37人が本棚に入れています
本棚に追加
少年ケンとの出会い
第19話
聖女を売春婦扱いした医者のいる診療所の地図を書けと男に迫った。
「書くから、縄をほどいてくれよ」
男の言葉に、アンはユリスに視線を移す。
「ほら、これで書けるだろ」
ユリスは後ろ手にしばられたヒモをほどいて、前でしばり直した。
アンは男の太ももに聖書を台にして紙を置いて、しばられた両手にペンを持たせる。
「これでいいだろう」
ユリスに言われてかアンに脅されてか男は、思いのほか素直に西区にある治療院の地図を書き上げた。
「西区にある治療院って話しも本当か分からないから、まずは確認しよう」
ユリスは、アンたち聖女を侮辱した男を信用出来ないと思っているのだろう。
聖女たちは、ユリスの言葉に同意してうなずく。
アンは地図の書かれた紙を取って、場所を確認した。
「行ったことはないけど、ここら辺がスラム街でしょ。こんな所に治療院があるの?」
アンは男が嘘を付いているんじゃないかと、疑いの眼差しを向ける。
「この地図を持っていけば、嘘かどうか分かるだろ」
「それも、そうね」
アンは男の言葉に納得して、ユリスに向き直った。
「ユリス、その男を告解室に運んで椅子に座らせてもらえる?」
「分かった」
アンは、ユリスに付いていき告解室の扉を開けた。
「なあ、ちゃんと、あんたたちの質問には答えただろ」
男は図々しくも逃がしてくれと言うのだ。
「少しだけ、この男と2人きりにしてくれる?」
「何を言って」
ユリスは慌ててアンを止めようとした。
「お願い」
勿論、アンを簡単に止められないことも薄々分かるようになっていた。
「はあ。扉の前にいるから、何かあったら大声を出してくれ」
ユリスが、告解室の外に出て扉を閉める。
「ちょっと、何をする気だ」
告解室の中から、男の怯えた声が聞こえてくる。
「まさかいくらアンでも、あの男を殺したりしないわよね」
遠巻きに見ていた聖女たちが怯えて口走る。
「アン、君が周りにどう思われてるか少し分かったよ」
ユリスも聖女たちと同じように、アンが怒りに任せて男を殺してやしないかと心配になった。
告解室の中では、アンが男の胸に手を置いていた。
「何する気だっ、止めてくれ」
股間を思いっきり踏みつけた女が、今度は自分の胸に手を伸ばしてきたことに、男は心底怯えた声をもらす。
「ふふふん、何かしらね」
アンは右手に少しだけ聖女の力を込めて、男の胸に流し込んだ。
「止めてくっ」
ビクン
男は、一度大きく体をビクつかせた後、動かなくなった。
「これで良し」
アンが、聖女の力を目一杯、健康な人の心臓に流し込めば、数日かけて殺すことが出来る。
そして僅かな力を流すと、健康な人間を長い眠りに付けることも出来る。
長い眠りは、聖女の力の加減に依るようだ。
「男は眠ってしまったから、早速行きましょ」
アンが告解室から、何事も無かったように出てきた。
「眠ったって、死んだんじゃないの?」
マディが駆け寄ってきて、アンにだけ聞こえる声で囁いた。
「そんな訳ないでしょ。本当に眠らせただけ」
アンも、マディにだけ聞こえる小さな声で囁き返す。
「行くってまさか、西区の治療院に行くつもりなのか?」
ユリスは驚いて一歩後退してしまった。
けれど考えてみたら、アンらしいと思う。
そして、ユリスでは止められないだろうとも思った。
「ふう、僕も一緒に行くよ」
ユリスに、アンを1人で行かせると言う選択肢はない。
「いいの?」
引き止められると思っていたアンは、ホッとした。
ユリスにまで、聖女の力を使いたくなかったから。
(ふふふん。だから私、ユリスにお転婆って言われるのね)
アンは少しだけ、ユリスに申し訳ない気持ちになった。
「先日まで、修道院の警護をしてくれていた兵士の力を借りよう」
