざわざあの時席外したのか。そんでわざとすっ転んで、俺も席から離れさせて、奴らにそのタイミングを提供したんだな? ひでえ話だ、一歩間違ったら殺人だぞ」 「そう。こっそりサンプル取ってもよかったんだけど、逆にこっちも本気だってことを知らせた方がいいかもなって。今頃いつ警察が来るか、びくびくしてるんじゃない? まあ利蔵さんの言うとおり、この程度じゃ証拠にもならないし、これ以上の追求は無理だろうけど」 「ったく、とんでもないやつだな、おまえは。誠司もまさか、女子高生に自分の腹を見抜かれてるとは思ってなかっただろうよ。だからその情報をあいつらに……」 そう言いかけて、利蔵は急に口をつぐんだ。自分の長年来の親友がしでかしたことを思うと、何とも重苦しい気分が胸が塞ぐ。場合によっては誠司自身が、美海音の飲み物に細工する可能性だってあり得たのだ。 並んで腰かけていた二人の後ろを、時折車が通っていった。眼下の河川敷で家族連れのはしゃぐ声が、土手をつたってここまでのぼってくる。 「――たぶん宇崎さんは、そこまで本気だったわけじゃないと思う」 しばらく黙っていたあと、美海音がぽつりと呟いた。
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