書きたいことなどないけれど。

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

書きたいことなどないけれど。

       夏の夕暮れ、無数の蝉が彼方此方から鳴き響く、蒸し暑い。      私は高校二年、まるで生きている訳がわからない死にたい十七歳、    今日も今日とて阿呆らしく気取った振りこいて生きている。    まるで生きている訳がわからないと言ったが、    別に死に急ぎたい被害妄想と承認欲求に日々明け暮れる、奴ら共の其れとは違う。    ただ単に、訳がわからないだけで死にたい理由だなんて聞かれてもピンとくるものはない    悩みも特にない、家族関係も良好、友達は多い方じゃないけれど私は結構満足している    恋愛はそこまで困ってない、人並み程度だと感じる。    ならば何がと問い詰められても、やはり何も出そうもない。    強いて言えば癖みたいなものなんだろうと思う。     この世界には死にたいと感じた事がない人がいると、少し前にネットで見た。    そしてそれと同時に、死にたいと思う事自体が異常だと言う話を見た。    私にはとても衝撃的だった。    「えっ、私そんな人達と生きているの!?」と    だってそうだろ。私の認識ではみんながどこか死にたさと共に、生きていると    思っていたから。まるで今まで人間だと思ってすれ違ってきた人々が    実は仮面をかぶっていた宇宙人だったみたいなくらい。    私にはそんなSF的例えが思いつくほどに衝撃的な事だった。    けれどそれ故に納得できたこともある、    それはよく昔から聞く「自殺する奴はバカ」そう言う人たちがいる訳がようやく納得できた    今まではそう言う連中は、死にたがりだった過去を忘れてしまった哀れな大人達だと思って    いたが、そもそも死のうなんて考えた事がない人たちならその理屈は納得できる。    それはバカにも見えるだろう。    だってその人たちの中では、死とは何かによって起きるものでしかないのだから    それを自らの手で、首吊ったり、切ったりとかして    死んで行こうとする人たちは、馬鹿に見えて当然だ。    そりゃ死にたがりの私が生き難い訳だと思った。    まあそんなのは、私の不器用さに対する言い訳ほかならないのだけれど。     私には昔から羨ましいものがある。    それは最も容易く自分のしたいことをできる人間たちだ。    例えば絵を描いたり、たとえばギターを弾いたり    下手なくせしてそれらをやり趣味だと言える人々の自信的勘違いに    私はとても憧れる。    私はきっと完璧主義なのだと思う。    とても言い訳がましく聞こえると思うが、    何かをするのに対しその能力が低いと自分自身でわかりきっているが故    わざわざやって下手なものを仕上げて後悔するなら、    はなからやらずに諦めた方がマシ。そんな風に私は感じる。    だからこそ過度な自信的勘違いができ、下手なものを人に堂々と見せられる    そんな人たちに憧れる。    誰でも初めはそう、そうわかっている。けれど初めてにしてはなんて言葉を    優しい眼で言い放たれるほど、私にとって屈辱的な事はない。    私は初めてであろうと、完璧を目指したい。    そんなの無理。そうわかっているから私は何もやらないという臆病な選択をする。    とても馬鹿らしい事この上ない事くらい自分でもわかっている。    けれどやはり其れは私の中では怖い事でしかなく、    だかこそ私が本当に羨むべきは、行動すべきは    このアホくさい頭の中にいる、厳しすぎる謎の監視官を殺す事だと    私は思っている。    その為にこんな書きたいことも、伝えたい事もない    単なる文字の連ねただけの薄い話を    描いているのだ。    私の中にいるバカな監視官のライフを少しでも削る為に    私は今日もいつかの自由を手にするべく、    土の中で掘削作業を繰り返し    いずれ羽根の生えたこの身で煩いほどに叫んでやりたいのだ。    まるで蝉のように、短命であろうとも。  
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!