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「あー! 腹立つマジでっ!」
萩丘くんはソファー席に勢いよく腰掛けると、大袈裟に天を仰いだ。僕は二人分のハンバーガーセットが乗ったトレイをテーブルに置くと、萩丘くんの向かいの椅子に座ろうと視線を向ける。
「あ、木元もリュックこっち置けよ」
萩丘くんが右手を差し出した。自慢じゃないけど僕のリュックは鉛のように重い。教科書の他にも塾の教材や図書室で借りた本が詰まっているからだ。晴れて高校に進学したとはいえ、気を抜けばすぐに授業に置いてかれると思うと油断できない。だから肩から下ろしたそれは、〝入れ物〟と言うよりまるで何かの塊のようにみえる。だというのに萩丘くんは片手で受け取るつもりのようだ。
「重いよ」
「よゆー。スポーツ推薦なめんな」
そう、萩丘くんはバスケットボールの特別推薦で進学した特待生。残念ながら実際に彼のプレイを見たことはないけど、その実力は折り紙つきだ。
「ん」と手を揺らし催促するので、仕方なく肩ベルトの広い部分を向けてリュックを渡すと、萩丘くんは「うわ、何入ってんだよこれ」と笑いながら自分のエナメルバッグの隣に置いた。
「で! 木元、お前知ってるだろ? 今度は実写化! しかもモズ役、俳優ですらねーの! アイドル! ふざけてンのかって……」
萩丘くんは前のめりで息巻いたかと思うと、しょんぼりとコーラのストローをくわえた。だいぶ端折ってるけど、萩丘くんが怒っている理由はだいたい察しがつく。
今朝発表になった『Mr.MOZU』の実写映画化。この配役に納得がいかないのだろう。
『Mr.MOZU』は数年前に出版されたイギリスの探偵小説だ。かなりニッチな作品だけど、洋書でありながら日系の青年が主人公という異色作で、ミステリー好きの間では割と有名。その程度の認知度だった。つい最近までは。
「──しかも、ロイにいたってはカズマって日本人になってるし! 誰だよカズマって! しかもこっちもアイドル。こんなんアイドルのファンしか喜ばねーよ!」
そう言ってテリヤキバーガーにかぶりつくと、思い詰めたような顔で咀嚼する。
「どーせアレだろ。男同士でイチャついてんのがみたいんだろ。最近流行りのあの、びーえる? ってやつ。モズたちはそういうンじゃないって! ちゃんと読めば分かるだろ、そんなん……」
きまり悪そうに視線を逸らしながら萩丘くんが言う。たぶん彼の憤りの真因はこれだろう。
『Mr.MOZU』は半年ほど前にアニメ化したことをきっかけに一躍有名になった。映像の美麗さで名高いアニメスタジオが制作したこと、登場人物の多くに著名な声優陣が起用されたこと、話題の歌手が主題歌を担当したことなどが重なり、アニメ化が決まった段階でかなり注目されていた。そしていざ放送されると、瞬く間に人気を博し、テレビで度々特集が組まれ、あらゆるグッズが展開し、街を歩けば主題歌を耳にするほどになった。
その人気に一役かっているのが、探偵モズと助手のロイの関係性だ。協力し、難事件や凶悪犯へ立ち向かう二人の姿を、恋愛的にみる人が一定数いるらしい。そしてそれを好ましく思わない人もまた然り。萩丘くんもその一人だ。
「木元は何とも思わねぇの、そういうの……」
ポテトをくわえたまま、覗うように僕に目を向ける。
「まあ……カズマは無いよね」
「はは!」
笑った拍子に落ちたポテトを「やっべ、3秒ルール!」と口に放り込むのを見届けて
「あと、モズとロイがそういう風に見られるのが嫌なのも分かるよ。僕もあれは恋愛じゃなくて友愛……ブロマンスの範疇だと思ってるから」
「ぶ、なに?」
「ブロマンス。海外の造語だけど、男性同士の絆とか友情とか、そういう精神的に親密な関係のことを指すんだって」
「へー。よく知ってんなぁ。さすが本の虫」
「ちなみに〝本の虫〟は褒め言葉じゃないよ」
「マジで!?」
