六月のワルツ

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六月のワルツ

 婚約の話から翌々月の六月、弦蔵が指揮するコンサートはクリスマスコンサートと銘打って広告されていた。  その間、弦蔵は取材やテレビの仕事をこなしつつ、久しぶりの我が家、日本でゆっくり過ごす予定だ。  音羽は弦蔵に渡された曲の練習を入念に行っていた。世間では『溜池弦蔵の娘音羽デビュー』と大々的に広告されていた。自分としてはそんなつもりはなかったが、話題性で呼び込もうとしているのだろうと否定も肯定もせず、ただ淡々と自分のやるべきことをこなしていた。  大学内でもチラシが貼られていることも知ってた。  音羽の内情を知っている先生には大丈夫なのかと聞かれたが、大丈夫ですとしか答えられなかった。  授業が終わり、練習しに行こうと大学内の舗道歩いていると、見覚えのある顔に遭遇し、音羽は顔を少し暗くした。 「音羽、あなたコンサートに出るんですってね」 「うん……。私は初めてだけど、伶花ちゃんは高校からもう何度もやってるから、慣れたもんだよね」  吉村伶花とは中学から大学まで一緒の学校に通っている。別に仲がいいわけではなく、この道に進むものなら大体通る道をお互い歩いているのでどうしても同じになってしまうのだ。 「私にはそれだけの実力があるから。音羽は知らないけど、親のコネでようやくコンサートに出られるんだから、せいぜい恥をかかないことね」  あなたは眼中にないというように、伶花は去っていった。  音羽の内に、中学時代のトラウマが蘇ってくる。  中学生になった音羽は音楽科のある女子中学校へ、ストレートで合格した。  音羽のピアノはコンサートを開いても良いレベルであると両親は感じていたが、コンサートで学業が疎かになるより、勉強もしっかりできる子、社会生活に馴染める子へ育てたかったため、コンサートはあえて開かなかった。  音羽自身は自分のピアノをたくさんの人に聞いてほしい、たくさんの人が自分のピアノであの時の一星のように目を輝かせてほしいという気持ちがあったが、両親のいうことも理解できるので義務教育である中学まで我慢しようと思った。  ただ、はやりどこかで機会があるならこの気持ちを発散したいと思い、中学一年生にも関わらず文化祭でステージパフォーマンスとしてピアノ独奏することにした。  文化祭当日、ステージのある体育館には、溜池の娘であることを知っていた学校関係者や子供の親、学校の生徒たちが集まり、まるでコンサートのように埋め尽くされていた。  音羽はそんな状況に緊張ながらも、こんなにもたくさんの人に聞いてもらえるんだとワクワクしていた。  体育館のステージに上がると、拍手の音が響き渡る。ピアノの前でひとつお辞儀をして椅子に座り、呼吸を整えてからゆっくりと弾き始めた。はじめはベートーヴェンの『悲愴』から始まり、ドビュッシーの『月の光』、最後はチャイコフスキーの『花のワルツ』で締め、絶望から光を見出した物語をピアノで表現した。  音羽の演奏が終わり再びピアノの前でお辞儀をすると、先ほどを凌ぐ、体育館が割れんばかりの拍手が響き渡り、ブラボー! と数名が叫んでいた。音羽が去った後も、しばらく拍手がやまなかったが、ここは学校の文化祭なのでアンコールもなく、次の出演者である伶花がステージへと上がっていった。  音羽はステージ裏で歩みを止めると、はぁと大きく息を吐いた。バクバクと心臓が脈打ち、頬が赤く高揚している。先ほどの拍手と掛け声、キラキラと光る観客の目、それらが頭から離れなかった。  ――これだ、皆の目からあふれる生命の光。これが見たかったのだ。  自分の欲求を満たしてくれるものが、このピアノなんだと改めて音羽は理解した。
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