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8 不穏な動き
これを機に、祐輔の蓮香に対する感情が、少し変化した。泣くほど真剣に想ってくれている──例えそれが誰かの身代わりだとしても──のなら、自分もそれなりに向き合う必要があると思ったのだ。
身代わりにするな、とも言えただろう。けれどそれを言ってしまったら、蓮香が壊れてしまいそうな、そんな危うさがあの時にはあった。そうなってしまったら色々とまずいし、仕事にも影響が出る。
祐輔は自分のデスクから蓮香を見た。
蓮香は祐輔の指示を守っているようで、鶴田を一人きりにさせないようにしているようだ。積極的に話しかけ、引き継ぎをしている。
真剣な眼差しで資料を見ながら話している二人。蓮香が何かを矢継ぎ早に言って、鶴田が焦ったように答えている。でも、とか、それなら、とか言う蓮香の言葉が聞こえて、何をそんなに問い詰める必要があるんだ、と思わず口を出してしまった。
「蓮香さん、あまり女性を追い詰めちゃダメですよー」
祐輔はよそ行きの笑顔でそう釘を刺すと、蓮香はさすがに黙る。鶴田が苦笑してこちらに会釈したので、どうやら本当に彼女は困っていたらしい。
その後、蓮香と鶴田が連れ立って外出したのを見守り、ホッとひと息ついた。笹川はあれから鶴田に絡んでいないようだし、鶴田を一人にしない作戦は有効かな、と思う。
けれど、ずっとこうしてる訳にもいかないよな、とも思う。祐輔は今後もっと現場へは行けなくなるし、周りも自分の仕事を抱えながら、鶴田を守るのも限度がある。
(うーん、やっぱり筧部長に相談するか?)
「桃澤、ちょっといいか?」
そう言ってタイミングよくやってきたのは、筧だ。
「はい。何でしょう?」
祐輔は返事をし、話があるという筧について行く。会議室に着くと、とりあえず座ろう、と椅子に座った。
「丁度よかった、私も部長にお話があったんです」
「じゃあ、そっちから先に聞こうかな」
筧は背もたれに身体を預けると、ふう、とため息をつく。
「……何か、お疲れですか?」
「まあね。それで、話って何だ?」
筧は祐輔の父親より少し若いくらいの年齢だ。体力的に疲れている彼を見るのは初めてで、それほど今の仕事は心労が溜まるのか、と少し心配になる。
祐輔は笹川と鶴田と、近藤のことを話した。すると筧はやはり分かっていたようで、苦笑して聞いている。
「かと言って、鶴田さんを一人きりにさせないのも、限界があると思いまして……」
そう言うと、筧は近々、営業部を再編する動きがある、と教えてくれた。なぜかは言えないと彼は言っていたが、会社がよりよくなるなら、と祐輔は軽く考えて、先を促す。
「桃澤、今の仕事は楽しいか?」
「え? ……はい」
質問の意図が読めず返事をするだけに留めると、筧は他言無用だぞ、と話し出す。
どうやら営業部の再編で、筧が営業部の部長も兼任し、統括部長になるらしい。営業部長のポストが彼になるならば、近藤はどうなるのか、と祐輔は思ったけれど、筧が先程からそのあたりをぼかして話していることに気付き、ゾッとした。
近藤は、今のポストを剥奪されるのだ。なぜかは分からないけれど、きっと良い理由ではないだろう。
「それで、俺が異動して空いたポストを、桃澤に埋めて欲しいと思っている」
「……ちょっと待ってください。私がいきなり総務部長になるってことですか? いくらなんでも……」
「とりあえずは人事課長だな。庶務課の課長もたてて、しばらくは二馬力で管理してもらう」
「……」
空いた口が塞がらなかった。部長の言い方からして、これはもうほぼ決定事項で、しかもそんなに遠くない未来に行われる様子だ。となると、近藤の地位剥奪も、決定事項ということ。
「あの、近藤部長は何かしたんですか?」
祐輔は思わず小声で尋ねる。急場しのぎでこれだけ人を異動させなければならないのは、よっぽどのことに違いない。
「いずれ話すよ。今はまだ、『調査中』だから」
「……」
祐輔は何も言い出せなかった。調査中というのは、多分警察が動いている、ということだろう。それなら祐輔ができることは、異動先で与えられる仕事をこなすことだけだ。
「タイミングはその調査が終わってからになる。……くれぐれも、このことは漏らすなよ?」
「……言えませんよ、こんなこと……」
社内から犯罪者が出るなんて、考えたくなかった。けれど部長の言い方からして、近藤は限りなく黒なのだろう。もし情報が漏れて近藤が逃げてしまったら……。たらればを考えるのはよくないか、と祐輔は思い直す。
「あと……蓮香は上手くやってるか?」
「え?」
筧から蓮香の話が出るとは思わず、祐輔は思わず彼を見た。彼は感情が読めない顔をしているけれど、言葉のニュアンスからして、心配しているのだろうと分かる。
「ええ。今日も鶴田さんと、先程外出していきましたよ」
「そうか。……蓮香は、桃澤に憧れていたみたいだから、こっちに来て早々部署が離れてしまって、悪いことをしたなと……」
苦笑する筧に、祐輔は疑問を持つ。確かに時期外れの異動で、イレギュラーなことだったけれど、支社から本社への栄転なら、こんな風に心配なんてしないだろう。
思い切って、祐輔は話してみる。
「あの……蓮香はただの栄転じゃないんですか?」
「そうだな……。少なくとも、俺は蓮香を桃澤と同じくらいに買ってるよ。だから本社に呼んだ」
答えになってない、と祐輔は思う。けれど筧は、気になるなら本人に聞いてみな、と立ち上がった。それもそうか、と祐輔も立ち上がると、筧と会議室を後にした。
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