頷きながら自分のハンバーガーを手に取る。包装紙を剥いで、柔らかなバンズを噛むと、白身フライが口の中でほぐれた。
「てか、だよな。イヤだよなやっぱ……」
「一時的なブームだから、すぐ収まるよ。きっと」
二口目を食んだところで、突然けたたましいブザー音が鳴った。驚いて目を向けると萩丘くんが四角い呼出し機を握って慌てている。
「うるせー! これどうやって止めんの」
「番号のボタン長押しじゃない? というか、まだ食べるの!?」
「ああ、ラーメン。木元がマック買ってる間に注文してきた。さすがにバーガー1個じゃキツイっしょ。もう高校生だし? 育ち盛りだから」
得意げに歩いていく萩丘くんから視線を外すと、ポテトをつまむ。僕はこれでもう十分だ。
(そうだ……)
僕は席を立って自分のリュックを開けると、教材の束の中から目的のものを探り出した。それをテーブルの端に置いて、元の席に戻る。
「ただいま〜これめっちゃ美味そうじゃね? 学生は大盛り無料」
大きな器に並々よそられたラーメン。思わず眉を寄せる。
「食べ切れるの……?」
「よゆーよゆー」
僕は小気味よい割り箸の音に顔を上げると、ラーメンを食べようと構えている萩丘くんを手で制した。
「あ、待って。これ、こないだ話してた小説──」
「え? まじ? やった! 木元ホントいつもサンキューな」
差し出した本を嬉しそうに見つめる萩丘くんに、我知らず目を細める。
僕らがこうしてオススメの本を貸し借りするようになってもう二年目だ。萩丘くんと僕は好みが合うようで、お互いのオススメするものは疑いなく目を通している。僕も萩丘くんのおかげで漫画や大衆小説を読むようになった。
「お礼に最初の一口を食べる権利をやるよ」
「えっ」
たじろぐ僕に割り箸の持ち手が向けられる。正直美味しそうだなと思ってたから少し嬉しい。でも食い意地張ってると思われるのも恥ずかしいので、わざと迷うふりをした。
「じゃあ、一口……」
割り箸に手を伸ばす。
「チャーシューも一枚食っていいよ」
トレイごとラーメンを引き寄せると、出汁の香りが染み込んだ蒸気が眼鏡を曇らせた。煩わしいので眼鏡を外してテーブルに置く。スープに沈んでいる麺を軽く解して、チャーシューと一緒に一口分を箸で引き上げた。別に遠慮する間柄でもないから、ズルズルと啜ると、醤油と煮干しの風味が鼻を抜ける。
「んー!」
『おいしい』の意を込めて萩丘くんに視線を向けると、「だろ?」と自慢げに笑った。
「木元はさ、コンタクトにしねぇの? 眼鏡無いのも似合うよ」
「ええ?」
突然の話題に驚きつつも、『萩丘くんは興味が湧いたことをすぐ口にするから』と切り替えて返事をする。
「いや、でも、何か怖いじゃん、目に物入れるなんて……」
「あー、たしかに? 俺のねーちゃんとか全然カラコンしたまま寝てるけどな……」
「それ大丈夫なの……。まあ、いずれはコンタクトもいいかなとは思ってるんだけど。僕凄い近視だから、眼鏡だとどうしてもレンズ分厚くなっちゃうし、そうすると物が小さく見えるから距離感が分かりにくいんだよね……。」
「へー、マジで? ちょっと貸して」
言いながら眼鏡を手に取ると、萩丘くんは怖々つるの部分を広げてレンズを顔に近づけた。
「うわあ! すげえ何も見えねぇ〜!」
「当たり前でしょ。それよりほら、早く食べないとラーメンのびるよ」
それから萩丘くんはあっという間にラーメンを平らげて、腹ごなしに二人で本屋さんやゲームセンターをぶらついてから帰路についた。並んで歩き、別れ道の交差点までやって来る。その間なにを話したかあんまり覚えてないのは、そのくらいたわいもない話をしていたんだと思う。萩丘くんは、僕が唯一気負わずに話せる他人だった。
「じゃあ木元、また明日学校でな!」
「うん。また明日」
これからも、きっとそうだと信じていた。
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