「相手は凶悪犯ではなくて、医者ですよ」
システィナが、兵士の手を煩わせるまでもないのではないかと反対した。
「でも、治療院なら凶器が置いてあると思わない?」
アンの言葉に、システィナの顔が血の気がひいて、真っ青になる。
「そうね、兵士の方々に守って頂けたら安心だわ」
システィナは、凶器と言う言葉でメス等を思い浮かべたのだろう。
「兵士は僕が手配して連れてくるから、皆さんは少し休んでいてくれ」
「ありがとう」
アンは、ユリスに感謝の気持ちを伝えた。
「僕がいない間に、無茶はしないと約束して」
「おとなしく待ってるわよ」
さすがのアンも、ユリスがいない間に西区の治療院に押しかけるつもりはない。
「行ってくるよ」
ユリスは颯爽と修道院を後にした。
「ユリス様って素敵じゃない。どこの貴族様なんだろう」
マディはアンとの仲を知っていながら、からかってくる。
「クスクス」
他の聖女たちも、さすがに勘づいていたようだ。
「皆して、からかわないで」
アンは、頬を染めて抗議した。
◇◆◇
ユリスが第3王子の権限を行使したのか、3人の兵士を連れて直ぐに戻ってきた。
「西区の治療院には、僕とアン、それと兵士3人で行く」
「そんな、アンだけ危険な場所に行かせるなんて」
システィナも他の聖女も反対したが、守るべき人数が増えると死傷者が出る可能性があると説得した。
「危険なことはしないから安心して。ただの医師なら王国の兵士1人にだって敵うはずないから」
アンの言葉は真実だった。
訓練を受けた兵士を一般市民が倒せるはずはない。
それでも3人の兵士を連れてきたのは、アンの安全を考慮した為だ。
「分かったわ」
「気を付けてね」
聖女たちはアンに抱き付いて無事を祈ってくれた。
「さあ、行こう」
ユリスのかけ声で、修道院の外に用意された馬車に乗り込み出発した。
◇◆◇
西区はスラム街の隣に位置していて、決して安全とは言えない地区だ。
西区の大通りを道を1本奥に入った場所に、目的の診療所はある。
古びた建物が並ぶ中で、その診療所だけは住居兼診療所なのだろうか大きく立派な建物だった。
「これは予想外だな」
ユリスは、建物を見て驚いている。
「私も元から人気のない診療所が、患者を奪われて嫌がらせをしてきたと思っていたのに」
アンも場所にそぐわない立派な診療所を見て、一筋縄ではいかない予感に襲われる。
診療所の扉が開いて、粗末な服を着た少年が突き飛ばされて道に転がる。
「金の払えない貧乏人は、聖女の所にでも行きやがれ」
診療所の入口に立つ男が、少年を突き飛ばした。
「なっ」
アンは飛び出していこうとする。
少年を突き飛ばした診療所の人間の胸ぐらを掴みそうな勢いだ。
「ストップ。まずは、あの少年に話しを聞こう」
ユリスが後ろから、アンの両肩を押さえて引き留めた。
「分かったわよ」
アンは少しも納得出来てない様子だ。
診療所の扉が閉まり、少年がヨロヨロと立ち上がる。
「この金の亡者め、こんな所こっちから願い下げだ」
少年は悪態を付いて診療所にツバを吐いた。
「ちょっと、大丈夫?」
アンは、少年に近付いていき声をかける。
彼はリュシオン王国の国民には珍しい褐色の肌をしている。
「あんた誰?」
いきなり声をかけてきたアンに警戒しているようだった。
「私?私はさっき診療所の人が言っていた聖女だけど」
治療が出来る人間を探していると分かった上で、自分が聖女だと正体を明かした。
「あんたが聖女?まだ子供じゃないか」
少年は金髪をツインテールした幼い顔を見て、見くびっているようだ。
「何ですって!そっちこそ子供じゃないの」
またしてもアンを怒らせる人間が現れたかと、ユリスはガクッと力が抜けていくのを感じた。
「まあまあ2人とも、ここじゃあ何だから一旦修道院に戻ろう」
