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七月グラーベ 1
文化祭の後、七月。十月のコンクールのため、準備が始まる。
音羽の通っていた中学校の二大イベントと言えば、六月に文化祭、十月に合唱コンクールであった。
七月に合唱コンクールの曲を決め、夏休みに練習、九月にはなんとなく体育祭が行われ、十月に盛大に合唱コンクールが行われるのだ。
合唱コンクールでは音羽はもちろん演奏側に回るつもりである。が、音楽科がある中学校のため、音羽以外にも当然ピアノを弾ける学生がいた。
その中でも、音羽の次に有名だったのが吉村伶花だった。
伶花は何かと音羽をライバル視し、突っかかってくることで多く有名だった。
今回も演奏者に音羽が立候補すると伶花もすかさず手を挙げ、また伶花かと音羽は肩を落とした。伶花のピアノはその辺のピアノ演奏者に比べればうまいが、自分ほどではないと耳に自信のある音羽は自負していた。それなのに、なぜこんなにも突っかかってくるのか、音羽には理解ができなかった。
クラスでは伶花と音羽どちらかが演奏をするか決めなくてはならず、先生が二人の演奏を聴いて決めることで合意をした。審査は一週間後とし、各々一週間の練習を経て、放課後音楽室に集まった。じゃんけんの結果、先に伶花が演奏することとなり、音羽は音楽室の外で待った。
音羽は負けるわけないと思っていたので、心に余裕があるせいか、譜面のなぞることもせず、ぼんやりと空を眺めていた。
何もなく、こんなに空を眺めるなんていつぶりだろうか。ずっと、ピアノのことばかり考えて演奏していたので、どんよりとした雲の隙間から差す光が、天使の階段の様だと少し感動を覚えた。
しばらくしてドアの開く音がして、伶花が出てきた。伶花はちらりと音羽を見ると、何も言わずにそのまま去っていった。
音羽が音楽室に入る。
「失礼します」
「溜池音羽さんね、早速演奏してもらえる?」
アルトの優しい声で、音楽教師の細川は促した。
「はい」
今回音羽のクラスでは『定点観測』という、美しく静の中に生命の強さを感じる曲を歌う。
美しさ、生命力、クラシック曲とは違う歌うような演奏。これらを考えながら、音羽はこの一週間毎日欠かさず練習をした。今ここで、その成果を発揮する。
音羽はピアノの椅子に座り、息を吐いた。楽譜は覚えているのでいらない。静かに指先で鍵盤を押さえ、曲の持つイメージを存分に表現した。弾き終わると額から汗を流し、コンクールを終えたかのようなやりきった顔をしていた。
「溜池さん、ありがとう。今度の音楽の授業で演奏者を発表しますので、それまで待っていてください」
「はい」
額の汗をぬぐい、一礼すると音楽室を出ていった。七月の湿気がまとう風でも涼しく思うほど、音羽は完全燃焼していた。
伶花に負けるはずはないが、それでも万が一があるかもしれないと、音羽は練習を欠かさなかった。
今回もうまく弾くことができた。問題ない。
そう思い、学校を後にした。
それから数日後の音楽の授業で演奏者の発表があった。
結果は、伶花だった。
思わず伶花をみると、伶花は上手いのはあなただけじゃないと言わんばかりに自信に満ちた顔をし、クラスのざわめきと、伶花あの顔が頭にこびりついて離れなかった。
なぜ、伶花に負けたのか。何がいけなかったのか。
あの日の演奏を何度も振り返るが、ミスというミスは見当たらない。
――何故?
先生の顔を見ると、特にこちらを見る様子はなく、生徒たちにはなぜ吉村さんを選んだのかは言いませんと強い意志を感じる声で宣言していた。
その日は言わずもがなよ志村がなぜ選ばれたのかで頭がいっぱいで、どの授業も頭に入ってこなかった。
掃除の時間になり、ゴミ出しを終えて教室に戻ってきたとき、クラスの子の嫌な話が聞こえてきた。
「演奏、選ばれたの吉村さんだったね」
「てことは、吉村さんのほうがうまいってこと?」
「そうなんじゃないの? 溜池さんピアノに関しては自信があったみたいだけどね」
「誰にも負けないって感じあったよねぇ」
「ほら、溜池さんって、お父さんが指揮者でお母さんがピアニストで、世界規模で活躍してるんだよね。それで大したことがないとか、結構きついよね」
「まさかの自分よりうまい人がいたって。あんなに自信満々でいたのにちょっと恥ずかしい」
「うん、自分だったら結構恥ずかしい。知らないほうがよかったって思うよ」
「本当、なんか逆に溜池さんがかわいそうになってきたよ」
「自分だったら、あの時手なんて上げなきゃよかったって思うよ」
音羽は教室には戻らず、練習室で膝を抱えて過ごした。
クラスメイトの言葉がひどく痛く胸に突き刺さった。
音羽が家に帰る頃には日が暮れ、星が輝く時間になっていた。
「おかえり、遅かったね」
日本で休暇中だった鞠が音羽をリビングで迎えた。
「ただいま」
覇気のない返事に、鞠は眉を寄せた。
「どうしたの? なんかあった?」
「いや、別に」
音羽はキッチンで水を飲むと、そのまま自室へと向かった。
「そういえば今日どうだったの? 演奏者に決まったんでしょ?」
鞠の言葉に一瞬止まり、小さく息を吐いた。
「落ちた」
「え?」
「演奏者落ちたの!」
音羽には珍しく声を荒げていうと、駆け足で自室に引きこもった。
「落ちたって……」
まさかの結果に、鞠も驚きを隠せなかった。
その日以来、音羽は人前でピアノを弾くことができなくなった。
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