春の嵐

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春の嵐

「あの・・・・・・1年A組の教室はどこでしょうか?」  おずおずと遠慮がちにかけられた君の声に、僕は後ろを振り返った。僕はこの時、凄く怖い顔をしていたと君は言ったね。  だって、入学式の会場は新入生よりも着飾った母親たちのほうが目立っていて、うんざりしていたんだ。  君は怯えたように一歩後ずさった。新入生特有の、少しだぶついた制服のブレザー。まだ様になっていないエンジ色のネクタイ。小首を傾げて耳元を触りながら、上目遣いで僕を見つめた黒い瞳。  正直に言うよ。僕はこの時、君の瞳に釘付けにされてしまったんだ。恥ずかしがったり困ったりしたときの君の癖だと後になって知ったけれど、あの時はトクンと高鳴った自分の心臓の音に動揺して、君を睨んでしまったんだ。 「あの・・・・・・」  君は健気にも、再度僕に声をかけた。 「A組なら僕も同じだ。一緒に行こう」 「えっ? 君も新入生? 凄く大人っぽく見えたからてっきり上級生かと」 「こんなだぶついた制服を着ているのに?」  手のひらが半分隠れてしまいそうな制服の袖を君に見せて、僕はぎこちない笑顔を作って見せた。 「あ、ホントだ」  怯えた表情が急に消え、フワリと柔らかい笑顔が僕を包んだ。春の陽射しより、更に暖かな笑顔だった。  僕はね、きっとこの時、恋に堕ちたんだ。幼すぎて、その時は【恋】なんて言葉、知らなかったけれど・・・・・・ 「早く行こう。遅刻するよ」 「ヤバイ! 走ろう!」  君は走り出した。呆気にとられてその場に立ちすくんでしまった僕に、君が手を差し出す。 「早く!」  振り返った君の髪は桜色の風になびいてキラキラと輝いていて、とても眩しかった。僕は誘われるようにその手を握って走り出した。 「そこの1年! 廊下は走らない!」  その声に、僕たちは顔を見合わせて大声で笑い合ったね。君は声の主に向かって舌を出して、首を竦めて見せたんだ。憶えている?  教室までの長い廊下を、そうして僕たちは笑いながら走り続けた。高校生活になんて何も期待していなかった僕の中で、この時、何かが変わり始めていたんだ。
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