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先に断っておくが、これはけして愚痴ではない。むしろ飲み会を楽しんだ酔っ払いの随想録である。
ともあれ、会社の懇親会の参加表明を示した自分は、心待ちにもしておらず、かといって特段不安にも感じないまま当日を迎えた。
六月某日、在宅勤務だった自分の思考は飲み会にどんな服を着ていくかからはじまった。
結局普段外出するときの格好に落ち着き、勤務中の休憩時間を使って身支度を整える。その日は幸運にも長引いた案件はなく、定時で仕事を切り上げて自宅を出ることができた。仕事を終えた後に勤務地最寄りの駅に向かうのは、まこと不可思議な感覚だ。
飲み会の開始時刻は午後七時で、ひとまずそれに間に合いそうなことに胸を撫でおろすが、同時に懸念材料も持ち上がる。さるコロナ禍によって在宅勤務が増え、出社をしてもマスクによる副次的効果が生まれている。
ありていに言えば、同僚の顔の見分けがつかないのだ。
折しも自分がいまの部署に配属されたのは二〇二二年の正月明け。全員がマスク標準装備で、おまけに在宅勤務が横行してオフィスにほとんど人がいない体たらくの時期である。顔と名前が一致しないのは、街中でばったり出くわした自称知人の人物と数時間の立ち話に興じる状況もかくやである。
それでもその場に顔を出す一員として飲み会を成立させねばならない。それが参加を表明した社会人の責任の果たし方であり、また企業戦士の矜持でもある。
それに策がないわけではない。飲み会とはとどのつまり酔っ払いの巣窟、サバトである。日頃の溜め込んだ鬱屈を吐き出す場とあらば、自然参加者は自分の話をはじめるものである。そこで自分は社会人なりの「あいうえお」を如何なく発揮すればいいのだ。
※社会人の「あいうえお」とは以下の通りである。
・「ああ〜なるほど!」
・「いいですよね、それ!」
・「羨ましいなあ〜」
・「え? そうなんですか?」
・「おお〜、そうなんですね!」
どこかで見た構文かと思うが、感嘆文的な枕詞を入れることで厚みが増すと信じている。
なけなしの経験を携えていざ飲み会の会場へ。
店に入るなり幹事に声をかけられて、上座側に通される。そこには現場リーダーやベテラン、部門を統括する上長といった面々が顔を連ねていた。
そのときの自分の率直な感想はこれである。
(よかった! 顔と名前が一致する人だけだ!)
本来であれば部門に配属されてから日も浅い自分は萎縮するべきだろうか。逆である。これからはじまるのは人事査定の面談でもなければやくたいもない会議でもない。『懇親会』という名の乱痴気騒ぎである。そこには上司も部下もいない。ただ酔っ払いという獣たちが存在するだけ。社会人の「あいうえお」を友とする自分が恐るるに足る相手ではなかった。
かくして右隣に統括長、正面に現場リーダー、斜向かいの両方と左隣にベテランという席次で狂乱の宴が幕を開ける。
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