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ある日突然、世界の終わりがやってくる。僕にとっては、この日が世界の終わりだった。
あのとき、君が言うようにさっさと家に帰ってしまえば良かったのかもしれない。
いや。きっと違う。この日を何とか切り抜けたとしても、いつかは同じことをしていただろう。僕の心は既に飽和状態だったのだから。
数日来の寝不足のせいか、僕は君が保健室を出ていってしまうとすぐに眠りに落ちてしまった。そして、保健室のベッドでも、僕はあの夢を見ていた。
胸の上に、フワリとした重みを感じて目を覚ます。辺りは薄暗くて、まだ夢の中にいるのかと錯覚しそうだった。
僕が胸の上に感じていたのは、君の体の重みだった。
「目が覚めた? よかった。熱、下がったみたいだね」
君がゆっくりと僕の体から離れていく。
「授業が終わってから迎えに来たんだけど、すごくよく眠ってたから起こさなかったんだ。やっぱり疲れてたんじゃない?」
「……今、何時?」
「6時半。さっき部活が終わったんだ。保健の先生に鍵預かってるから職員室に返しに行かなきゃ」
チャリチャリと鍵の音を響かせて、君が苦笑いした。
「ごめんな」
「全然。鞄持って来たから、帰ろう。起きられるか?」
「うん。大丈夫」
僕はベッドから降り立ち、君がハンガーに掛けておいてくれた制服のブレザーに腕を通した。
君が僕の鞄を持って振り向く。
「はい、鞄。……寝グセついてるぜ」
君は僕の鞄を持ったまま、片手で僕の髪を梳き上げた。
部活の余韻を残す熱い体が、すぐ近くにある。あの夢と同じだった。
夢の中で、君は僕を好きだと言った。この現実の中でも、君は僕を好きだと言ってくれるだろうか。ずっと前から好きだったと、あの甘いキスを僕にくれるだろうか。
「椎名……」
「ん? なに?」
君が、小さく首をかしげる。
「……好きだ」
僕の髪に触れたままの腕を握り、僕は激情のままに告白した。君の手から音を立てて僕の鞄が落ちた。
「な、何言ってんだよ。冗談、よせよ……」
「冗談じゃない。僕は本気だ。椎名が好きだ」
君の体が怯えたように小さく震えた。きっと、僕に対する嫌悪感だろう。当たり前だよね。僕がずっと君を好きだったなんて、気持ち悪いに決まってる。
最悪の状況だ。なのに僕は、君の手を放すことができない。
「離せよッ! や、だっ……!」
漆黒の瞳が揺らいだ。
僕は君を抱き寄せて、夢の中と同じようにその柔らかな唇に自分の唇を押しつけた。けれど、君は夢の中のような陶酔を、僕に与えてはくれなかった。
「っつ……」
自由を奪われていた腕を力一杯振り解くと、君は僕の頬を平手で思いっきり叩いた。
「バカヤローッ! おまえなんか、大ッ嫌いだ!」
呆然と立ちつくす僕にそう叫ぶと、君は保健室から走り去った。
君の目は怒りに震えていて、零れた涙は親友に裏切られた苦痛を必死に耐えているように僕には映った。
やっと悪夢から覚めた僕の目には、君が落としていった保健室の鍵が闇の中で銀色に輝いて見えた。
……おまえなんか、大ッ嫌いだ!
君が最後に叫んだ言葉は、いつまでも、いつまでも僕の鼓膜に響いて、心の奥底に深い傷を残していった。
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