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小さな衣擦れの音と、頬に触れる甘い温度に、理乃は目を覚ました。
「ごめん、起こしちゃって。可愛くてつい……」
理乃の頬にキスをした洸が、理乃に覆い被さった状態のまま謝る。
窓から初夏の日差しが差し込む、眩しい朝だ。
「もう行くん?」
洸がワイシャツ姿なのに気づいて、理乃が寝ぼけた声で尋ねた。
「うん、そろそろ行く。理乃ちゃんはもう少し寝てたら?合鍵、テーブルに置いとくね」
洸はそう言って、理乃に優しく笑いかける。
「洸くん、好き」
昨晩の甘さを引きずりながら、夢うつつの理乃が呟く。
洸が、今度は唇にキスを落とした。
「会社休もうかな……」
理乃と離れるのが、ただただ嫌だった。
「何ゆうてんの。まだ試用期間中なんやろ。がんばらな」
「そうだけど」
ついばむようなキスを何度も落とし続ける。
「あかん、仕事行き」
肌に触れてくる洸の手を掴んで、理乃は起き上がった。
「ネクタイ、結んであげるから」
「え、ああ、うん」
洸は未練を残しながらクローゼットに行って、ネクタイを取り出した。
その紺色のネクタイを、理乃が洸の首に結ぶ。
「ほら、今日も1日がんばり」
日本の朝は、イギリスの夜だ。
理乃は眠る前、電話でいつもそう言って洸を鼓舞していた。
「うん。がんばる」
洸が背筋をピンと伸ばして応える。
「理乃ちゃんも、おばあちゃんのとこ、気をつけて行ってきてね」
名残を惜しんでもうひとつだけキスをして、洸は振り切るように家を出た。
五月晴れの空の下、洸の胸にネクタイが揺れる。
クールビズで本当はネクタイが必要ないのだけれど、洸はその日、夜までネクタイを付けて過ごしたのだった。
シンデレラ王子の落とし物はネクタイ
完
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