ユリスは2人の間に入って、揉めないようにした。
大通りに停めた馬車に戻り、少年を連れて修道院に向かう。
「すり傷と風邪なら無料で治してあげるけど、それ以上は有料だから」
アンは少年のヒザやヒジのすり傷を見て、治してやる為に説明した。
「聖女なんて言っても、結局金の亡者なんだな」
少年が、アンに侮蔑の言葉を投げ付けた。
ゴツン、ガツン
「痛て、いっ」
ユリスが手を出す前に、隣に座っていた兵士が少年の頭を拳骨で殴っていた。
同時に目の前の兵士は足を伸ばして、少年のヒザを蹴る。
斜め向かいの兵士も立ち上がり手を振りかざしていたが、近くの兵士たちの攻撃に遅れを取って諦める。
「何するんだっ」
「いくら教育を受けていないとしても、聖女様に無礼過ぎる」
「馬車から、落としていきましょう」
「分かってますよ。少年の傷を無料で治してやる為に、あんな言い方をしたんですよね」
兵士たちは一週間程、修道院の警護に当たりアンたち聖女の人柄を分かっていた。
「聖女なんだから、怪我人を治すのは当たり前だろ。それを金を取るなんて」
少年は、頭とヒザを抱えながらも反論した。
「何だとっ、生意気な」
少年は、完全に兵士たちを敵に回したようだ。
「兵士の皆さん、ありがとう。少し、この子と話しをさせてもらってもいい?」
「勿論です」
兵士たちは、アンの意見を優先してくれるようだ。
ユリスは、いつの間にか兵士を味方に付けていたアンを不思議な気持ちで眺めていた。
「聖女が、無料で怪我人を治すのは当たり前って誰が言ったの?」
「怪我人を治すのが聖女の仕事なんだろ」
幼い口は、それくらいのことは誰でも知っていると言いたげだ。
「今まで聖女が無料で怪我人や病人を治したことなんてないし、その必要もないと思っているわ」
「やっぱり金の亡者じゃないか」
「あんたが働いているか知らないけど、働いたら対価をもらうのは当たり前じゃない」
アンは、道理の分からない子供にも分かるように話した。
「対価?」
「そうよ。お金がなかったら、聖女はどうやって食事をして服を買えばいいの?」
冷静で論理的なアンの言葉に、少年は段々反論出来なくなってきた。
「でも聖女はお金をもらわなくても貴族の治療はしてたのに、平民の治療はしてくれないって聞いたぞ」
その話しは間違ってはいなかった。
修道士がいた時には、アンたち聖女は給与をもらったことがなかった。
「皆、食べて生活していく為に働いてるの。それに貴族たちからは平民の倍の治療費をもらっているわ」
アンたちは横暴な態度を取ってきた貴族を許せずにいたので、治療費は平民の倍にしたのだ。
「貴族から、平民の倍もせしめてるのか?」
「そうよ、それで金の亡者だと言われるなら本望だわ」
「姉ちゃん、かっけえぜ」
何故か、貴族に倍の治療費を支払わせていることが、少年のツボにハマったらしい。
「ありがと。じゃあ、誰が聖女は無料で怪我人を治すのが当たり前だと言っていたのか教えてくれる?」
「うん。さっき診療所があったろ。あそこの医者が、皆の治療を行う度に言ってるよ」
俺は金がないから、治療してもらえなかったけどと少年は呟いた。
「あんた名前は?」
「ケンだよ」
「珍しい名前ね。私はアンよ」
「適当に付けられたんだよ」
スラム街では生まれた子供には、近くにある物や動物の名前をそのまま子供に付けることも多い。
名前を考えるだけ無駄だと言わんばかりだ。
「ケンあんた、かすり傷以外に痛いところがあるの?」
「ああ。時々だけど腹が凄く痛くなることがあって、診療所に行ったんだ」
ケンから話しを聞いている間に、いつの間にか修道院に着いていた。
「まずは下りてちょうだい。中で取り引きの話しをしましょ」
ケンとの取り引きに、アンたち聖女の未来がかかっている。
最初のコメントを投稿しよう!