37人が本棚に入れています
本棚に追加
スージーとガストン修道士
第5話
「ほら、飯だ」
まるで犬に餌を与えるように、パンとチーズの欠片が無造作にお盆に乗せられていた。
しかもコップの水は半分こぼれて、パンとチーズの欠片を濡らしている。
「はあ。まったく、文句を言う気も起きなくなるわよ」
アンはブツクサと文句を言いながら、水で濡れたパンを口に運んぶ。
「今日はお偉い貴族様がお忍びで治療にくるからな。くれぐれも無礼な態度を取るなよ」
修道士のジルが、わざわざ引き返してきて伝える位だから、よっぽど偉い貴族なんだろう。
「ふんっ」
「飯を与えてやっているんだ、犬は犬らしくご主人様の言う事を聞け」
コツン
ジルはアンの頭を小突いたが、ガストンのように、力任せに殴らないだけマシか。
「食事くらい静かに食べさせてよ」
バタン
アンの生意気な態度にイラついて、扉を閉めるとドカドカと螺旋階段を下りていった。
「ふふふんっ、あいつやっぱり能筋ね。扉の鍵をかけ忘れていったわ」
アンは一瞬、罠じゃないかとも思ったが、そもそも罠だったら扉の外に出ないと言う選択肢を持っていなかった。
小窓の外を覗いたが、塔の出入口が反対側にあって、ジルの姿を確認出来ない。
「まあ、見付かっても殴られて食事を抜かれるだけでしょ」
勇気を奮い立たせる為に、そんな強がりを口にする。
鍵のかけ忘れた扉を出て、外に誰もいない事を確認した。
「よし」
右手は壁を触りながら螺旋階段を下りていく。
カタン
2階の扉を前にした時に物音がした。
「開けるよ」
アンは何の躊躇(ちゅうちょ)もしないで、外付けの打掛錠を開けて扉を開く。
「本当にアンね。昨日小窓から落ちていったから心配しちゃったのよ」
聖女マディが、扉に駆け寄ってきた。
彼女は短い赤毛の癖っ髪で、髪がピョンピョン跳びはねているが、アンはそれさえもチャーミングだと思っている。
「ふふふん。あれくらい全然へっちゃらよ」
笑って誤魔化したが、ユリスが下で抱きとめてくれなかったら、今頃どうなっていたか分からない。
「マディ、どうして塔になんて閉じ込められたの」
マディが自分と同じように、修道院から逃げ出そうとして見付かったとは思えない。
「それは┅┅」
マディが、怯えたように顔を曇らせた。
「マディ。力になれるか分からないけど、私に出来ることなら何でも言って」
「本当に?私、見ちゃったの。見るつもりはなかったんだけど」
マディが、これだけ言いにくそうなことって何だろう?
アンは首をかしげながらも、マディが話してくれるのをじっと待つ。
「スージーが、ガストン修道士の部屋に入って行くのが見えたのよ」
「スージーが」
聖女が修道士の部屋に入ることは、厳重に禁止されている。
聖女は男性と関係を持つと、能力が失われると考えられていて、それを防ぐ目的だろう。
「それで扉の隙間から見えちゃったんだけど、2人が抱き合って唇をくっ付けてたのよ」
「あの2人が」
アンは驚き過ぎて、大声を出してしまった。
「アン」
マディは急いでアンの口を右手で塞いで、誰か入って来ないか心配で扉を見つめた。
ゴクリとアンは生唾を飲んで、息を整える。
「ごめん、あまりに衝撃過ぎて」
「分かるよ。私も声を出しちゃったから」
その場で叫んで、ガストンとスージーに見付かったのだと言う。
そして、塔の2階に人知れず閉じ込められたのだ。
「マディがいなくなったのに、同室の子はよく騒ぎ立てなかったわね」
アンは自分がいなくなったら、同室のスージーが心配して騒ぎ立てるだろう。
「アンはまだ知らないのね。聖女は時々、突然いなくなっちゃうのよ」
「やっぱり」
アンはまた大きな声を出しそうになり、自分の手で口を押さえた。
「やっぱりって?」
「皆、修道院から逃げ出してるのね」
「アン、あなたって」
マディは、呆れたようにアンを見つめている。
「何よ。そんなに見つめられたら照れるじゃない」
「はあ、逃げ出せる訳ないじゃない。だから不思議なのよ」
マディは、アンに呆れてため息を付いた。
「意味が分かんない」
アンは、何故マディにため息をつかれるのか分からない。
ここは修道院で監獄じゃない。
アンだって失敗はしているけど、あともう少しで逃げ出せそうだと考えていた。
「どうして逃げ出せないの?」
「逃げてどこに行くの?」
「どこってここじゃなければ、どこだって構わないわ」
アンは意気込んで、前のめりになった。
「家に帰るの?売られてきたのに」
「あんな家、冗談じゃないわ」
アンは修道院に来てから、両親に会いたいなんて一度も思わなかった┅┅。
一度もは嘘だけど、最初は会いに来てくれるのを期待したけど、すぐにあきらめた。
「行く宛もないのに、食べてなんていけないじゃない」
「┅┅」
そんなこと、考えてもみなかった。
アンはとにかく修道院から逃げ出すことしか考えられなかった。
先のことは修道院から逃げ出せさえすれば、どうにかなると思っていたから。
何の確証もないのに。
「とにかく消えた聖女は、どこに行ったのか、分からなくなっちゃったのよ」
「もしかしたら、この塔の中とか?」
「アンが来た時、誰かは分からなかったけど連れて来られた足音が聞こえたわ」
「うん」
「でも、アン以外が塔の中にいる様子はないのよ」
くせ毛の赤毛が、だから違うだろうと左右に振られる。
そう言えばアンが外の壁を下りていった時も、2階以外の部屋には人影がなかった。
「う~ん、分かんない」
人生経験が浅いアンには突然消えた聖女の行方等、検討も付かない。
「もしかしたら、私も消されてしまうんじゃない?」
ずっと1人で抱え込んで怯えてきたのか、不安そうな声をだす。
「消されるって、殺されるってこと?」
こぼれそうな青い大きな瞳が、見開いてマディを見つめる。
「それは分からないけど、2人の関係を知っちゃったのに戻されると思う?」
「だったら、私が2人の関係を皆に暴露したら?」
アンはいい考えを思い付いたとニヤリと笑ってみせた。
「あなたが消されちゃうじゃない」
マディの返答は、アンが思っているものとは違っていた。
「じゃあ、一緒に逃げよう」
「え?」
マディが、あり得ない提案に戸惑っている。
「だって殺されるかもしれないのに、どうしてここにいるの?」
「それは」
アンの言う通りだけれど、逃げてどこに行けばいいのだろう。
「今はまだ、ここに貴族が来て治療をさせられてるから大丈夫じゃないかしら」
治療をさせられてるうちは修道院もお金になるから、聖女を消したりはしないはずだとマディは考えている。
「あっ、今日は貴族が治療に来るんだった。今度は、いつ来られるか分からないけど、またね」
「来てくれて本当に嬉しかった」
2人は手を取り合って、またねと挨拶を交わした。
扉から出ると、ジルが貴族を案内して塔の階段を上ろうとしているところだった。
(ヤバい)
最初のコメントを投稿しよう!