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僕は走った。力一杯走った。
思えば君と初めて出会ったときから、僕は君を追いかけ続けてきたような気がする。その度に君は笑顔で僕を手招き『早く!』と急き立てた。
差し延べられた君の手に触れたくて、その笑顔を間近に見たくて、僕は一生懸命君を追いかけた。
僕だけに向けられる、誰も知ることのない、甘えたような君の笑顔。いつまでも変わらず、僕だけに向けられるものと信じて疑わなかった。
壊したのは、僕だ。
僕に向けられる君の全てを、僕は自分自身で壊した。もう二度とこの手の中に戻ることはない。
それでも、僕は走る。決して振り向かないとわかっている君を追いかけて。
僕に向けられるのが怒りでも、蔑みでも、哀れみでも構わない。僕は甘んじて罰を受けるよ。君を苦しめた罰を。
駅の電光掲示板で君の乗る新幹線を探す。もう時間がない!
何事かと振り返る人たちの脇をすり抜け、エスカレーターを駈け登った。
椎名、どこにいる? お願いだから顔を見せて!
「椎名ッ! 椎名ッ! 返事をしてくれ! 椎名ーッ!」
君の乗っているはずの新幹線に向かって、僕は大声で叫びながら君を求めて走り続けた。
僕の取り乱した姿を周りの人たちが怪訝そうに眺めるけど、そんなことは知っちゃいない。
「椎名ッ! どこだよ! 顔を見せて!」
いよいよドアが閉まりかけたとき、目の前で見覚えのある小さなサッカーボールが揺らめいた。君と僕の、あの約束のサッカーボールだ。
僕は最後の力を振り絞って走った。そしてようやく君の立つ場所まで走り着いたとき、ドアは無情にも僕と君とを遮断した。
君は驚いたように瞳を見開き、そして、とてもつらそうに僕を見つめたね。君はそんな目をしなくていいんだ。君はもっと、僕を憎んでいいんだよ。
新幹線が君を乗せて走り去ってしまった後も、僕はその場から動くことができなかった。
何時間もその場に立ちつくしたまま、君の最後の瞳を思い出していた。
あれからどうやって学校まで帰り着いたのか、僕は憶えていない。
気が付くと、僕は君と初めて出会ったあの渡り廊下に佇んでいた。あの時、中庭と校舎を繋ぐ渡り廊下からは、満開の桜が見えていたね。
辺りはすっかり暗くなって、桜の樹はまるで幻想のように白く発光して、闇の中でとても美しく輝いていた。
ここ数日、君のことばかり考えていた僕は、桜の花が咲き始めていたことさえ気が付かずにいたんだ。
僕たちは、ここで出会った――
風になびく柔らかい髪、満開の桜にも負けない鮮やかな笑顔、僕の脳裏をくすぐる笑い声……
僕はばかだ。
君への気持ちに気付いたとき、僕は自分に誓ったはずだ。僕のわがままで君を苦しめてはいけないと。
それなのに、僕はその誓いを守れなかった。そして、僕は君を失った。
君を失うくらいなら、永遠にこの思いを胸の中に閉じこめて苦しみ続けたほうがましだった。君を失う苦しみに比べたら、どんなことだって耐えられたはずなんだ。
桜の樹を見上げながら、君を永遠に失った哀しみに僕は生まれて初めて声をあげて泣いた。
君に与えてしまった苦しみが僕の心臓を圧迫して、あとからあとから涙が溢れ出た。
「ごめんね、椎名。君を苦しめて……もう、僕を忘れて……いいよ」
花冷えの3月。僕はまるで迷子の子どものように膝を抱えて、ひとりぼっちで泣き続けた。
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